今日も元気しとこ

芭蕉と笠寺観音


『芭蕉紀行』は芭蕉の足跡を辿るルポ本である。俳句のひとつでもつくってみたいものだがサッパリ駄目だ、せめてもと読みはじめたのがこの本である。
そこに鳴海、熱田と馴染み深い地名が載っている。とりわけ笠寺観音である。知ってるつもりの事柄もこうして改めて読み返すと知らなかった事だらけである。

芭蕉ゆかりの笠寺観音へ行って、石のたいこ橋を渡ると山門があり、仁王像の前に大わらじが奉納されていた。笠寺は正式には笠覆寺という古刹で、本尊の十一面観音が雨露にさらされているのを見た乙女が、自分の笠をかけてやった、という伝説から俗に笠寺観音と呼ばれるようになった。
笠寺観音には芭蕉の句碑が二つあった。
一つは「 星崎の闇を見ようとや啼(な)く千鳥」で、これは本堂裏に立っていた。墓と墓との間に立っているため 探すのに手間がかかった。(中略)
笠寺観音には芭蕉が知足より依頼されて書いた奉納句もある。ここでは芭蕉は桃青の号で
「 笠寺やもらぬ窟(いわや)も 春の雨」と初句を出し、つづいて知足、素堂、蝶羽の句がつづいてる。その句碑は笠寺観音山門横にあったが、ふと堂の下を見るとホームレスのおやじさんが眠っていた。堂の下に毛布を敷いて仮の宿としている。句碑に一礼し、ホームレスにも片手で挨拶をしてから名鉄で熱田神宮は行きお参りをした。
                              『芭蕉紀行』筆者嵐山光三郎

ならばと私、笠寺観音へ行った。東海道に沿った山門は江戸の頃なら往来人で賑わっただろ。そう思いながらたいこ橋から山門へ。山門下にホームレスのおやじさんはいなかった。山門のまわりを何度も見て回ったが句碑は見つからない。
お参り帰りだろうか、お婆さんに石碑のことを尋ねたが知らないとのこと、私の持つ文庫本を見て、「芭蕉さんも来てたんですか。伊賀上野から江戸に行くついでによったかもね」、「この婆ちゃん、なかなかのもの、歴史好きかも」

お寺の人に聞くと「芭蕉の句碑は二つある。しかし尋ねの所と場所は違う。詳しい話はよく知らない。境内図をお渡しします。どうぞ」と。「あれ、もう少し勉強して欲しいな」

本文と句碑の場所は幾分違っていたがすぐに見つかった。二つの句碑は確かにあった。
碑に彫られた文字は長い時の流れか判読出来ない。読めなくとも確かに石碑を見た。
「目的は達成できた。嵐山さんの説明で読んだつもりにしようかな」

本堂で手を合わせた後、休憩。ベンチに座って、「ここで一句 出来たら良いのになー」
いまさらと思わずにトライした。が、「あ~嫌だ、あたま固くっなってるな。575、出てこい」

自販機のホットコーヒーがちょうど良い季候、地下鉄を使っての、少しばかり長い散歩でした。
帰り道、西門近くの笠寺郵便局で風景印を得て帰路につきました。




今日も元気にしとこ

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