目次
第1章から第9章へのリンク
第10章から第12章へのリンク
第13章から第20章へのリンク
第21章から第23章へのリンク
第24章へのリンク
第25章から28章へのリンク
第29章から37章へのリンク
第38章から47章へのリンク
第48章から52章へのリンク
第53章から56章へのリンク
57.他人の姿は自分の姿な私の近所に住んでいる人達とあいさつ
58.人が嫌がることをしている点ではあいさつ信者もレイプ、強姦、痴漢、痴女と同じだ
59.あおり挨拶
第60章から第67章へのリンク
第68章から第75章へのリンク
第76章から第81章へのリンク
第82章から第86章へのリンク
第87章から第93章へのリンク
第94章から第99章へのリンク
57.他人の姿は自分の姿な私の近所に住んでいる人達とあいさつ
私の家の隣の小野という隣人の老人の男が私をものすごい嫌っている。
以前、私は家の誰もいない部屋で独り言を言っていた。
その独り言の内容は色々だが、あいさつや金でやっていく世の中がおかしいというようなことも言っていて、あいさつや金でやっていく世の中が正しいと思っている大勢の人が加担していることに対する不満なども言っている。
この独り言が家の外に漏れていて、隣人の小野が私のことを嫌っているのだ。
ある日、私の家の隣の職場の方から小野の声で「うるせーんじゃ」という声が聞こえてきたことがある。
その時、私は独り言は言っていないが、私の家の隣の職場の人に小野が私が独り言を言っていることに対する不満を言っていたと思っている。
うるせーんじゃと言っている小野の声の方が私が独り言を言っている声より大きい声を出しているが、自分には甘いのだろう。
別の時には小野の家の庭の方から、私の叔母の同級生のエイちゃんと呼ばれている人と小野が喋っている声が聞こえてきて、言っている内容の全部を覚えていないが、小野が「それ以上でもそれ以外でもない」と言った後に、
えいちゃんと小野が大きい声でハハハハハと笑っていた。
その言っていたことは、私の悪口を小野が言っていたと思っている。それ以上でもそれ以外でもないと言った前の言葉は聞こえなかったが、
私のことについての悪口を言っていて、「あいつは独り言を言っている頭おかしい奴だ」とか「独り言を言っている気持ち悪い奴だ」というような感じのことを言い、その後に、それ以上でもそれ以外でもないと言ったことに2人が大声で笑ったのだろうと思っている。
数年前の夏に、小野の家から数メートル離れた所に、小野が以前に職場に使っていたトタンの建物があって、その建物の壁を外側から金づちか、何かを使って大きい音を出して何回も叩いていたり、クワの刃の部分を上に向けて大きい音を出して叩いていた。
これらの音は私の独り言に対する、小野の嫌がらせではないかと思っている。
なんにせよ、小野は外でこういう大きな音を出している自分のことは許しているのだろう。
小野は私の独り言の音の大きさが大きいからうるさいと思っているのではないのだ。
大きい音でうるさいなら花火の音や救急車の音や、音楽のライブなどの音
などはすごいい大きい音を出しているのだ。これらの音はうるさいとさえ思わなかったり、うるさくても許容範囲内の人が多いだろう。
ある時は私が独り言を言っていない時に「何をごにょごにょ独り言言よーんじゃ」と大声で言った後に、何かの大きな音が鳴ったのだが、
その音は多分、何かを蹴って出た音ではないかと思っている。
小野が出している音では、夏場に草刈り機を使って大きな音を立てていたり、自分も独り言を言っていたり、誰かと喋っていたりなどして、
私の独り言の声よりも大きい音を出しているが、自分が嫌だと思う音ではないものは許すのだろう。
誰でも自分に甘いところはあるだろうが、この小野もそうで、自分が可愛いから独り言の声が聞こえてくることには嫌な気持ちになって不快にり、
嫌な思いをしたことを私のせいにしたいのだろう。
自分が出している大きな音や喋り声で、私以外の人もうるさいと思っている人もいるだろうけど。
「うるせーんじゃ」と言っている小野自体が、私の独り言よりも大きな音を出していて、うるさい音を出しているのだ。
独り言を気味悪がる人はたくさんいるだろうが、独り言がうるさいという言い方よりは、独り言を言っていることを気持ち悪がって嫌がっている
ことをうるさいと言っているだけで、自分や他の人が出している音は、私の独り言よりも大きい音を出していても、ほとんど嫌がっていなかったり、
許容範囲内だろうから、独り言の声の音を嫌がっているのではないのだ。
同じ家に住んでいる叔父も私の独り言を嫌がっていて、私が部屋で独り言を言っていたのが聞こえてたみたいで、以前「精神病院へ行けー」と私に言っていたが、音の面では叔父が家のドアを凄い大きい音で閉める音を
近所の人が嫌がって音の嫌がらせ、仕返しをしてきているが、叔父は嫌がられていることに気づいていないし、別のことで叔父は「仕事で出している音に文句言われる筋合いねー」というようなことを言っていた。
自分が感じたことが大切なんだろう。自分が独り言の声の音で不快になったのには、独り言を言っている私のせいにしても、他人が嫌がっていることは他人事なところがあるということだろう。人間は自分が一番かわいいのだ。
小野が以前に私の家の隣で「はよしねー」と2回言っているように聞こえたことがある。
岡山弁で、はよしねーとは早く死ねと言っているのだろう。早く死ねと言っている相手は私のことを言っていると思っている。
小野が私が独り言を言っていることで凄い嫌っていて、私に死んでほしいと思っているのだと思っている。
自分が嫌な気持ちになった理由を多くの人は嫌がられている人のせいにしたがり、被害者を気取る人も多いだろうが、この人もそういう人だろう。
私の家の隣のエイちゃんの仕事の音は単調な機械の大きな音が外に響いているが、私はこの音をうるさいと思ったことはあるし、
他の人も思っている人はいるだろうが、お互い様とか、爆音ではないから仕方ないとか思っている人もいると思う。
小野の子どもの家族らしき人が数年前の夏の夜8時代ぐらいに外で何かを作っていて、単調な大きい音を何度も出していたが、小野は夜にこの音を出していてもうるさいとは思っていなさそうだ。
黒人と言う理由で見下したり嫌う人もいるし、嫌わない人もいるように、人が嫌がることは人によって違い、自分が嫌だと思わない音は許すのだろう。
以前、私が畑の出入り口付近にいた時に、小野が通りすがって、無言で大きく頭を下げてきたが、私の家の隣で大声で私の悪口を言っていたりして、私のことをあからさまに、すごい嫌っているが、形だけ頭を下げることをしてきた。
小野の奥さんが数年前に、私の家の近くで「なんで働いとらへんの」というようなことを言っていたのだが、それは、私や私の兄弟のことを言っていそうだ。
平日の日中に家から私たちの声がするので、給料という形で金を貰うようなことをしていないと断定して、本人がいるかもしれない所で大きな声で言ったのだと思っている。
エイちゃんは小野から何度も私の独り言の悪口、不満を聞いているだろうが、2021年に、私の家の隣で小野の奥さんに大きい声で「独り言大丈夫」と言っていて、私の独り言を問題視しているみたいだ。
えいちゃんが以前、近所のおばあさんがエイちゃんの家の近くの家のポストを開けて見ていたことに対して、一字一句覚えていないが、開けたらダメだか、見たらダメというようなことを言っていたのだが、人の姿は自分の姿なのだ。
人のことをおかしいとか、これはやったらダメと思っている人も他の人から同じことを思われていたりするのだ。
動物は食べてはいけないとか、影で悪口を言うのはダメだなどと思っている人もいるわけだ。
エイちゃんは小野が私の悪口を言っているのを知っているだろうが、その悪口をダメだとは思っていなさそうだし、小野が私の悪口を言っていることや、外で猫を飼っていることは、やったらダメだと言ったことがあるのだろうか?
推測だけど、エイちゃんは外で猫を飼っていることをおかしいとは思っていなさそうだ。
外で猫を飼うことをおかしいと思っていたり、猫の糞尿に迷惑している人がいるが、それをやったらダメだと思っていない人はおかしいとは思わないのだ。同じことに対しても同じことは思っていないのだ。
私の母親づてに聞いたのだが、私の住んでいる近所に住んでいるおばあさんが、誰かの家で何かを取ったと言われていて、真偽は分からないが大勢が泥棒と呼んでいることをしたらしく、そのおばあさんが別のおばあさんの近くにいた時に、「何か物はなくなってないか」というようなことを言ったらしい。
物を取ったと言われているおばあさんのことを見下してバカにしているのだろう。
泥棒と言われている人を見下して蔑んでいる人はたくさんいるだろうが、
刑法違反のことをしていなくても、人や人間以外の動物が嫌がることなど誰でもしているし、外で飼っている猫の糞や尿に迷惑して嫌がっている人もいる。
泥棒と言われている近所のおばあさんや刑法違反している人とそれ以外の人の違いは、人が嫌がることや、誰かが悪いとか、ひどいと思っていることをしていても、刑法違反か刑法違反ではないかの違いだけで、
誰かが嫌がっていたり、迷惑していることをしている点では同じだ。
ほとんどの人は誰かをバカにして見下すこと外に出して言ったりしていて、刑法の侮辱罪を犯していても、この法律が適用されることなどほとんどない。
自分達は刑法違反などしていないと思っている人もたくさんいるのだろう。
自分や好きな人や多数派には甘い人が多く、頭が悪くてバカなところは誰にでもあることだろう。
以前、私が家にいる時に「入っちゃいけん」という小野の声が聞こえてきたのだが、猫によその家に入ったらダメということを言っているのだろうが、
うちの家の庭とかに猫は入ってきているが、小野は気づいていなさそうだ。
うちの家の庭とかに臭いうんこが何回もあったのだが、小野のところの外飼の猫のうんこではないかと思っている。
誰でも自分の不快な迷惑は意識しやすいが、他人の不快さはほとんど分からないだろうし、分かっても自分がひどいと思うことではなかったり、
嫌いな人や、どうでもいい人などが嫌がっていても他人事であり、どうでもいいことだろう。
数年前に私が家のリビングにいた時に、外から「不審者がいると犬が吠える」と小野の声が聞こえてきたことがある。
その当時うちの家にはダックスフンドの犬が一匹いて、ウンチをする前などににワンワン吠えていた。
小野が私が独り言を言っていることを見下して嫌っているのを不審者という言葉で言い表し、私のことを悪く言っていたと思っている。
知っている人のことも、知らない人のことも人のことなどほとんど分からなくて不審だが、多くの人はほとんどの人のことは不審者とは呼ばずに
気味悪がっていたり、悪者扱いしている人などの一部の人のことだけを不審者と呼ぶ人が多いだろうが、みんな不審者とも言えるのだ。
小野は自分のことを不審者とは呼んでいないだろうが、小野も不審者だとも言えるのだ。
小野にしろ、それ以外の人達も、自分が地球の一部に住みついていて、自分の個人情報をほとんどの人には言わずに隠していて、
人の悪口を言ったりなどして生きていることを、ほとんどの人に言う気もないだろうし、普段何をやって、何をして生きているのかを隠して生きている不審だとも言えるのだ。だからみんな不審者だとも言える。
みんな言葉を自分に都合よく使っているのだ。それはあいさつにおいても同じことだ。
以前、私が家にいて独り言を言っていない時に、外で鳥がキーキー鳴いてたら、外から小野が大声で「うるせーんじゃー」と言っていた。
小野は鳥にうるさいと言ったと私は思っているが、私の独り言だけではなくて鳥にもうるさいと言っているのだ。
小野が「男か女か分からんのがテレビに出ているのが気に入らん」と言っているのを聞いたこともある。
鳥に大声でうるさいと言っているのを他の人が知ったら、あの人頭おかしいとか、心狭いとか思う人もいるだろうが、小野が私をおかしい奴、異常だと思っているのは間違いないだろうが、自分も誰かがおかしいと思うことをしているのだ。
金でやっていく世の中に加担していることで、大勢の人が迷惑しているし、
年金を取るのも合法の不正だし、みんなが年金払いたいなどとは思っていないが、合法をいいことに老人たちは年金を貰い、人が嫌がることや、迷惑することをやっているのだ。
あの人のせいで迷惑していると思っている人も、自分も人や人間以外の生き物が嫌がることをしていて、他人の姿は自分の姿だ。
人間の中には黒人という理由で見下して、嫌う人もいるし、誰かの顔をブスと思い嫌がる人もいる。何を嫌がるかは人によって違うのだ。
小野が私の独り言を嫌がっていても、みんなが嫌がるわけではないだろう。
独り言を嫌がっていても、少し気味悪がる程度の人もいれば、小野みたいにすごい嫌がって嫌悪したり、嫌がらせをしてくる人もいるのだ。
2021年の5月のある日、私の意識に「腐心者(ふしんしゃ)」という言葉が突然出てきた。
心が腐っているというような言葉にどういう意味でも付けれるが、自分が人や人以外の生き物が嫌がることをしても許したり、悪く言わないのに、
自分が嫌がることをした人のことは許さなかったり、好きな人や仲間がやったら許すのに、それ以外の人なら許さないとか、刑法違反した人の一部のことは悪く言って叩くのに、刑法違反していても悪いと思わない場合は悪く言わないような差別している人は腐心者とも言える。
言葉は言葉遊びなのでどうにでも使えるものだ。
不審者と腐心者は同音異義だが、不審者という言葉の定義、意味付け自体が人によって違うから、不審者という言葉も同音異義だとも言える。
小野は自分の思っている私に対する悪口などを私の家の隣で大声で言っていたりして私に悪感情を持っているので、これは小野がやったのではないかと私が思っていることをここで書くことにする。
数年前に私の隣の職場のところの大きな窓の2か所が割れていた。この職場はエイちゃんが働いている所で、エイちゃんは以前はこの職場の隣の家に住んでいたが、今は近所の別の場所に家を建てて住んでいる。
小野は外で猫を飼っていて、小野の家の母屋から少し離れた所にある建物の外にエサを置いてあり、猫が来ていたのを私も見たことがある。
数年前にエイちゃんのお母さんが大きい声で「猫にエサやっちゃダメだ」と外で言っていたのだが、小野に対して言ったのだと思う。
窓が割れていたのは、小野が猫にエサをやったらダメと言われたことに不満を持ってやったのではないかと私は思っている。
私のこの推測が外れていても別に悪いとは思わない。私のこの推測が外れていようが、当たっていようが小野はいかにもガラが悪い人物だ。
ひどいと思うことをしていることをガラが悪いと言うならば誰でもガラが悪いとも言える。
例えば牛、豚、鶏などの動物を食べるのはひどい、かわいそうと思う人もいるが、多くの人はこれらの動物を食べることをひどいとは思っていないだろうが。
2021年の5月のある日曜日の夕方に私の住んでいる家の裏のところに私がいた時に、エイちゃんの声がして、何か喋っていたが初めの方は内容が聞こえなかったが、その後、「巻き込まれる」という声が聞こえた気がした。巻き込まれるの前に独り言と言っているようにも聞こえたが、
この時に聞こえた内容は私の聞き間違えの可能性もあるが、もし「独り言に巻き込まれる」ということを言っていたとするなら、エイちゃんは小野が私の独り言のせいで迷惑しているんだということを話題に出していた可能性もある。
生きていて誰かを巻き込んでいない人などいない。
あいさつを返させたいがために初めにあいさつをするのも、あいさつ返させたい相手を自分の信仰や欲求に巻き込んでいるとも言えるが、一般には巻き込みなどとは言われずに、常識や社会のルールなどと言って良い感じの言葉で言い表す人が多いだろう。
正しいと信じていることを他の人にやらせようとすることは巻き込みとは言われにくいのだ。
この人達は自分達やそれ以外の人などが出している車の走行音、車のドアを閉める音、誰かと喋っている声、エイちゃんの職場の音、近所で家を建てる音、雨の音、猫の声など、自分達は私の独り言よりも大きい音を出していても、ほとんどの音に不満はなくて問題視はしていないか、不満はあっても許容範囲内だろうに、私の独り言には不満を言ったり、見下したり、問題視していて差別をしているのだ。
差別していない人などいないが、この人達も差別者の意地悪ジジイ、意地悪老人だ。
私は以前は午前5時代や6時代には起きていないことが多かったのだが、2021年の時にはこの時間帯に起きていることが多くて、午前5時か、6時代に私の家の近くから車のドアを閉める音が連続して2回や3回聞こえて、それから数分経った時に、また連続して2回か3回ぐらい車のドアを閉める音が聞こえることが何度もあった。別の人が同じ時間帯に違う車に乗った時にドアを閉めているのではなくて、同じ人が連続してドアを閉めているような感じがしたのだが、初めに音がして、数分経って聞こえた連続してドアを閉める音も同じ人がやっているような気がした。
小野のところ以外の近所の人が、うちの家から聞こえる大きい音を出してドアを閉めることに不満を持っていて、音の嫌がらせをしてきているので、
朝の車のドアの音も、うちの家から出るドアの音に不満を持っている近所に住んでいる老人の別の所に住んでいる息子が
朝にドアを閉める嫌がらせをやっている可能性があると思っていたのだが、
2021年の5月ぐらいの午前6時前ぐらいに私の家の近くから車のドアを閉める音が何回も聞こえた後に私は庭に出て、音が聞こえた方を見たら軽自動車が小野の家の方から出てきた後、小野の家の方か、駐車場の方から乗用車が出てきたのだが、うちの家のドアを閉める音に不満を持っている人の車の色ではなかったので、その人が車のドアを閉めているのではないかもしれないと思った。
2021年6月6日に、朝に何回も車のドアを閉める音を出しているのは小野の息子かもしれないと思ったのだ。
その理由は、この日の朝7時代に車のドアを閉める音が、いつもよりもたくさん短時間の間に同じ方向から聞こえてきた。
その後、数時間後の午前中に私の家の近くから車のドアを閉める音が一回聞こえて、少ししてまた同じ方向から車のドアを閉める音がした。
私は母屋から離れている2階建ての建物の2階に行き、窓から小野の家の方を見たら、家の隣に乗用車が置いてあって、その車の運転席側に30代ぐらいの細身の男が一人いた。
この男が上の服を脱いで車の運転席のハンドルの上に服を置いた後にドアを閉めたりして、私が2階から見ている短時間の間に3回ぐらい運転席側の
ドアを閉めたのだ。ドアを連続して閉めたのではなくて、一回閉めた後に、次にドアを閉めるまでに少し時間が経ってから閉めていた。
この日の朝7時代に車のドアを何回も閉める音を出していたのも、この人ではないのかと思った。
小野の家の母屋から少し離れた所の建物に誰か住んでいるみたいで、小野の家の隣においてある車のドアを閉めていた人がそこに住んでいるのではないかと思っている。
私はこの人を小野の息子だと思っていて、小野から私の独り言のことを聞いていて、親が嫌がるようなことしているのが気に入らないと思い、
音の嫌がらせを私にするために車のドアを何回も閉めていると思っている。
この小野の家のすぐ隣においてある車から私の独り言よりも大きいドアを閉める音が短時間の間に何回もしても小野は不満を全く持っていないのか、
うるさいと思っていても許容範囲内なのだろうか?小野はドアを閉めている本人がいる所や、いない所で「何をバンバン、ドア閉めているんじゃ」とは言わないのだろうか?
私のことには、わざわざ家の中から出てきて、今まで何回か大声出して独り言で「何をごにょごにょ独り言言よーんじゃ」と言っていても、
他のほとんどの音に対しては不満を言ったりなどしていないのに、気に入らなくて受け付けないものには外で大声でケチをつけている。
2021年の1月に私の家の近くで、朝の6時代ぐらいに車のクラクションを数回立て続けに鳴らす音が聞こえたのだが、クラクションを間違って鳴らしていたのなら、数回もクラクションの音は聞こえないだろうから、
意図的にクラクションを鳴らしているとしか思えないが、このクラクションを鳴らしている人と、朝に連続2、3回車のドアを閉めているのは同じ人がやっていて、それは小野の子どもだと思っている。
2021年半ば頃の夕方ぐらいに、私の住んでいる家で、私の母親がスマホで大きい声で喋っていた時に、近距離の小野の家の方から大きい音で家のドアを閉める音が一回聞こえた。車のドアを閉める音ではないと思った。
私はその時間帯に家にいることが多いが、普段はドアを閉める音など聞こえない。
小野の息子が私の母親の喋る声を聞いて独り言だと思ったのか、独り言だと思っていなくても、自分の親が嫌っている人が住んでいる家から
声が聞こえてきて不快になり、不快になっているのを喋っている私の母親のせいだとでも思って、不快さを発散させるためか、
音で嫌な思いをさせるために一回ドアを閉めた可能性もあると思っている。
音で自分や家族が嫌がっているから、自分も嫌な音を出している人に音の嫌がらせをしてやろうと、車のドアを閉めるなどの大きい音で嫌がらせをすることで、その嫌がらせの音が家族や、嫌いではない他の人にも聞こえていることを分かっていて、音の嫌がらせをしているバカ低俗なことをしているのだ。独り言を言っている私が悪気があって独り言を言っているとは思っていなくても、自分が出している嫌がらせの音で独り言を言っている私に嫌がってほしいと思っているなら、嫌ではない近所の他の人や自分の家族にも嫌がらせの音が聞こえているなら、自分も同じようなことをしているようなものだ。
ネットで知ったのだが、近所の人の門を閉める音に手紙で音をどうにかしてほしいと言おうとしている人や、直接本人にドアを閉める音がうるさいと不満を言っている人がいるが、具体的に言葉で言っているのは分かりやすい。音が気に入らないからと、音で嫌がらせしてきて、はっきり言葉で言わない形でしつこい嫌がらせをしてくる人もいるのだ。
2021年の5月ぐらいの時に、私が家にいるときに、近所のイノウエというバアさんの声で「ほとんど毎日独り言を言っている」というような声が聞こえたのだが、隣人の小野かエイちゃんなどが直接か電話などで私の独り言のことをこの人に言ったのかもしれないと思った。
その後の2021年5月に私が家にいる時に、イノウエのバアさんの声で「ほったらかしにされている」というような声が聞こえた気がしたが、
聞き間違いではないならば、独り言をほとんど毎日言っていて、小野が嫌がっているのに独り言をほったらかしにされていているという意味で言っている可能性があると思った。
誰でも自分がやっていることは、ほったらかしにされていて、泳がされていて、野放しにされているところばかりだ。
褒められて高評価されているのも、一部の人が褒めていて、一部の人の利益になるようなことをしているだけで、他の誰かは嫌がっていて迷惑していたり、不正だと思っている場合もあるが、誰かが嫌がっていたり、正しくもない不正でも泳がされていて、ほったらかしにされているのだ。
このばあさんと、ばあさんの夫は私が初めにあいさつをしないことに悪態ついているが、それを誰かから否定されたり、不満を言われてはいないだろうから、その悪態をついていることに対して、ほったらかしにされていて泳がされているのだ。
私が独り言を言っているのは事実だが、家で言っている独り言のほとんどは外に聞こえているとは思わない。
小野はエイちゃんとかに、私がほとんどの独り言を言っているとウソを言っている可能性があると思っている。
私はほとんど毎日独り言など言っていないし、家で言っている独り言のほとんどは外には聞こえているとは思わないし、小野は私が言っていた独り言のほとんどなど聞いていないのに、事実に尾ひれを付けてウソを付き、自分が独り言のせいで迷惑して、苦しんでいると他の人に言っているんだろう。自分達も今まで生きてくる中で誰かが嫌がることをして生きてきているだろうけど、それに全く気付いていないのだろうか?
あいさつ信者は、あいさつが正しいことではないのに一度もあいさつについて否定的なことを言っている人の言い分を見聞したことがない人が多いだろうから、あいさつは正しいという信仰が泳がされていて、野放しにされて、放置されて、ほったらかしにされているのだ。
間違っていると思うことをやっていると思う人に対しては、本人を直接止めたり、影で不満を言い悪口を言ったりするが、自分が間違っているとは思わないことに対しては、止めたりはせずに、ほったらかしにするのだ。
誰かに対して、ほったらかしにされていて放置されていて、おかしいと思う人は自分も色んなことをほったらかしにされて泳がされているのだ。
団塊世代の老人について、団塊世代は人の言うことを聞かないとか、団塊世代にはオレ様が多いとか、団塊世代は頭おかしいと言っている人もいる。一方で団塊世代は頭いいと言っている人もいた。
団塊世代についてみんなが同じことを思っているわけではないが、
小野やエイちゃんと呼ばれている人や私の叔父や叔母などは団塊世代ぐらいの人だが、自分たちが人からどう思われているのかは長年生きてきてもあまり分かっていないだろう。
ほとんどの人は金でやっていく世の中が正しいと信じている金信者だろうが、金でやっていく世の中など不正であり、金でやっていく世の中で大勢が迷惑して苦しんでいる。
でも、自分たちほとんどの人は金社会で苦しんでいる人がいても関係ないと思っている人が多いだろう。
金でやっていく世の中をやったらダメとか、あいさつ返しをしろと押し付けたらダメとかはほとんどの人は思わないだろう。
あいさつでも同じことで、自分の思い道りにならないから不満や疑問を持ったり、気持ち悪がったりする。
自分が正しいと信じているところがあるのに、自分が正しいと思っている通りにならないから気に入らないのだ。
例外除いて逮捕されるようなことをやっていなかったり、自分がひどいと思うことをやっていないから、自分はおかしい人間ではないと思っている人がたくさんいるのだろうけど。
58.人が嫌がることをしている点ではあいさつ信者もレイプ、強姦、痴漢、痴女と同じだ
ある日、私の母親が夜に炊飯器にご飯が全くなかったのか、少ししかなかったのか、ごはんを炊き忘れていたということを喋っていて、
「気づいた時にやっておかないと」というようなことを言ったのだが、
私の母親だけではなく、他の人も以前に何かを思った時にすぐにそれをやっておけばよかったと思ったことがある人もいるだろうが、
思ったことをすぐやったり、言うことで周りの人から高評価されて褒められる場合もあるだろうが、逆に低評価される場合もあったり、
低評価する人と高評価する人の両方がいたりもするだろう。
周りの人以外の人の評価も含めると、同じことに対して人類全員が同じことを思うことはないだろう。
誰でも視野が狭いところがあり、全体性や総体性がなく、一部のことしか知らないのに人や物事に評価を下すのだ。
自分が正しいと信じていることがある人の多くは、自分と同じことを信じている人の言い分を持ち出して、いかに自分が正しいかを言うだろう。
より多くの人が自分と同じことを信じていると安心したり、自分たちの方が正しいと思うのだろう。
それが本当に正しいことならいいが、正しくもない間違っていることを正しい真実だとまかり通らせている場合がたくさんあるだろう。
人が嫌がることをやっているのは同じことなのに、多くの人はほとんどのことでは人が嫌がることをしても許したり、大したことではないと片付けるだろう。
嫌がられた方が悪くて問題があるとされる場合と、嫌がった方が問題があるとされる場合や、どちらにも問題があるとされる場合と、どちらにも問題がないとされる場合がある。
刑法違反は警察を呼ばれた場合、本人や他の人が逮捕をおかしいと思ったり、悪いと思っていなくても警察が強制で逮捕して牢屋にいれる。
ほとんどの法律や法律以外の決まりは守らなくても許されやすいし、不満を持たれたり、悪いと思われても逮捕されるようなことはないのだ。
だからみんな野放しにされていて、泳がされているところがあるのだ。強制で逮捕されるわけでもないし、大勢がやっていることはまかり通りやすいから、自分達がやっていることで誰かが嫌がっていて迷惑していても、ほとんどの人は逮捕などされないし犯罪者とも言われずに差別しているのだ。
同じことをやっても、自分や好きな人などがやれば迷惑だとは思わないか、大目に見て許すことも、他の人が同じことをしたら迷惑だと思い許さないような差別をしている場合もあるのだ。
人の体に触ったり、セックスしたりするのを片方が嫌がって警察を呼ぶと刑法違反で逮捕されて犯罪者などと言われる場合がある。
例外あれど、他人のお尻や性器や胸を触って、触られた方が嫌がったら警察を呼ばれたり、痴漢や痴女、変態、変質者などと言われたりする場合がある。
例外は結婚相手や交際相手が同じことしてきた場合は触られた方が嫌がっても痴漢、痴女と言われにくいだろうし、警察も呼ばれにくいだろう。
セックスをして相手が嫌がっていたらレイプや強姦などと言われたりするが、セックスをしたのがお互いが性的両思いなら警察も呼ばれないし、愛の確認だとか、恋愛とか、気の交流やコミニケーションなどと言われて良い感じに言われるのだ。
例外あれど、性的両思いでセックスしたり、キスしたり、抱きしめたり、手をつないだりすることをやれば素晴らしいものと高評価されたりする。
例外は結婚している人や交際している人が、結婚相手や交際相手以外の人とセックスしたり、キスしたりすることを良く思わない人もいる。
初めに嫌がった方が悪く言われる場合があるが、あいさつは違うところがあるのだ。
初めにあいさつをしてきた人にあいさつ返すことを嫌がっていると、例外あれど、嫌がった方が異常者のおかしい奴にされやすいだろう。
何でかというと答えは簡単で、大勢があいさつ信者であいさつ返すことが正しいと信じているからだ。
だから自分が正しいと信じていることをしない方が間違っていておかしいと不満を持ったり、気味悪がるから、あいさつ返さない方がおかしい人や異常者扱いされるのだ。
あいさつ非信者もいるし、あいさつ信者でも知らない人にはあいさつしなくてもいいというあいさつルールを信仰している人もいるわけだが、
あいさつにおいては、誰かがあいさつを嫌がっていても、相手が嫌がることをやった方は悪くは言われにくいのだ。
大勢と同じことをしておけば何とかなると、関わる気もない人や大切でもない人や軽視している人や好きでもな人や両思いでない人にあいさつする人が多いだろうが、あいさつを返されない人の方が不快な気持ちにさせられた被害者と思っている人もいるのだ。
あいさつもレイプや強姦、痴漢、痴女と同じようなところがあるのだ。
みんながあいさつしたいとは思っていないし、一部の人にはあいさつを初めにしたいとか、あいさつ返したいと思っている人も、誰にでもあいさつしたいとか、誰にでもあいさつ返したいなどとは思っていないのだ。
あいさつはコミニケーションのツールだと言う人がいるが、誰かが人に喋って、喋りかけられた相手が返答することや、人の体を触ることをコミニケーションと言うのならば、警察の職務質問や取り調べや、手錠をかけたり、腰縄をつけたり、不満を言い合うのも、レイプや痴漢もコミニケーションということになる。
適当な言葉の定義で大勢がやっていることや、自分がやっていることを美化して良く言いたいから、あいさつをコミニケーションなどと言う人がいるのだろう。自分が正しいと信じていることや、大勢がやっていることを美化して、綺麗事を言いたい人だったり、嫌がらせであいさつしている人がいるのを知らなかったり、あいさつを嫌がっている人がいるのを知らない人に、
あいさつを褒める人が多いと思う。
嫌々あいさつしたり、相手と関わりたいと思っていなくても、あいさつを正しいと信じていない人があいさつしても、コミニケーションなどといい、まるでみんなが同じ理由であいさつしているかのようにも思えるような言い方をするのだ。
あいさつを初めにする人は例外あれど、好きではない人や、嫌いなだけの人や、関わる気もない人や、どうでもいい人や、両思いではない人に
あいさつする場合が多いだろうが、そんな相手に気を使わせてあいさつ返ししてもらおうとしていることを、人間の正しさだと信じている人がいるのだ。
あいさつやあいさつ以外のことで人が嫌がることをしている点ではレイプや強姦、痴漢、痴女と言われている人と同じなのだ。
あいさつをするのを嫌がっているのにあいさつさせたがるのは、あいさつレイプ、あいさつ強姦、あいさつ痴漢、あいさつ痴女とも言える。
レイプや強姦、痴漢、痴女をしたと言われている人は、刑法違反で警察に逮捕されるようなことだから犯罪や犯罪者などとも呼ばれるが、
ほとんどのことは誰かが嫌がることをしても、刑法違反ではないから罪や犯罪とは言われにくいのだ。
他人の気持ちが分からないところがあり、人が嫌がることをしている点では同じなのに、大勢が正しいと信じていることや、大勢がしなければいけないと信じているあいさつなどのことは、誰かがあいさつ返しをすることを嫌がっていたり、あいさつを正しいと信じていなくても、
あいさつ返さない方が悪く言われたり、おかしい人間にされやすい。
レイプや痴漢と言われているものでは嫌がられている方が悪く言われるのに、オウム返しであいさつ返しさせるためにあいさつを初めにしてきた方に、あいさつされた人があいさつ返ししなかったり、会釈だけしたら、白眼視されたりして変な目で見られて、不満を持たれたり、
身体暴力をやってきたりして攻撃してくるのは、自分のあいさつ返しが正しい信仰がまかり通らないことで不満を持ち、
不満を持った理由をあいさつ返ししなかったり、会釈だけした人のせいにして自分が信じていることの方が正しいのだと自分のことを正当化させたいのだろう。
人が嫌がっているのにあいさつを求めることをあいさつレイプ、あいさつ強姦、あいさつ痴漢、あいさつ痴女と言ったが、内面レイプや、心レイプ、ハートレイプや、内面強姦や、心強姦や、内面痴漢や、内面痴女とも言えるし、信仰レイプとも言える。
自分が断定的や半信半疑に信じていることを人に押し付けることを常識や当たり前、躾、マナー、社会のルールなどと呼べば綺麗事にできて美化できるが、みんなが同じことなど信じていないのだ。
人が嫌がることを暴力と定義づければ、あいさつを嫌がっている人がいるし、みんながあいさつを正しいとは信じていないのだから、
あいさつは暴力やバイオレンスとも言える。常識という名の暴力とも言えるし、大勢が信じていることが正しいという多数派の暴力とも言える。
あいさつ信者は、あいさつ返しはしないといけないという信仰をあいさつ非信者にも押し付けているが、綺麗事や美化をする場合は、社会のルールやコミニケーション、常識やマナーなどと良く言って美化して、
大勢が信じていることや大勢がやっていることを良く言いたい人もいるのだろう。
あいさつ返されなかった方が被害者で、あいさつ返さなかった方がひどい加害者に仕立てている人もいるのだ。
あいさつは例外あれど、大勢と同じことをしない少数派(マイノリティー)が悪者、加害者にされやすいといういい例だろう。
自分や自分の仲間や善人と思っている人からあいさつされたら嬉しいだろ、光栄だろとでも言いたいのだろうか?
一般にレイプや痴漢などと言われていることについては、多くの人がひどいことだとか、性的両思いでもないのに性的なことはやったらだめだと思っているから悪く言われるが、あいさつを初めにしている人を悪く言う人や、あいさつを嫌がる人があまりいないであろう理由は、
人はみんなあいさつされたら、あいさつを返しをしたいと信じていると勝手に間違ったことを信じている人が多いのだろうし、あいさつを初めにされて嫌がっている人がいたり、あいさつ返しを正しいと信じていない人がいることを知らないのだ。
誰でも世の中のことも人間のことも知らないことだらけなのに、あまりそのことに気づいていない人もたくさんいるのだろう。
誰でも鈍いところや頭の悪いバカなところがあるのだ。
あいさつに対する信仰が真逆で、あいさつは正しいと信じている人と信じていない人がいて、同じことを信じていないのに、あいさつされたらみんながあいさつ返しをしなければいけないと信じているあいさつ信者は、あいさつ非信者や知らない人にあいさつしなくてもいいと信じているあいさつ信者の方の信仰を知らないのに、みんな自分と同じことを信じていると勘違いしているのだ。
同じことを信じていないことを信仰の両思いではないと言うとすれば、あいさつ返さない人に不満を持つ人や、初めにあいさつしないことに不満を持つ人は、一方的な片思いをしているとも言えるのだ。
あいさつにおいては信仰の両思いだと思っていて、自分と同じことをあいさつにおいては信じていると思っているから、絶対あいさつ返されると自信を持って知らない人や、仲良くもない知っている人にあいさつする人が多いのだろう。人間はみんなあいさつ返すのだという間違った信仰を持ち、自分の心が大切で、相手のことを分かっていないし、全く大切でもないか、ほとんど大切でもない人にあいさつしている場合が多いだろうけど。
もし、自分より相手が大切ならば、あいさつ返さなかったとか、初めにあいさつしなかったことで不満など持たない人の方が多いだろう。
今まで性的両思いだった恋人2人がいて、男が女の胸を揉んだら女から嫌がられて、その後も男がキスしようとしたら嫌がられたら、男の方が自分は今までは性的に受け入れられていて、女の方も性的なことで喜んでいたけど、
もう女の方は自分に性的な好意は持っていなくて、性的両思いではなくなったんだと気づいたようなものだろう。
何かについての経験があるという人も、一度か数回やっただけで、そんなにたくさんやったことはなかったり、同じことに対する経験がたくさんあるという人も、その経験を同じ人ばかりにやっているわけではないので、経験豊富というように言われている人が、その経験したことについて、必ずしも良く知っているとは言えないのだ。あいさつでいえば、
60代の人があいさつを子どもの時からやっていて、あいさつ歴は60年以上で、あいさつ経験が豊富だと言ったとしても、
実際はほとんどの人にはあいさつしてはいなくて、いつも大体決まった同じ人にばかりにあいさつしていて、たまに知らない人にあいさつしたことがあるだけで、ほとんどの人にあいさつしたこともないのだ。あいさつの経験が豊富な人ではなくて、あいさつ経験が少ない人とも言える。
自分が今まで数少なすぎる人にあいさつしてきたら、自分からあいさつされた人全員がオウム返しであいさつ返してきたから、
他の人もみんなオウム返しであいさつ返すと思った人もたくさんいるのだろう。
今まで1000回のあいさつをした人がいても、あいさつした人数は12人や25人や9人や42人にしかしたことがないようなものだ。
1000回のあいさつをしたから、1000人にあいさつしたということにはならない。
1000回のセックスをしたから、1000人とセックスしたということにはならない。
59.あおり挨拶
あおり運転と言われているものがあるが、前を走っている車の運転を遅いと思って不満を持った人や、信号が橙色で前の車が止まっている時にクラクションを何度も鳴らしたりしているのをあおり運転などと言うが、
あいさつもそれ以外のことも煽りなどたくさんあるのだが、「煽り(あおり)」という言葉で言い表していないだけなのだ。
親や先生などが子どもに、自分が正しいと信じていることや、正しいと信じてもいないのに親の見栄や体裁のためにあれをやれとか、これはやるなと言うと、しつけや教育、育てる、教えるなどという言葉で言われたりする場合が多いだろうが、言われた方の子どもは正しいと信じていないことを押しつけられたと思っている人もたくさんいるだろう。
自分が正しいと信じていることを人にやれと言うことを煽っているとは多くの人は言わない。
言葉の言い方として、何かをやれとか、やるなと言うことを煽りという人はあまりいないのだが、煽りとも言えるのだ。
間違っていることを言っていると思っても煽りとは言われにくい。
ごく一部のこととか、あおり運転といわれていることには、煽りという言葉を使うのだ。
あいさつも煽りと言えるが、学校で子どもにあいさつをしろと言うことを押し進めて、あいさつ返しをさせようとすることを、あいさつ運動と言っているのも「あおり挨拶運動」とか「あいさつが正しいことであると煽っている」とか「あいさつ返しをしろと煽る運動」とも言えるのだ。
人を自分の思い道理にさせたいと思っていたり、自分が正しいと信じていることを自分以外の人にも同じことを信じさせたいと思うことを煽りとは言わない人が多いのだ。
あおり運転の場合は、多くの人がそれをやらない方がいいと思っているだろうから、煽っているという言葉はおかしいとは思わない人が多いだろう。
私の家の近所のイノウエ夫婦があいさつを初めにされないことに不満を持っていることを私に直接言葉で言っていなくても、態度や目つきなどで私が初めにあいさつしないことに不満を持っているのは分かるわけだが、
ほとんどの人は、あいさつを初めにしろとは言っていないならば煽ってはいないと思うだろうが、言葉などは言葉遊びであり、自分達も適当に色んな言葉に勝手な定義、意味付けをしてい生きているのだ。
イノウエ夫婦のような感じの態度の人を、「無言の煽り」「静かな煽り」「サイレント煽り」「はっきり言わない煽り」という感じだ。
年金や税金払えとか、値段がついるいているものに金払えというのも煽りとは言われない。
年金や税金を払うことを正しいと信じていない人でも、「年金、税金払えと煽られた」とはほとんどの人は言わないだろう。
煽りなど誰でもやっているのだ。何を煽っているのか、どういう煽り方をしているのかが違うだけだ。
結局は目くそ鼻くそ、五十歩百歩で、まったく同じではないけれど似たようなものなのだ。
あいさつを初めにしてほしいとか、あいさつ返せと言葉で言っていようが、言っていなかろうが、一部の人にだけあいさつをさせたいと
多くの人が思っていることは同じだ。
あいさつしてほしい人が、自分にあいさつさせたい人があいさつしなかったことで不満を直接言っていても、内面で不満を持っているだけでも、
本人がいない所で他の人に不満を言っていても、言葉以外で悪態ついたり、いかにも不満持っているような
態度を取っているのも、不満の表し方が違うだけであいさつしないことに対して不満を持っているのは同じなのだ。
私が20代の時に、イズミヤの総菜で働いていたのだが、キョウさんと呼ばれている中年の女の人がいて、この人のいくつかの私に対する言動は、私のことをバカにして見下しているとしか思えない言動を取ってきていたが、
ある時、私の右側にキョウさんがいて、キョウさんが私に何か仕事のことを言った時に、私が無言で何も喋らなかったら、「返事せなあかんでー」と言っていたのだが、誰かだったら、返事をすることは人としてしなければいけないことと思うのだろうが、返事しないとダメだと返事しなかった人に不満を持った人は、誰に対しても、どんなことを喋られても返事しなければいけないなどと信じているわけがないのだ。
あいさつで言えば、誰にでもあいさつしてほしいと思っていなかったり、あいさつ返さなかったのが嫌いな人や、好きではない人ならば
許さなくても、好きな人や仲間ならば許したりするようなもので、
喋ったことに返事をしないことに不満を持つのも、以前から相手に不満を持っていて相手を見下していたり、仲間だと思っていない人だったり、
嫌いなだけの人だったりするから、返事をしなことに不満を持つ場合の方が多そうだ。
キョウさんが私に「返事せなあかんでー」と言ったのは私のことをバカにしていたり、格下に見ていて、仲間だと思っていないから
上から目線で言ってきたと思っている。この人を良く言いたい人は躾や教育とか、人間としての正しさを教えるために言ったと思うのだろうけど。
もし同じ状況下で、好きな人やこの人の家族が無言で返事しなくても同じことを言ったのだろうか?
別の日にキョウさんが天皇家の以前の天皇、皇后の娘のサーヤと呼ばれている人が結婚した時のことを話題に出していた。
一字一句はっきり覚えていないが、結婚式のサーヤの服装のことについて「あれ性格やで」とキョウさんが言った後に、
私の親と同い年ぐらいの団塊世代ぐらいのおばさんが、一字一句はっきり覚えていないが、「ああゆう立場の人だから、ごちゃごちゃ言われるやん」というような感じのことを言った後に、キョウさんは無言で黙っていて返事などしていなかった。
他人が喋ったことにキョウさんも他の人も絶対返事をしなければいけないとは思っているわけがないのだ。
天皇家の人のことについて、「ごちゃごちゃ言われるやん」と言った人の言いたいことは、天皇家の人がやることは税金から金を取っているので、
結婚式を派手にしたり、服を派手にしたりして金をたくさん使っているようなことすると、税金を使うことに誰かが不満をごちゃごちゃ言う人が出てくるから金をそんなに使えないだろと言うようなことを言いたかったのかなと思っている。
キョウさんは別の時にも、洗い物をするシンクの水が流れていくところの小さい受け皿に野菜くずとかが溜まったいた時に、
大声の金切り声で「何回言うたら分かるんやー」と私に不満を言ったのだ。私のことを仲間だと思っていなかったり、見下しているから、
以前、受け皿に溜まった物を捨てろと言った簡単なことが出来ていないことも気に入らないと思って怒鳴ったと思っている。
キョウさんは別の日に私に対して「お母さんの手伝いしてなかったみたいやな。」と言ってきたのだが、私のことをバカにしていて嫌味で言ったと思っている。
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