目次
第1章から第8章へのリンク
第9章から第10章へのリンク
第11章から第16章へのリンク
第17章へのリンク
第18章から第19章へのリンク
20.多くの人は人を無視をしたことがないと思っていそうだが、実際は無視しまくっているのだ
21.人のせいにする人たち
22.同じことを言い表すのに言葉を変えると印象が変わる
24.名誉棄損罪や侮辱罪という差別法の不正
第25章から第29章へのリンク
第30章へのリンク
第31章へのリンク
第32章から第34章へのリンク
第35章から第39章へのリンク
第40章から第41章へのリンク
第42章から第45章へのリンク
第46章へのリンク
第47章へのリンク
20.多くの人は人を無視をしたことがないと思っていそうだが、実際は無視しまくっているのだ
多くの人は自分は無視はしたことがないと思っているだろう。
それは無視という言葉の定義、意味付けを多くの人は、おかしいと思うことを喋りかけてきたりとか、大勢が返事をする必要がないと思うこと
などは例外として、喋りかけられたり、あいさつをされて返事、返答をした場合は無視ではないと思っているのだ。だから、関わる気もない人や、ほとんど興味もない人に初めにあいさつしたり、あいさつを返したり、喋りかけられて返事をしたから無視はしていないと、自分に都合のいい捉え方をするのだろう。下らない言葉遊びをしているだけだ。
関わる気もない人や、全くか、ほとんど興味がない人に形だけあいさつしたり、喋りかけたり、アメやお菓子や土産物をあげることを
高評価して良く言う人は、コミ二ケーション能力が高い、気遣い、思いやり、いい人と言う人もいるだろう。
こういう人を褒めている人は、全くか、ほとんど興味がない人に働きかけた人の方を良く言っても、働きかけられた人の心理や信仰心や体調などについては、全くか、ほとんど興味がない場合もあるだろう。
形だけの対応を嫌がる人もいるが、形だけで喋りかけられたり、あいさつされたことを嫌がっていることを分かっていなかったり、分かっていても
自分が形だけの働きかけをした人を素晴らしいと思うのならば褒めるのだろう。
あいさつを正しいと信じている人や、あいさつ返しを正しいと信じている人を私はあいさつ信者と呼んでいる。
あいさつ信者の中には、あいさつ返しをしなかった人に、初めにあいさつした人の存在を無視していると言って、あいさつを返さない人に不満を
持っている人がいるが、相手の姿は自分の姿で自分もあいさつを返さなかった人の心理や体調や信仰心などを無視しているし、それ以外の人や、色んなことを無視しているのだ。
あいさつ信者は例外除いて、大切ではない人や、どうでもいい人や嫌いなだけの人にあいさつしている場合が多いだろうが、
そんな大切ではない人に甘えて、絶対100%あいさつ返されると信じて勝手にあいさつをして、思い道りにあいさつを返されないと、
不満を持つのだ。自分が相手のことを全くか、ほとんど知らないし、全くか、ほとんど興味がないのに勝手にあいさつしたことを
問題視はせずに、我が身可愛さから、あいさつ返さなかった人のせいにする自分中心で相手のことを無視している人達だ。
でも、どうでもいいと思っている人や大切ではない人にあいさつを返させるために、初めにあいさつをしたから無視はしていない
と多くの人は思うのだろうが、相手の体調や心理や信仰心を全てか、ほとんど無視しているので、「無視している相手にあいさつした」とか
「相手のほとんどを知る気もなく無視しているが、形だけあいさつしたから、気を使って返してほしいと思っている。」とか、
「相手の全てに興味、関心はなくて無視しているけど、あいさつ返させたいから、表面的に形だけあいさつした」という感じだろう。
一方的に、あいさつが正しい信仰を相手に押し付けて、相手のことを考えていないとも言えるのだ。
それなのに自分のあいさつ信仰や欲求がまかり通らないと不満を持ったり、見下したり、怒り出したりする人もいる。
以前、ネットで外国の宿泊施設に行った日本人の人が受付の人について「なんで暗い人を雇っているのか」というようなことを書いていた。
受付の人に暗い人以外の人を求めているのに、自分の望まない人が受付にいるから不満や疑問を持ったのだろう。
他の人も接客業の人や、それ以外でも暗い雰囲気の人よりも、明るい雰囲気の人の方を好む人の方が多いだろう。
暗いと思う人が生きていてもいいけど、接客業では働いてほしくなくて、裏方の仕事をしてほしいと思っている人もいるだろうが、
あいさつでも同じで、自分の思い道りになってほしいから、ごく一部の人にあいさつをすることを求め、自分の思い道りにあいさつをされないから
不満や疑問を持つ。
あいさつすることを必要最低限の関りなどと言う人もいるだろうが、関わる気もない人や、どうでもいい人にあいさつ返しを求めて一方的にあいさつを初めにすることを、あいさつ返させたい人に対する気づかいと言えばカッコが付くだろうが、あいさつを初めにして、あいさつ返させたい人に
自分に合わせてあいさつを返してほしいと無言で押し付けているのは、自分に気を使っているとも言えるのだ。
あいさつ返しが正しいと勝手に信じて、自分の信じていることや欲求がまかり通らなかったことに不満を持ち、不満を持ったことを
あいさつ返さない人のせいにする冷酷な悪魔さを持っているが、自分可愛さから自分のことを問題視しない人が多いのだろう。
みんながあいさつ返しが正しいと信じているのだと信じ、どうでもいい人や大切ではない人などに、初めにあいさつして、相手が自分の言いなりにならずに、あいさつを返さないと不満を持ったり、無視されたと思う人もいるのだ。
みんながあいさつ返しを正しいとは信じていないことを知らない人が多いだろうが、同じ人間だと思っていないのに、あいさつや一部のことでは、みんなが同じことを信じていると勝手に信じて、知ったかぶっていて、他人が本当は何を信じているのかをほとんど知らないし、全くか、ほとんど知る気もないのにあいさつをしたり、喋りかけたから、相手を無視していないと多くの人は思うのだろう。
あいさつはコミニケーションや社会のルールなどと言う人は綺麗事を言っているのだ。全然知らない人や、大切ではない人を自分の思い道りに
あいさつを返させたいと思い、自分の信仰や欲求を相手に押し付けていて支配的、独裁的とも言えるのだ。
人類総あいさつ信者にさせたい人がたくさんいるのだろう。
あいさつ信者は他人の心理や気持ちより、自分の心理や気持ち、自分が感じたことが大切なところがあるのだろう。
自分があいさつ返しを正しいと信じているから、他の人も同じことを信じていると思っているところもあるのだろう。
あいさつや、あいさつ以外のことでも、自分が無視されたらどう思うなどと言って不満を持つ人も、不満を持った相手や他の人達を無視しまくっているのだ。
他人の姿は自分の姿で、例外除いて、あいさつを返させたいと思っている相手のことを大切でもない、どうでもいい人だと軽く見て軽視しているから、
その軽視している相手があいさつを返さないから許さないのだろう。
自分が誰かを軽視したり、無視することは許すけど、他の人なら許さない場合があり、我が身が可愛くて、自分に甘いところがあるのだ。
ほとんどの人に興味がない人が多いだろうに、全くか、ほとんど興味がない人のことを勝手に決めつけて、みんながあいさつ返すと信じる自由はあるが、あいさつ返させたい相手を大切だとは思っていない場合が多いから、
相手があいさつを返さない自由は許さない冷酷さがある。
あいさつ信者の中に、あいさつ返さない理由を、あいさつを初めにした人を嫌っているからとか、要領が悪い人だと、あいさつを返さない人を問題視している人がいる。
あいさつを返させたくて、大切ではない人や、初対面の人、どうでもいい人などにあいさつを返させたいと思っているあいさつ信者は人の気持ちや信仰心が分からないところがあり鈍く、一方的で、人のことを考えていないところがあり、頭が悪いバカなところがあるとも言える。
あいさつを返さない人に要領が悪いと言っているのも、例外あれど、あいさつ返させたい相手のことを大切だとも思っていないし、
どうでもいい人、自分にとって要らない人とか、嫌いなだけの人にあいさつを返させたいから、こういう人達が自分達の言いなりにならずに、
あいさつを返さなかったら許されずに嫌われたりするのを分かっていないんだとでも思っているのだろうが、あいさつ信者は、あいさつを返させたい人の全てか、ほとんどを分かっていなくて、無視しているところがあるのに、自分と同じことを信じているあいさつ信者の方を問題視はせずに、少数派のあいさつ返しをしない人を悪く言ったりして問題視するのだろう。他人の姿は自分の姿で、人のことを要領が悪いと思うのは自分にも、
そういうところがあるからだ。あいさつを返さない人の気持ちや心理や信仰心を知る気もなくて、あいさつ返しをしなかった人のことを知ろうとしていなくて要領が悪いとか、相手のことを知らないところがあるのに、相手にあいさつ返しを絶対にされると信じて、勝手にあいさつしていることを要領が悪いとは言わずに多数派のことは問題視しにくいのだろう。
上の立場の権力者から嫌われて殺されたり、迫害されたり、牢屋に入れられた人に対して、嫌でも権力者に従って合わせていればそんなことされないのに、要領が悪いと言っているような感じでもある。
「大勢と同じことしたらいいだろう。形だけでも、嫌々でも大勢と同じようにあいさつ返していれば、あいさつ返さなかったことで、
白眼視されて変な目で見られたり、バカにされたり、見下されたりすることもなかったのにね」と思っている人もいるのだろう。
世の中に本や雑誌などがたくさんあることを知っている人は多いだろうが、多くの人はほとんどの雑誌や本を読む気もないだろうし、
ほとんどのブログやSNSを読む気もないだろうし、ほとんどのネットの動画やテレビ番組などを視聴する気もないだろうが、ほとんどのことに興味や関心を持たずに無視しているとは、ほとんどの人は言わないだろう。
誰かの自伝本を全くか、ほとんど読まないことに、その本を書いている人や、その人の人生や、その本を無視しているとは、ほとんどの人は言わないだろう。
本を読みたくない人に無理やり本を読めと押し付けてはいけないと思う人の中には、あいさつを返さない人のことは劣った人間だとか、
ダメ人間だとか思ったり、あいさつ返しはしないといけないと思う人もいるだろう。
あいさつ信者の中には世の中や人のことをほとんど知らなくてもいいと思っている人が、あいさつを初めにされたら絶対にオウム返しで
あいさつを返さなければいけないとか、最低限会釈しないければいけないと勝手に信じている人もいるだろう。
自分達はほとんどのことを知らなくてもいいと信じていながら、あいさつでは、あいさつされたら絶対にあいさつ返しをしなければいけない、
そのあいさつ返しはオウム返しでなければいけないと、あいさつを返させたい人に求めている人は、自分達があいさつを返されたいという気持ちを知ってもらって、知るだけではなくて自分達に合わせて、あいさつを返すべきだと思っていても、自分は相手のことを全くか、ほとんど知る気もなく、自分勝手で独裁的、支配的なところがあるのだ。
言葉を自分に都合のいいように使い、返事をしたり、喋りかけたから無視してはいないと都合よく思う人がたくさんいるだろう。
あいさつ信者の中には、あいさつ返されないと、あいさつ返しは正しいという信仰が無視されて、自分の信仰が裏切られたと不満を持つあいさつ信者もいるだろう。
あいさつ返しが正しいという根拠はどこにもないが、あいさつを初めにしたら必発百中でオウム返しされた経験がある人が多く、みんながあいさつ返しをすると信じた人が多いのだろう。信仰心を常識や社会のルールやコミニケーションなどと言い正当化させてウソをついているのだ。
あいさつ信者は関わる気もない人や興味がない人などに、形だけのことをして自己満足しているだけの人が多いだろうし、あいさつ返させたい人や、それ以外の人が何を思っているのかに、ほとんど興味がない人が多いだろう。
言葉を交わす、あいさつを交わすなどと言えばカッコが付くのだろうが、あいさつ信者は相手のあいさつに対する信仰、心理、気持ちを知ろうとはせずに、形だけ大勢と同じことをやらせたがったりする。あいさつなどで言葉と言葉で関わったと自己満足しても、相手が何であいさつしたのかの心理に興味がない人も多いだろうし、相手の心理を分かっていなくても、あいさつされたのは自分が嫌われていないからだと勝手に信じる人もいるのだ。
自分に合わせて従ってほしいという支配的、独裁的なことを、同じことを大勢がやったり、大勢が正しいと信じていれば常識、社会のルールなどと
良く言い、さも人間として正しいことであるように言いたいのだろう。
金でやっていく世の中でも、多くの人は金信者だろうから、値段ついているものに金を払わない人や、税金、年金を払わない人を間違っていることをしていると思い、止めてきても、自分達金信者は金でやっていく世の中を辞めようとはしない。自分と同じ信仰を持っていない人を無視しているのだ。
金信者の方は自分達が正しいのに、正しいことが無視されたと思っているのだろう。
ゴキブリや蚊やハエを殺すことを、これらの生物を無視しているとは多くの人は言わないだろうが、これらの生物の存在を無視しているとも言える。
それこそ、自分や善人だと思う人が同じことをされたら不満を持ち叩いても、ゴキブリや蚊やハエなどの生物を人間と同じだとは思っていないのだ。
人間のことも同じ人間だと思っていないのだ。
性は秘め事と言うが、多くの人は性的なことでセックスやオナニーなどのことについて誰かから聞かれても返事をせずに無言でも許したりするだろうが、大勢が返事をしなければいけないと思っていることに答えないと不満を持ったり、変わっているなどと思われやすいのだ。
例外あれど大勢と同じことをしないから叩くのだ。自分の性的なことは、ほとんどの人か、誰にも知られたくない人が多いだろうから、
自分の性的なことは知られずに無視されてもいいのだ。逆に自分の性的なことについて興味を持たれて聞かれることを嫌がる人の方が多いだろう。
あいさつを返させたいから初対面の人や、大切ではない人、仲良くない人にあいさつしても、あいさつ返させたい相手に自分の住所や性的なことや、自分についての色んなことを知られたいとは思っていない人が多いだろうに、
あいさつする人をコミ二ケーション能力が高いなどと言うバカな間違ったことを言う人もいるのだ。
自分のほとんどのことを知ってほしくないと思っていて、関わる気もない人や大切ではない人にあいさつをすることを触れ合いと
言う人もいるが、ほとんどのことで触れ合いたいとも思っていないのだ。自分が許可したことでしか関わりたいと思っていない人を、あいさつしただけで社交や交流やコミニケーションしたなどと言うのだろう。
自分達のほとんどのことを知られたくない人はたくさんいるだろうに、あいさつやそれ以外の一部のことで、関わる気もない人や興味もない人や、少ししか興味がない人に喋りかけたり、アメやお菓子をあげたりして、表面的な関りをしたり、一部のことで関わっているだけなのだ。
あいさつを返されたいのに返されないから無視されたと思っている人は、自分のほとんどの気持ちや信仰心や住所などをあいさつを返さなかった人に知られたいとは思わずに、自分のほとんどのことについては知られずに無視されていいと思っているだろうから自己中心的で我がままなのだ。
子どもの時からごく一部の大切ではない人や、どうでもいい人や関わる気もない人の中の一部の人に気分次第や、自分の都合であいさつ返しを求めて、
勝手なあいさつをやり続けて、逮捕みたいに強制で捕まえられることもないし、止められずに、不満も言われなかった人が多いだろうから、
あいさつが正しいと信じ切って、間違った信仰を持っているのだ。
ほとんどのことに対しては、断ることや拒否することを許すのに、あいさつや、それ以外の一部のことには断ることを許さない人もいるのだ。
初めにあいさつしたら、あいさつされた人は絶対にオウム返しであいさつを返すと信じている人がたくさんいるだろうが、
相手をオウム返しであいさつ返すロボットとでも思っているような感じだ。初めにあいさつしたら、毎回絶対オウム返しが返ってくると勝手に信じ切っている人がいて勘違いしている人がいるのだ。
あいさつをされた人が言葉で「私はあいさつ返しませんので」とか「私はあいさつ返しが正しいとは信じていませんから」とか
「知らない人にはあいさつしなくてもいいというあいさつルールを信じていますので」と初めにあいさつしてきた人に言っても、無言でその場を去っても、会釈だけしても、不満を持つ人は不満を持つのだ。
オウム返しであいさつを返させたいと思っている人は、あいさつ返しをさせたい人が無反応以外の会釈などをしても、オウム返し以外の反応をすれば、
自分の思い道りにならなかったので不満や疑問を持つのだ。
こういう人たちは、あいさつ返しはオウム返しが正しいという信仰を持っているので、自分の信仰が無視されて裏切られたと思っているのだろう。
無反応だと無視だと言われやすいだろうが、会釈や、どうもと言ったりしても、自分の思い道りにオウム返しされないと不満や疑問を持つ人もいるのだ。
あいさつを返さない人は、あいさつを学んでこなかったんですよと言っているバカな人がいたが、こういう人も、みんながあいさつ返しを正しいと信じていないということを学んでこずに、知らずに生きてきたのだろう。
大切ではない人に対して、あいさつで相手してやったのだから、あいさつ返せよと思っている人もいるだろう。
自分があいさつを返させたい人の全てか、ほとんどを知らなかったり、知る気もなく、あいさつを返させたい人のことを知らずに学んでこずに、
自分や自分と同じことを信じている人には甘いのだ。
だから、あいさつは正しいことではない異常なカルト宗教とも言える。
昔から人は自分が気に入らない人を殺したり、迫害したり、牢屋に入れたり、嫌がらせしたり、見下したり、嫌ったり、死んでほしがったりしてきているが、それは今でも同じだ。
あいさつ信者は、勝手に正しくもないあいさつ返しを正しいと信じて、ごく一部の人にだけあいさつ返しを求めて勝手にあいさつして、
あいさつを返させたい人の信仰心や心理、気持ち、体調に何の考慮もしておらず、一方的にあいさつしている場合があるのは、
あいさつは王様ゲームみたいでもある。王様の命令、指示に従わなければいけないように、初めにあいさつした人の多くはあいさつ返しをされたくて、あいさつをしてくるのだから、初めにあいさつしてきた人に従って、合わせて、あいさつを返さなければいけないと多くの人が信じているのだが、
大勢があいさつを、おかしいとか間違っているとは思っていないので、命令や指図とは言わなくて、あいさつを返さない人の方が間違っていると思われやすいのだ。
大切ではない、どうでもいいと思っている人などを自分の言いなりにさせたい支配のためのあいさつになっているところがある。
あいさつを返されなくて嫌な気持ちになり、嫌な気持ちになったのを、あいさつ返さなかった人のせいにするバカ低俗なあいさつ信者の人もいるのだ。
あいさつを返されないことで不快になったのをあいさつを返さない人のせいにしたり、あいさつを返さなかった人に不満を言ったり、嫌がらせをしたり、殴ったりする人を、悪徳あいさつ信者や、悪質あいさつ信者や、冷酷なあいさつ信者、悪魔のあいさつ信者などと呼んでいる。
例外除いて、あいさつを返させたい人のことを大切と思っていなかったり、関わる気もなかったり、どうでもいいと思っていて、軽く見て軽視
している人に対して、勝手にあいさつ返しを求め、相手があいさつを返さないことに不満を持つ冷酷さを持っているのだ。
冷酷、冷たいところがあることを悪魔という言葉で言えば、誰でも冷たい悪魔さはあるのだ。
あいさつは社会のルールなどと何が言いたいのかはっきり言わない言い方をして誤魔化しているが、自分独自のあいさつルールを決めて
あいさつをしていることを、自分が勝手に決めたルールとか、自分が正しいと信じているルールとは言わずに、いい加減なことを言っているのだ。
あいさつ信者は今まで生きてきて、身の周りにいるほとんどの人は自分にあいさつしなくてもいいと許し、自分独自のあいさつの決まりを作り、
ごく一部の人にだけあいさつ返しを求めてきたのだろう。
自分達が何でごく一部の人にだけあいさつ返しを求めているのかの理由、目的、動機を隠している人が多いだろうけど。
あいさつ返さなかった人に愚問の疑問を持ち、何であいさつしなかったと思ったり、言う人が、自分達がほとんどの人にあいさつしないことや、
一部の人にだけあいさつを返させたいことに対する疑問は持たないのは、あいさつ返しは根拠がなくても絶対に正しいと信じていて、
自分が感じたことが大切なんだろう。
あいさつ信者が多くて、あいさつを一部の人にだけする人がたくさんいて、それが多くの人に許されているのは、あいさつ信者があいさつを正しいと信じていない人がいることや、あいさつを嫌がっている人がいるのを知らない人が多いからだろう。
あいさつのことを、あいさつの押し売りと言う人がいるが、日本人も外国人も多くの人はこの言葉を聞いたことも、読んだこともなく見聞したことがない人が多いと思う。
あいさつの押し売りという言葉は、どう見てもあいさつを良くは言っていないが、もしこの言葉を知っていたら、あいさつを嫌がっている人がいるということが分かるだろうから、あいさつ返しを求めてあいさつする人はほとんどいなくなると思う。
自分の一部のことについては知ってほしい人が、相手のことは全くか、ほとんど知る気もなく、あいさつが正しいとは信じていない人や、
知らない人にはあいさつしなくてもいいという信仰を持っている人がいることを知らないのに、勝手に人にあいさつしていることを、あいさつした相手を無視しているとは言わずに、コミニケーションや社会のルールなどと良く言い、自分達が一部の人にだけあいさつをしてほしい目的や動機をや信仰心を隠しているのだ。
学校であいさつ運動をやっているところもあるが、誰かが学校のことを、学校という洗脳教育機関と言っていたが、そんな感じだ。
同じ年齢の人が同じ授業を受けて、テストの点数も平均点ぐらいは取れないとダメと思っている人も多いだろうが、一部の大人が決めたことに従って、
例外あれど、大勢と同じことをしなければいけないという押し付けをしているのだ。学校のあいさつ運動は、あいさつが正しいと信じている一部の先生の「あいさつしろよ」とか「あいさつ返すのが正しいから、あいさつ返しをしろよ」という、あいさつが正しい信仰の押し売り、押し付けなのだ。
あいさつをしている人たちは、子どもも大人もほとんどの人にあいさつなどしておらず、自分があいさつを返させたい一部の人にだけあいさつしているだけだ。
子どもも小さい時から、人のことが分からない鈍いところがあり、みんながあいさつを正しいとは信じていないことが分からないところがあるのだ。
人が嫌がることや、差別しているのを罪と言うとすれば、みんな罪がある罪人だ。
あいさつを返さない人はあいさつを返されたい人を無視したひどい人で、人が嫌がる態度を取ったから罪人だというとすれば、
あいさつ返させたい人も、例外あれど大切ではないごく一部の人にだけあいさつ返しを求めてあいさつをしていることも、
あいさつ返させたい人があいさつをしたくなかったり、嫌がっている場合もあるのに、あいさつ返しを強要していて罪がある罪人だということになるし、あいさつを返さないのが子どもや好きな人ならば許すのに、それ以外の人ならば許さないことは差別している差別罪で、
その差別をしている人は差別犯罪者とも言える。
どうでもいい人や嫌いなだけの人に、あいさつ返しを求めてあいさつしたことを、気を使ってあげて良いことをしたのだと言えば綺麗事になるし、美化できて、多数派を褒め称えて良く言うことは出来る。
あいさつ信者の中には、誰があいさつしなくても、あいさつを返さない人を見下さない人や、嫌わない人もいるだろう。
影で不満を言ったり、書くぐらいの人や、本人のいる所で不満を言う人や、嫌がらせしたり、身体暴力をやる人もいる。
その人がどんな人間なのかが、あいさつを返されないという同じ態度を取られた時に表れているのだ。
黒人という理由で嫌ったり、見下す人がいるが、ほとんどの人は黒人という理由で見下したり、嫌ったりはしない。
あいさつを返さない人に対して、悪い意味で差別していて、見下している人がいるのだ。
自分の思い道りにあいさつを返されなくて、不満を持つ人や、本人の目の前で遠回しや直接的に不満を言う人や、嫌がらせする人は程度が低く、レベルが低いのだ。
あいさつを返さない人をダメ人間だと見下している人が、自分もそんな人間なのだ。だから他人の姿は自分の姿なのだ。
金でやっていく世の中をやっているのも、こんな世の中自体が程度が低いのだ。低俗な金社会なのだ。
金を払わない人を見下している人も、悪い意味で差別をしていて、低俗な差別をしているのだ。
多くの人は、ほとんどの人や物事に興味などないだろうし、知ろうともしていなくて、ほとんどのことを無視しているし、自分達の全てを知られたいなどとは思っていない人が多いだろうし、自分達の知られたくないところは無視してほしいくせに、自分が他人に自分の一部を知ってほしいところを無視されると不満を持つ。我が身可愛さ、自分可愛さから嫌な気持ちになりたくないのだ。
あいさつを大切ではない一部の人にさせたいという欲求を持ち、言葉ではっきり言わなくても自分に合わせて従って、
あいさつを返してほしいと思い、あいさつのことにおいては自分の欲求を無視されたくないと思っている人がたくさんいるのだ。
あいさつとは、大勢が同じことを信じていて、同じ欲求を持っていると許されやすく、甘やかされやすいといういい例だろう。
それは金でやっていく世の中も同じことで、大勢が感じていることや、やっていることは例外あれど正しいと信じているから、大勢から許されているのだ。
全てのものが本来値段などついていないし、税金、年金というものが元々はないのに、自分達が正しいと信じていれば、
これらのウソの間違っていることも正当化させているのだ。
21.人のせいにする人たち
金でやっていく世の中で、金のことで苦しんでいるのが闇の勢力のせいであると信じている人がいる。
一部の人たちが闇の勢力の人で、その人たちのせいで金でやっていく世の中があるかのように思っている人が、物やサービスに値段を付けたり、値段がついているものに金を払わない人を逮捕することを、やってもいいことであると思っている人がいる。
金でやっていく世の中が正しいと多くの人が信じているが、それが正しい根拠や裏付けはないが、大勢が加担しているのと、逮捕にはならないから正しいと信じている人が多いのだろう。適当でいい加減なことしているのだが、
給料や印税を貰うようなことしている人(大勢が仕事と言っていることをしている人)は人への貢献をしている、社会への貢献をしているなどと良く言う人がいるが、本当に、みんなで助け合いをして貢献しているのならば、金でやっていく世の中などやっているわけがない。
金でやっていく世の中で大勢が苦しんでいることを、一部の人のせいなのだと信じ込んでいる人は、普通の人や、一般人、いい人と言われている人たちが、みんなで助けあいをしていないことについては触れなかったり、みんなで助け合いをしていないのに、金でやっていく世の中をやっていることが助け合いだと信じている人がいるのだ。
闇の勢力と呼んでいる一部の人を問題視している人も、
本来、全ての物やサービスや土地に値段が付いていないのに値段を付けたり、何もないところに税金や年金や罰金などを取る決まりを作って、それをまかり通らせているが、これらは全て正しくもない不正だが、法律の刑法上では違法ではないので、警察を呼んでも捕まりはしない。
これから詐欺や不正をしてきた人たちが罰せられると言っている人がいるが、金でやっていく世の中自体が不正の詐欺社会なのだ。
金社会で苦しんでいる人がいることを、闇の勢力や、刑法で詐欺罪で捕まるようなことをした人や、刑法違反ではなくても自分が気に入らない値段を付けている商品を売っている人に悪質商法や霊感商法や、ぼったくりなどと言って悪く言っている人がいるが、他人の姿は自分の姿で、
金でやっていく世の中自体が不正であり、全てのものには本来値段などついていないのだから、値段を付けているものなど全て詐欺であることに気づいていないのだ。
詐欺をしている人が罰せられるなどと言っている人も詐欺を正当化させていて、金でやっていく世の中という詐欺社会を正当化させているが、
大勢が値段を付けていることに納得しているものには詐欺とは言わないのだろう。多数派に甘いのだ。
罰金というおかしな不正を法律で合法でまかり通らせているが、不正をやった人に罰金を取ることが正しいことだと信じている人もいるのだろうが、
金でやっていく世の中自体が不正で、多くの人はこの金社会を正しいと信じて不正に加担しているのだ。
闇の勢力と呼んでいる人のことは、おかしい人たちとか、正しくないことをやっている人達と言いたいのだろうが、正しくない不正など誰でもやっていることであり、誰でもおかしい人だとも言えるし、
おかしいことや不正をやっている人を闇の勢力と呼ぶのならば、みんな闇の勢力と言えるのだが、大勢がやっていることは正しいことだと信じている人がたくさんいるので、大勢と同じことをしていると不正だと思いにくいのだろう。
大勢と同じことをしない人のほうが叩かれて、悪く言われやすいのだ
子どもは正しいことが見抜けると信じている人もいるだろうが、子どもの多くも金でやっていく世の中が正しいと信じている人はたくさんいるだろう。
その証拠に、スリや詐欺と言われている人や、値段ついているものに金を払わない人を泥棒などと言い悪く思っている子どもがいるのは、
金でやっていく世の中が不正だと見抜けていない鈍いところがあるからだ。
値段がついているものに金を払わない人を叩くのは、大勢が色んなものに値段を付けて、値段が付いているものに金を払うことを正しいと信じている金信者の方が多いからだろう。
もし、ほとんどの人が金でやっていく世の中が間違っているとか、おかしいと思っているならば、金を使わずにみんなで助け合おうとするような活動を昔からやっているだろうし、金でやっていく世の中はおかしいと大勢の人が声をあげるだろうが、金信者の方が多いから、金でやっていく世の中をなくそうとは思わないのだろう。
金でやっていく世の中で苦しんでいるのは一部の人たちのせいで、ほとんどの人には問題がないと信じている人がたくさんいるのだろう。
スリ、詐欺、万引き、窃盗、泥棒などと呼んでいる人が出てくるのは、みんなで助け合いをしていないことの表れだろう。
みんなで助け合いをしているのならば、金でやっていく世の中をやっているわけがない。
全然関係のない他人だと思っている人などに、自分達が作ったものを与えてあげるから金を払えという決まりを正しいと信仰するのも、
ほとんどの人を仲間とか、大切だとは思っていないからだ。
金でやっていく世の中があるのは、「私たちはみんなで助け合いをしていませんよ」と、遠回しに言っているようなものだ。
金でやっていく世の中をこれからも続けていこうとしている人が多いだろうが、それもほとんどの人を仲間だとか大切だとは思っていないからだろう。
金を払わないことで人のことを逮捕して、人によっては子どもや自分や仲間だったら逮捕せずに許すようなことをする差別をして、
逮捕した理由を法律で決まっているから逮捕したなどと言うのだろう。
逮捕することを罰とか、罰せられるなどと言い、自分たちが金でやっていく世の中や、それ以外のことでも不正をやっていることは悪くは言わなかったり、不正をしていること自体に気づいていなかったりする。
刑法違反をしている人を逮捕させたがる理由に、牢屋にいれて苦しめさせたがったり、人から見下されたり、バカにさせたいから逮捕させたい人もいるだろう。金でやっていく世の中で多くの人が苦しんでいることは、
その人たちを悪人だと思っていない場合は一部の少数派のせいにして、ほとんどの人には問題があるとは思っていない。
金でやっていく世の中を正しいと信じて、うまくいかないことを例外あれど少数派のせいにして、人のせいにしているのだ。
22.同じことを言い表すのに言葉を変えると印象が変わる
人の体や心理、精神、言動などで、おかしいと思うことや間違っていると思うことや正常ではないと思っている人に関することで、病気、障害、
禁断症状、中毒の人などと言ったり、それをなくそうとすることを、治すなどと言ったりする。
金でやっていく世の中は間違っていて、正しくもない不正だが、
金を使って生きている人や、金でやっていく世の中、社会を「金中毒」だとか「金を使わないと生きていけない病」とか「金がないと生きていけない障害」「金でやっていく世の中を正しいと信じている障害」とか、金でやっていく世の中が正しいと信じている人を「金でやっていく世の中が正しいと信じている精神病」とか「正しくないことを信じている病」とか言ったりするわけではない。
大概のことは少数派(マイノリティー)が問題視されて、
給料や印税という形で金を貰うようなことをしていない人や、値段がついているものに金払わない人や、税金、年金を払わない人などの少数派が悪く言われたりして叩かれたり、攻撃されたりする。
私は精神病とか、心の病と言われているのものを信じていない。一部の人がおかしいと思う人の中の一部の人のことに、精神病や人格障害や心の病などと言っているだけだ。
一部の人がおかしいと思っていることを精神病や人格障害と言っているのを真似して、無理やり私がおかしいと思うことの一部を病気や人格障害という言葉で言い表してみる。
あいさつは正しくもないが、大勢の人があいさつ返しを正しいと信じているあいさつ信者だが、みんなが正しいと信じてはいないし、ヘレンケラーみたいな人もいるのに、そういう人がいることを知らないあいさつ信者で、
あいさつを返さない人に不満を持ったり、不満を言ってきたり、嫌がらせしてきたり、殴ったりする人のことは、「正しくもないことを正しいと信じている人格障害」「傲慢人格障害」とか「高慢人格障害」とか「心が狭い精神病」とか、子どもや好きな人があいさつしないことは許し、それ以外の人が
あいさつしないことを許さない人をは「差別人格障害」「差別精神病」という感じだ。
おかしいと思われているところなど誰にでもあるだろうが、ほとんどのことは病気や障害などとは言われないだけだ。
間違っていることや正しくないことに、病気、障害、禁断症状、中毒と言えば印象が悪くなることも、常識、社会のルール、人間のルール、人間の基本、当たり前、マナー、モラルなどと言えば、カッコが付きやすく、
それが正しいことかのように言うのだ。
23.同じ言葉の定義、意味付けが人によって違い、それ以外でも信じていることが違いすぎる人類
私があいさつが間違っていて不正だということについて文章を書いている時に、天皇家の税金のことを、あいさつと絡めて書こうと思って、グーグルで皇室関連のことに税金がどれだけ使われているのかを検索していて、
画像の所を見ていたら、天皇家の人に対して、コロナ渦の中で自分で仕事を探して働けというようなことを書いている人がいたのだが、
天皇家の人はスポーツやイベントや絵や陶芸を見に行くことを公の仕事とか、公務という言葉で言われていて、
これらのことを仕事と呼ぶ人もいれば、仕事と呼ばない人もいるだろう。仕事という言葉を同じ意味で使っていないからだ。
働くという言葉は、仕事と同じ意味の同義語で使っている場合が多いだろうが、ほとんどの人は給料や印税という形で金を貰うことを仕事、働いていると言っているだろう。
誰でも存在しているだけで誰かから好かれていて役に立っているところがあっても、給料や印税という形で金を貰っていないと、例外あれど仕事や働いているとは言わない。
天皇家の人の場合は公務、公の仕事と一部の人が言っているのを見聞しているから、多くの人は天皇家の人のことを給料や印税で金を貰っていなくても例外で仕事と呼ぶ人が多いだろうが、他の人は天皇家の人の公務と言われていことを仕事や働いているとは思っていない。
金でやっていく世の中自体が不正で間違っているが、給料や印税という形で金を貰っていない人を例外あれど悪く言い、格下に見て、
給料や印税という形で金を貰っていない人に死ねと言ったり、思ったり、
給料や印税という形で金を貰うようなことをしろという意味を込めて「働け」と言ったりしている人は、金でやっていく世の中が不正だということに気づいていないし、自分が差別をしていることに気づいていないのだ。
天皇家の人に税金を使うことについて、国民にも皇室の人に金を使うことに、思っていることを言う権利があるというようなことを言っている人がいた。税金は国民のものである金を税金という形で取っているのだから、
自分達のものである金を他の人に使うことには、自分たちが許可することには使ってもいいし、許可しないことには使ってはいけないと思っている人もいるのだろうが、こういう人達は金でやっていく世の中自体が不正なことに気づいていなくて、自分達に給料や印税、年金などで入ってきた金は、正しい正当な形で金を得たと信じていて、間違ったことを信じているのだ。
本来、全ての物やサービスや土地には値段はついていないし、人がやった作業は金に換算できるものではないし、多くの人が持っている金は正しい貰い方をしたなどと信じているのは間違いで、給料や印税という形で金を貰っているのは、給料泥棒や印税泥棒であり、年金や税金を国が取るのも年金泥棒や税金泥棒だし、年金詐欺、税金詐欺をしているのだ。
年金を貰っている老人も年金泥棒だし、税金から給料などを貰っている天皇家も公務員も、合法の泥棒だし、年金や税金を取ることを正当化している人たちも泥棒や詐欺行為に加担しているのだが、ほとんどの人はそれに気づいていなのだ。
日本のことを一部のことで外国より遅れているので先進国ではないと言っている人もいたが、水道やガスがないような地域に住んでいる人などと比べれば、日本を先進国という言葉で言い表す人もたくさんいるだろう。
先進国は生活水準が高いと言っている人がいるが、その生活をしていくのに多くの日本人は、給料を貰うような仕事をしたいから働いているのではなくて、金がないとやっていけなくて、生きていけないから給料という形で金を貰うようなことをしている人が多いだろうに、
この国を先進国などと言っているのは、おかしいところもあるのだ。
今までやっていなかったことをやったり、今までなかったものを作ったりして、それを良いものだと思って高評価する場合は
先進的やパイオニアや革命、進化などと言って良く言うが、
今までやっていなかったことをやっても、大勢が悪いと思っていることや、大勢に都合の悪いことをやると先進的や革命などとは言われない。
技術水準、生活水準が高い国が先進国と言っている人がいても、技術水準、生活水準が高いというのをやっていくのに金が必要なわけだ。
その金でやってく世の中で大勢が苦しんでいる。
無職やニートと呼ばれている人に死ねと言ったり、思っている人もいるし、怠け者や、人としてすべきことしていない低俗な底辺の人間として
格下に見ている人もいるが、かといって給料を貰うことをしていても人間扱いしていない場合もあったり、悪態ついたり、えこひいき差別していて無茶苦茶なのだ。
刑法違反をやっていようと、刑法違反で逮捕されるようなことをしていなくても、生活保護を受けていたりとか、家族や親や誰かから給料や印税以外で金を貰っていても不満を持つ人もいるのだ。
逆のことをやってても誰かが不満を持っている。
24.名誉棄損罪や侮辱罪という差別法の不正
刑法の侮辱罪や名誉棄損罪という、おかしい、差別している法律があるが、
公然で大勢が見聞できるところで刑法違反した人のことをテレビ番組やニュースや雑誌、新聞のメディアで取り上げて扱っても名誉棄損とは言わない人が多いのに、別のことでは、「あの人は犯罪者だ」などと公然で言ったら、それが事実でも名誉棄損罪になると言っていて、おかしな差別をしている。
あの人は逮捕されたことがある人だと大勢が見聞できる所で言っているのは同じことなのに、名誉棄損罪を適用する場合と適用しない場合があるような差別をしている。
刑法違反で逮捕されている人のことを多くの人は見下しているだろうが、内面で人を見下しているだけのことも、本人や大勢が見聞できないところで一部の人にだけ誰かを見下していることや、誰かが逮捕されたということを言っていた場合は許す人も、大勢が見聞できる所で人のことを悪く言うのは許さなくても、誰かを見下したり、バカにしている点では同じことなのだ。
一部の人が誰かを悪く言うようなことをした場合にだけ名誉棄損罪や侮辱罪を適用して逮捕したり、罰金を取っているのは不正だ。
誰でも人が嫌がることをしていたり、言葉を知っている人ならば誰かのことを悪く言うようなことを言っている人の方が多いだろうに、
ほとんどの人は侮辱罪や名誉棄損罪で逮捕されていないのだから、えこひいきして、差別をしている。
自分達が誰かが嫌がることをしても、ほとんどの人は逮捕されないのに、一部の人を逮捕していることを、逮捕された人に対して侮辱しているとか、
名誉棄損や差別とは言わずに、法律が合法なのをいいことに、これらの法律をまかり通らせているのだろう。
大勢が悪いことをしたと思っている人のことは、大勢が見聞できる所で悪く言ってもいいと信じている人の方が多いだろう。
テレビや新聞で逮捕されてる人のことを大々的に扱っていても、名誉棄損や侮辱とは言わないのに、「あの人は犯罪者だ」と公然で人の前で言ったら名誉棄損罪になるなどと言っているのだから、おかしいことをして差別している。
善人だと思う人のことを悪く言っているのを大勢や本人が見聞できるところで言ったらダメだと思っている人はたくさんいるだろう。
悪人だと思っていて、見下している人が逮捕されて、逮捕されたということを他の人に言ってもいいと思っている人がたくさんいるだろうが、
人を同じ人間だと思っていないので、誰かを悪く言っているのは同じなのに、同じ扱いはせずに差別をしているのだ。
侮辱罪や名誉棄損罪の法律を利用する人がどういう理由で、これらの法律を利用しているのかよく分からないが、自分が誰かから、バカにされたり、見下されていることが気に入らないとしたら、自分が知らない所で、
内面で誰かを嫌っていたり、バカにしていたり、見下している場合は許すけど、少数や大勢が見聞できる所で自分のことをバカにされたり、見下された場合は許さなくて、侮辱罪や名誉棄損罪を利用して逮捕したり、
罰金を払わさせたいのだろうか?
誰かを見下したり、バカにしたりするようなことを内面で思っているだけでも、少数の人にだけ言っていても、大勢が見聞できる所で言っても、
誰かを見下したり、バカにしている点では同じことだ。
自分や自分の好きな人や尊敬している人が、誰かからバカにされていたり、嫌われていることを大勢の人に知られたくないと思っているのか、
嫌われたり、バカにされてはいけない人なのに、嫌ったり、バカにしているのは間違っていると思っているから許せないのだろうか?
自分が嫌いではないことを嫌っていると理解できないと不思議がっている人がいるが、自分が感じたことが正しいと根拠もなく信じているから、
自分と同じことを感じていない人がいるとおかしいとか、間違っていると思うのだろう。
自分が属している会社や店のことを悪く言われて印象が悪くなったら、売り上げが悪くなって金が入ってこなくなったら死活問題だから、嫌われたくないと思っている場合は金の問題だが、会社や店以外のことで嫌われたり、バカにされたりするのを嫌がっている理由は人によって違うだろう。
自分の信仰や、望んでいることが思い道りにならないと不満を持つのも、人間は自分が可愛くて、我が身が可愛いので、例外除いて、嫌な気持ちになりたくないとか、体が不調になりたくないのに、現実は心身不調になることがあって、自分の思い道理にならないから不満を持つ。満足していないから不満なのだ。
侮辱されたと言っている人や、バカにされたとか、嫌われたと嫌がっている人も、人間や人間以外の生き物を嫌っていたり、見下していたり、
バカにしていたりするだろう。他人の姿は自分の姿であり、目くそ鼻くそ、五十歩百歩なのだ。
数年前に、私と同じ家に住んでいた母方のおばあちゃんが胃ろう(いろう)という手術をした。
胃ろうとは、お腹に小さい穴をあけてカテーテルを付けて、チューブを付けて直接胃に栄養を送るようにすることだ。
叔父が株内の人におばあちゃんが胃ろうの手術をやったことを言ったと私の母親に言い、それを聞いた私の母親が株内の人に胃ろうのことを言ったことに不満を言った。
私の母親は「私、外に出れない」と言ってたり、「病院の人は知っているけど○○○」という感じのことを言っていて、胃ろうのことは病院の人など一部の人は知っていても、多くの人が知っていることではないだろうから、
胃ろうの手術をしたと言ったら、胃ろうのことを知らない人から変な目、奇異な目で見られたりすることを嫌がったのではないかと思う。
10年以上前に、私の姉がいとこと電話で喋っていた。いとこは岡山が実家で、その当時は髪を金髪にしていたみたいで、私の母親がいとこに岡山に戻ってくる時に金髪にしていたらダメだというようなことを言っていた。
いとこが岡山の田舎の実家に金髪で帰ってきたら、実家の近所の人が金髪の人を見慣れていなくて、びっくりするかもしれないから
金髪のままで帰って来てはいけないとでも思っていそうだ。
誰かからおかしいと思われたり、変な目で見られたりするのを嫌がったりして世間体を気にする人はたくさんいるだろう。
一人の人からでも変な目で見られたくないと思い、その一人に合わせていたら何もできない。
自分がおかしいと思うことを、他の人はおかしいとは思っていない場合もあるわけだが、誰でも自分中心に捉えるところはあるだろう。
概に、私は近所に住んでいる人からあいさつを初めにしないということでも不満を持たれていたり、それ以外のことでも変な目で見られている。今、同じ家に叔父と母と私が3人で住んでいるが、親戚と住んでいるとか、
老人で兄弟で住んでいるのも変わっていると思われて奇異な目で見ている人もいるだろうが、一人からでも変な目で見られないようにすることなど無理だろう。
誰かから嫌われたり、バカにされたり、見下されているようなところは誰にでもあるだろうが、全く気づいていないか、あまり気づいていない人も
多いだろう。
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