目次
第1章から第8章へのリンク
第9章から第10章へのリンク
第11章から第16章へのリンク
第17章へのリンク
第18章から第19章へのリンク
第20章から第24章へのリンク
第25章から第29章へのリンク
30.金でやってく世の中や学校教育の異常さとウソ
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第32章から第34章へのリンク
第35章から第39章へのリンク
第40章から第41章へのリンク
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30.金でやってく世の中や学校教育の異常さとウソ
多くの人が「働く」「仕事」 などの言葉に付けている定義、意味付けは、
給料や印税という形で金を貰うという意味だろう。
たまに、「赤ちゃんは泣くのが仕事」「子どもは勉強するのが仕事」とか言う人もいたり、給料や印税という形で金をもらっていなくても
畑作業していることを仕事と言ったり、価値が高いと思うことをやっていることを仕事と言う人もいる。
給料や印税という形で金を貰っていない人に死ねとか、怠け者などと言ったりして不満を持つ人がいるけど、その理由が、
「給料や印税という型で金を貰うようなことをしている人は苦しんでいるのに、例外あれど、それ以外の人は苦しんでいなくて楽をしている」と思って不満を持ってたり、「大勢が給料や印税という型で金を貰う仕事をしているのに、大勢と同じことをしていないことが例外あれど気に入らない」と思っているのか「家族や親戚以外の役に立っていなかったり、好かれていない人が気に入らない」と思っているのか、それ以外の理由で嫌っていて気に入らない人もいるだろう。
なんにせよ、給料や印税という形で金を貰うことをしていない人を例外あれど嫌ったり、人間の底辺、格下、社会のクズ、ダメ人間、気に入らないと思っている人もいるわけだが、一方で給料や印税という形で金を貰うことをしている人にも不満を持ち、仕事を辞めさせようとしたり、
「職業不適合者」「適材適所じゃない」「仕事も出来ないのに給料貰うな。給料泥棒」「金儲け主義」「金の亡者」などと言ったり、外見、見ため、容姿を嫌ったり、性格を嫌ったりなどして不満を持ったりしている。
給料や印税という形で金を貰うことしている人が、職場の同僚について「人間扱いされないよ」とか言ったり、同僚に対して「人間扱いしてほしい」などと言っていたりする。
給料や印税という形で金を貰うことをしていても、給料や印税という形で金を貰っていなくても、どちらにせよ、不満を持ち、気に入らないと思ったり、嫌ったりしているのだ。
私のことで言えば、20年以上前の高校一年の時に学校を中退して、その後に長期的に家にいた。
長期的に家にいることを雑誌や新聞やテレビなどで引きこもりなどと言われているのを見聞して、長期的に家にいることを、引きこもりと呼ぶ人が多いだろう。
引きこもりという言葉で呼ばれている人を良く思わない人や気持ち悪がったり、病気などと思ったりする人がいる。
老人も若い人も、自分は色んなことを知っていると思っている人もいるだろうが、実際はほとんどの人のことも、世の中のこともあまり知らなくて、
知っている人についても、ほとんど知らなくて、少しだけ知っているだけだろう。
日本人も日本人以外の多くの人も、例外あれど、大勢と同じことをするのが正しいと信じているところがある人が多いだろうから、
例外あれど、大勢と同じことをしない人間を受け付けなくて、気に入らなかったり、嫌ったり、間違っていると思い、大勢と同じことをしない人や、気に入らない人を変えさせようとすることを「教育」「教える」「育てる」「しつけ」「治す」「人のために」などと言い、自分が信じてることや、感じていることが正しいと勝手に信じているところがあるのだ。
もし大勢の人が給料や印税という形で金を貰っていなかったり、長期的に家にいたり、学校に行っていなかったら、ほとんどの人はこれらのことに不満など持たないだろうし、間違っているとか、おかしいとは思わないだろう。
例外あれど、大勢が信じていることや、大勢がやっていることが正しいと信じこんでる人がたくさんいるのだ。
根拠や裏付けのない自信を持っているところがある日本人のことを謙虚、控えめ、つつましやかなどと言う人もいるのだ。
私が長期的に家にいた時に、一字一句はっきり覚えてないが、母親から
「そんなことしてるのはあんただけだ。滑稽だ」というようなことを言われた。
家族からもバカにされて異常だと思われ、家族以外の人からも嫌われて、バカにされて異常だと思われているわけだ。
「そんなことしてるのはあんただけだ。滑稽だ」と言っているのは、私が長期的に家にいるのは、本人の私だけに問題があって、
親や今まで関わった人や、直接関わったことがない人や、社会背景など、本人以外は何も関係ないとでも言いたいのだろう。
逆に本人を悪く言いたくない場合や、本人だけのせいにしたくない場合は、
「親が悪い」「親に似た」「蛙の子は蛙」「家庭環境に問題がある」「親が変われば子も変わる」「社会背景によって性格が出来た」
「大人の心を吸った」「母親が笑顔なら子供も笑顔」「みんな同罪」「罪を憎んで人を憎まず」とか、
先生や学校やメディアや、直接関わったことがない人の心を吸ったなど、本人以外の人間などにも問題や原因があると思ったりするのだ。
例外あれど、好きな人や大勢がやっていることで気に入らないことがあると、本人以外のせいにしやすいが、どうでもいい人や、格下に見ている人や嫌いな人や、悪人だと思っている人や、少数派の場合は本人に問題や原因があるとして、本人を悪く言う場合が多いだろう。
私の母親が以前に、一字一句覚えてないが「私の性格は社会背景によってできた」というようなことを言っていて、自分の性格は自分以外のものによって作られたと思っているところがあるのに、私が長期的に家にいたことは本人だけがおかしくて、本人だけに問題や原因があるかのように思っているのだろう。
歌手のAKB48の指原という人が言っていたことで、一字一句覚えてないけど「親に迷惑かけている引きこもりの人、指原でも一位になれたんですよ」というようなことを言ってたと思うのだが、多分この人の言いたいことは、
「長期的に家にいる人をバカにしつつも、応援してるよ。
私でもたくさんの人から応援されて、ファンの人がいて、好かれてるんだから、あなたたちも外に出て学校に行ったり、
給料や印税という形で金を貰うようなことをしたら、誰かから嫌われても、好きになってくれる人もいるよ。家族や親戚以外の人からも好かれるよ。
あなたを必要だと思わない人がいても、あなたを必要としている人はいるよ。」という感じのことを言いたいのではないのかなと思うのだが、
ほとんどの人は知名度の低い無名な人ばかりだ。そんな知名度の低い無名な多くの人たちと、テレビなどのメディアに出ていて知名度が高い有名人を比較しているのもおかしいのだ。
有名人とかの大勢の人に知られている人達も、その有名人を知っている人の中の一部の人から好かれたり、応援されていても、
その有名人のこと好きではない人もたくさんいるだろう。
学校や仕事に行って、周りの人が全員自分を嫌っているわけではなくても、
周りにたくさん人がいる場合、誰かから嫌われる場合が多いだろう。
有名人みたいに大勢の人から知られている人は、その大勢の知っている人の中の一部の人から好かれて、その一部の人の人数が数万人や数十万や数百万の人から好かれている人もいるが、これだけ大勢から好かれている人たちは例外の人だ。
ほとんどの人は大勢から知られていないので、学校、習い事、職場、家族、親戚、近所の人など、ごく一部の人からしか知られていないので、その一部の人の中のほとんどから嫌われたり、見下される場合もある人もいれば、
周りのほとんどの人から嫌われなくても、好かれてもいない場合もあるだろう。
知名度が低い人も大勢から知られたら、好きになる人がたくさんいても、大勢から知られなければ、ほとんどの人からは、その人はいないようなものだろう。
歌手の歌の歌詞に、自分らしくとか、自分のままで立っているとか、言っている人がいるが、自分の本音や本心や、自分の信仰心をまかり通らせたら、逮捕されたり、不満を言われたり、攻撃される場合もあるのだ。
歌手や芸能人などの有名人は大勢の人から好かれたり、上に見られて尊敬されたりしているから、不満を言われるようなことがあっても、
自分の味方がたくさんいて、自分を支持してくれている人がたくさんいるのを分かっているから心強い人も多いだろう。
歌手や作家が歌を販売して、ファンの人や、それ以外の人が金出して買えば、印税などの形で金が入って来るし、多くの人から仕事をして働いていると思われている。ほとんどの人がこの人たちの歌や本を買わなくても、知らなくても、金が入ってくるし、仕事をしていると言われるのだ。
逮捕されて牢屋の中に入っている人が、「自分は間違っていない。逮捕する法律もおかしいし、それを正しいと信じている人や、
まかり通らせている人達がおかしい」「金でやっていく世の中が不正で間違っているんだ。あんた達も嫌がっている人から税金、年金や
値段ついているものに金払えと、人が嫌がることしているだろ」などと思ったり、言っても、牢屋の中にいる人の感じていることや信仰心、言い分は誰にも知られなかったり、刑務官など一部の人に言っていても、
ほとんどの人には知られないのだ。
歌手や作家は新曲や新しい本を出せば、仕事や職業などと言われカッコが付き、金も入ってくる。
一部のファンから嫌われて、その人達から本や歌を買われなくなっても、他のファンは買い続けてくれるだろうから、金が入ってきてやっていけるだろう。
ほとんどの人は自分が思っていることを言っても、書いても、それで金など貰えないし、仕事や働いているとは言われない。
金でやっていく世の中は例外あれど、好かれている人は歌手などのように、どんどん好かれていき、大勢が悪いと思うことをやっている人は逮捕されたりなどして嫌われて悪く言われるだけだ。
一部の人がやたら得をして高評価されて金がたくさん入ってきても、他の多くの人はそうではない。
AKBの人が言っているのは「自分達が中学や高校の10代の時にセックス出来たから、みんな10代でセックス出来るんだよ。
自分達は友達や恋人という両思いの仲のいい人が出来たから、みんな学校に行ったら、両思いの仲のいい人が出来るんだよ」と言っているような感じもする。
多くの人は学校に行って、両思いで、お互いが相手のこと好きで、仲のいい人ができる人が多いだろうが、みんなにそんな相手が出来るわけではないだろう。ある一時期は仲のいい人が出来ても、ほとんど仲のいい人が出来ない人もいるだろう。
私の母親も他の親たちも、自分の子どものことをあまり分かっていないだろうに子供を産み育てて、自分の子どものことも、よその子ども
のことも分かった、子どもを産んで親の気持ちが分かったとか、
「子どもってこうよ」「男の子ってこうよ」などと言い、子どものことを分かっているように言う人もいる。
妊娠、出産して、子どもを持つ経験をしたことで優越感に浸って上から目線になっている親もいる。
私が過去に家に長期間いたことにも異常なことで、正常やまともではなくて、生き方が間違っているとか、親の育て方に問題があるとか、親子共々変わっていてるなどと思い、見下したり、バカにする人もいるだろうが、
逆に外に出ていたり、大勢と同じように学校に行ったり、給料や印税という型で金を貰っている人もバカにされたり、格下に見られている。逆のことをやっていてもバカにされたり、見下されている点では同じなのだ。
私は岡山県岡山市で生まれて、4歳ぐらいの時に大阪府東淀川区に両親と姉と4人で引っ越して、5階建てのマンションの3階に住んでいた。
家の近くの幼稚園に行ってる時から、あからさまに同級生の女から悪態つかれていて嫌われていた。
他の人なら悪態とは言わずに、いじめという言葉で言うのだろうが、私はいじめという言葉が嫌いなのでここでは使わない。
幼稚園のふじ組の時に、同じクラスの一人の女(この後の文章ではAさんと呼ぶ)が、私のキティーちゃんの絵が描いている体操服袋だか、何かの袋を隠したり、私の腕を雑巾を絞るみたいに捻じってきたりなどされていた。
Aさんが私にこうゆうことをしてきている理由を、一字一句はっきり覚えていないが、「前のクラスの時に〇〇に△△したからやってる」みたいな感じのことを言ってた。
ほとんど一字一句言ったことをはっきり覚えていないが、「前のクラスの時にお前が他の人に対して、おかしなこと、いじめをやっていたからお前にこんなことしてるんだから、やられているお前の方が悪くて、因果応報、しっぺ返し、自業自得で、お前は諸悪の根源であり、お前が悪くて、お前に原因があるんだぞ」とでも言いたいのだろう。
戦争で日本が敵軍を攻撃する理由に、お国を守るためにとか、人のためにとか言ってるのと同じようなものを感じる。
「敵軍を攻撃しているのは、人におかしなひどい、悪いことをやってる奴を懲らしめるためなんだ。先に悪いことをやったのは敵軍の方なのだから」
と思っている人もいるだろう。
私は大阪に引っ越した初めの方から、あからさまに人から嫌われ、バカにされて悪態つかれていて、家の外にいても嫌われていたわけだ。
人間の中には人から嫌われたり、身体暴力振るわれたり、悪態つかれたりする原因や理由を、嫌われたり、悪態つかれている方に原因や理由があると思っている人がいたり、自分より格下に見ている人だからそんなことされると思う人とか、類は友を呼ぶで、どちらも似たもの同士で同じレベルの人間だと思う人や、嫌われてる人が子どもだった場合は、親や家庭に問題があるとか、大人のせいなどと思い、子どもに問題はないという理由や意味をつけたり、ほとんどの子どもはいい子だけど、一部悪い子どもがいるから、その悪い子供には攻撃してもいいと思ってる人、前世からの因果だと思ったり、前世でも仲が悪かったんだろうと思う人、人間に問題はなくて罪を憎んで人を憎まずなどと思う人もいる。
みんな自分が感じたことは、根拠や裏付けもなく正しいと信じているところがあるのだ。
以前、叔母がある元力士のことについて、叔母の兄弟に話していて「〇〇(元力士の名前)ってなんで嫌われてんの?自分中心とか?」と言った。
叔母は嫌われている方の力士に問題や原因があると思っているのだろう。
何もしていなかったら何もされない、原因と結果の法則、因果応報、しっぺ返しなどと言う人がいるのも、例外あれど、人から嫌われたり、何かされるのは、やられた方に問題や原因があると信じている人がたくさんいるだろう。
逆に嫌っている方を問題視して悪く言われているのは、白人の黒人差別などの人種差別だ。
大勢と同じことをするのが正しいと信じてる人の多くは、子どもは学校に行かなければいけないと信じている人もたくさんいるだろう。
そういうことを信じている親や先生や、それ以外の大人が「学校に行くのは今まで知らなかった色んな事を知り、色んな人間がいることを知るために行くんだよ。社会勉強、人生勉強、人間関係の勉強なんだよ」とか思ったり、
言う人がいそうだが、大勢と同じことをしていれば、
子どももその親も変な目や奇異な目で見られにくいという利点があるから学校に行かせたい人もいるだろう。
大勢と同じことをやっていれば無難なところがあるからだ。
園や学校に行っても、同級生や同年代の子どもや先生から嫌われたり、格下に見られたりしてバカにされたりする。
身の周りにいる人全員から嫌われてる人はめったにいないだろうが、
学校に行って大勢から好かれている人も、大勢から嫌われている人も例外の少数派だろう。
ほとんどの人は、身の周りのごく一部の人から嫌われているぐらいだろうけど、その嫌われているのが、あからさまに嫌いだということを本人のいる近くで言動で表している場合と、内面で思っているだけか、本人がいないところで陰口を言ったり、影から嫌がらせされていたりする場合がある。
身の周りにいる人から嫌われていなくても、好かれてもいない場合もあるだろうから、好きでもない人と一緒にいたり、喋ったり、
遊びたいとも思っていないか、喋ったり、遊んでいてもつまらない場合もあるだろう。
でも、親や先生は子どもが誰かと一緒に遊んでたり、喋っていると満足したり、喜ぶ場合があったり、遊んでる子ども同士は相手のことを友達とは呼んでいないけど、大人の方が友達と呼んでいたりする場合がある。
子どもに対して親や先生の一部が「難しく考えなくてもいいよ。難しい話はしなくてもいいよ。
同年代の子と喋って遊びなさい。」とか思ってたり、言ってそうだが、
現実は大人も子どもも、ほとんどの人と一緒にいたり、遊んだり、喋っても楽しくもなく、嬉しくもない場合が多いだろうけど。
私が小学校の時、学校や学校以外の場所で一緒に遊んだ人や一緒に行動してた人の数は少ない。
小学校の時に同じクラスのある一人の女を学校後に遊びに誘ったことが何回もあって、断られたことはないが、この人から遊びに誘われたことなど一度もない。この人も私と遊んでても楽しくないと思っていたかもしれない。
同じクラスの女で私を何度も遊びに誘ってきた人が一人いたが、私から遊びに誘ったことはなかった気がする。
例外あれど、他の多くの人も学校の同級生や他のクラスや他の学年の人や同じ部活の人などと、学校の中でも学校以外でもほとんどの人とは遊ばなかったり、ほとんどの人とは喋らなかった人が多いだろう。
大勢と同じことをして、学校に行くことを良く言いたい人は、「学校で一回でも楽しく笑ったり、いい思いをしたことがあるのなら、
学校に行ったことは良かったということなのです」などと思い、大勢と同じように学校に行くことを美化する人もいるのだろうけど。
「家の外に出ることで色んな人がいることを知るんだよ。」などと思ったり、言う人もいるだろうが、同じ人の外見を見ても、同じ人間の同じ言動や態度を見ても、みんなが同じことなど思わない。
「自分の感じたことが正しいんだ」とでも思うのならば、矛盾しているということになる。
同じ言動を取ったことを、間違っているとか悪だと思う人と、間違っていない、悪ではないと思う人もいるのだ。
私が小学校の時に、同じクラスにBさんとCさんの仲良し二人組がいて、ある日、Cさんが学校を休んだ時にBさんが私に「モリタニさんが休めばよかったのに」と言っていた。
好きな子が休んだらつまらなかったり、楽しくなくても、どうでもいいと思っている人や、嫌いなだけの人が自分の近くにいても
自分の利益にはならないのでつまらない、楽しくないと思って、どうでもいい人や嫌いなだけの人の存在を軽視して軽んじている人はたくさんいるだろうが、あまり本人には直接は言わないだろうけど。
仲のいい人、好きな人と一緒にいたかったり、見ていたかったりして、どうでもいい人や嫌いなだけの人など見たくもないし、
関わりたいと思っていない人もたくさんいるだろうけど、形だけあいさつしたり、世間話とか雑談したり、職場の人と喋ったりして
表面的に関わっている人もたくさんいるだろう。
家の中にいれば外に出ろと言い、家の外に出たり、大勢と同じように学校に行っていても、「休めばよかったのに」などと思われる場合もあったり、
家の外に出ても気に入らない人に死んでほしいと思ってたり、
家の外に出て刑法違反とかの警察に逮捕されるようなことをやったら牢屋という室内に入れるのだから矛盾している。
自分の思い道りの言動を取らなかったら、逆のことをやっていても不満を持つのが人間なのだろう。
私が小学生の時に、小学校の体育館で大勢で歌っている時、担任が私の顔の近くに耳を近づけてきて、「なんちゅう声してんねん」みたいなことを言ってた。
私の声だか、歌い方が気に入らないんだろうが、家の外にいても人間と言われている生物は色々と気に入らないことがあり不満を持つ。
もし、みんなが授業中に歌っているのに、一人か少数の人が歌ってなくてもおかしいとか、
協調性がないなど不満を持つ人もいるだろうし、先生の言うことを聞かなくて生意気などと思う人もいるだろう。
家の中に長期的にいる人をおかしい、異常だと思って気に入らない人は「なんちゅう生き方してんねん」「なんちゅう、間違った生き方してんねん」など思うんだろうな。
家の中にいようが家の外にいようが、学校行っていようと、学校行っていなかろうと、大勢と同じことをしていようとしていなかろうと、
気に入らないものは気に入らないのだ。不満を持たれている点ではどちらも同じだ。
小学校と中学の時に、同じ学年ではないけど下級生と上級生に私を気に入らない人がいて、マンションの下のスーパーの
入り口付近にいた時に、上級生の女が自転車で通り過ぎていく時、私を嫌そうな顔で見ていたり、喋ったことも遊んだこともない下級生の女が、学校の帰宅時に私の前を歩いていて、何回か後ろを振り返って私を見るのだが、
バカにするような目つきで私を見ていた。
家の中にいようが家の外にいようが、どちらにせよ嫌ったり、バカにされたり不満を持たれている点では、どちらも一緒だということだ。
中学の体育の授業の時にバスケットをしている時に、同じチームの一人の女が試合が終わった後に私のことを「なんで動かんのん?」というようなことを不満たらげに言っている人もいた。
バレーボールの授業の時に、私が審判だったのだがバレーボールのことなどよく知らないのだが、はっきり覚えていないが、私が点数の入れ方を間違ったのか、点数入れてなかったのか、その様子を見ていた
隣のクラスの女がニヤッと笑ってた。バカにして笑っていたのだろう。
中二の時に、同じクラスのある女(この後の文章ではBさんと呼ぶ)が私のことをバカにしてるか、嫌ってる感じで、少し離れた所で他の人に私のことをバカにするようなことを言っていて、私はほとんどの人からは言われていないが、暗いと数人の人から言われたことがあるが、
他の人も同じようなことを思っていた人もたくさんいるのだろうが、Bさんも私を暗いと思っていたのだろう。
廊下で他の人に「ダークの法則」と言っていたが、私のことをバカにして言っていたと思う。
中二の時の同じクラスの一人の男(この後の文章ではCさんと呼ぶ)が、私を格下に見ていたのだろうけど、
私のことを何度も話題に出して他の男に喋っているんだが、その内容が
「あいつハニワに似てへん?」「親のことババアって言ってそう」とか
音楽室での授業の時、その男は私と机が向かい合っていて、私の目の前にいたのだが、隣の男に私のことを「首からわら人形ぶら下げて原付乗ってそう」と言ってたりした。
他の人もこの男が私のことをバカにするようなことを言っているのを分かってたんだろうが、同じクラスの強気そうな一人の男がCさんに「お前、俺らに文句あんのに言われへんから、そんなん言ってんねんやろ」というようなことを言ってた。
私のことを言っていたのではないかと思っている。
自分達に気に入らないところがあるのに、怖がったりして言えないから、地味な私みたいなのをバカにするようなことを言っているんだろうとでも
言いたかったのではないかと思う。
中三の時、あからさまに私をバカにしてた女(後の文章ではMさんと呼ぶ)が、隣のクラスでよく一人でいるような大人しそうな女に私が休み時間、廊下で喋りかけてたら、その後Mさんが「友達作ろうとしてるー」とバカにして言っていた。
別の日に、Mさんが「あんた親変わってるやろ」と言うので「何で?」と聞いたら、「あんたが変わってるから」と言い、私が「あんたも変わってんな」というと、「私は親が変わってないから変わってない」というようなことを言っていた。。
例外あれど、人に変わっているというのは、バカにしていたり、悪く言う場合が多いだろう。
この人が私や私の親を変わっていると言っているのもバカにしてるから言ったのだろう。
Mさんの妹が私のことを「なれなれしい」と言っていたとMさんづてに聞いた。
おそらくそれは、ある日、朝礼があった日に、私は遅く学校に行ってて、概に朝礼が始まっていて、私の近くにMさんの妹がいて、どういう言葉で言ったのか忘れたけど、朝礼に出ずにあっち行こう見たいな感じのこと言ったように思う。
Mさんの妹はこのことを「なれなれしい」と言ったのだろう。
小学校の時の休み時間に、初めて同じクラスになったある一人の女の肩を触ったら「なれなれしい」と言われた。
この人とは普段、喋ったり遊んだりしている関係ではない。
中3のある日、同じクラスのMさんと2人で学校から歩道を歩いて帰っている最中に、左隣の車道を挟んだ向かいの歩道側から「今日は一人じゃないんやな」と大きい声で誰かが言ったので、
私が声のする方を見たら、見覚えのない数才年下に見える男が自転車に乗って、明らかにバカにしたような目つきで私を見ている。
多分、私と同学年で私のことを知ってて、私をバカにしてたり、見下してたり、嫌ってる人がこの男と知り合いで
私のことを「あの子友達いない子」とか「あの子よく一人でいる子」とか「あの子よく一人でいる子。嫌い」とか言っていそうだ。
こんな感じで、家の外に出てても、人から嫌われたり、バカにされたり、見下されるし、家の中にいても見下されるし、バカにされたりする。
学校に行って、人の外見や言動に対して、自分が思いたいように思い、勝手に人を好きになったり、嫌いになる。
他人が教えたわけでもなんでもなく、自分が勝手に思うだけだ。
学校に行くことも正しいことではなく、行かなくてもいいのに、大勢と同じことを色んな理由でさせたがっている多くの大人。
子どもも学校に行って当たり前だと思っていたり、学校に行くことが正しいと信じている人がいるだろうが、別に行く必要もない。脱学校(だつがっこう)だ。色んなことを知り、人と関わるということをするのは、学校に行かなくても出来ることだ。
学校に行って、同じ人間の外見を見たり、同じ言動を見てもみんなが同じことなど思わないのだが、それを分かっていても、あまり言わない人が多いのだろう。
子どもの感じたことや、やった言動を褒める場合は、心の成長が出来ているとか、進化などと言ったりして高評価して、気に入らない言動を取れば、身体暴力をやったり、否定したり、見下したり、嫌うのだ。
みんな自分が思いたいようにしか思わない勝手なことを思っているだけなのだ。
学校に行って、先生が勝手に決めた時間割の授業を受けることが人として、しなければいけないことであるかのようにウソを付いているのだ。
先生の信仰心を押し付けていたりするが、先生の信じていることが何でも正しいわけではない。
学校教育という名の学校宗教や先生宗教だとも言えるのだ。大勢と同じことをすることが正しいと信じている人が多いから、
宗教の押し売りはダメでも、学校宗教や先生宗教や金でやっていく世の中が正しい宗教の押し売りは許されるのだ。
「今の若い人は嫌なことがあると、すぐに学校に行かなくなったり、会社を辞める」と言っている人がいたが、
こういうことを言う人は、学校に行くことが正しいと信じていたり、金信者の人だろう。
私が中学一年の時に担任に何かを言われて、私が思っていることを言ったら、「そんなん誰が決めたん」というようなことを言われた。
この言い方を少し真似して、学校や世の中の色んなことを言えば、
常識と言われていたりすることが正しい根拠などどこにもなくて、それが正しいと誰が決めたん?
学校に行くのが正しいと信じている人がたくさんいるだろうが、そんなこと誰が決めたん?
金でやっていく世の中が正しいと信じているのも、学校に行くのが正しいと信じているのも、あいさつ返しが正しいと信じている人がたくさんいるのも、大勢がやっているから、いい加減な信仰を持ち、正しいと信じている人が多いのだろう。
そんな大勢と同じことをやっている人を常識人や一般人や普通の人などという言葉で言い表し、良く言うようなバカげたことをしている。
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