京都御所には良く行くのですが、平安京の時代に御所があった場所には行っていない事に気づき、天気も良かったので出かけてきました。
御池通から二条城の横、押小路通を千本通まで歩きます。二条城の西側に「美福通」があります。この通りには「美福門」と言う平安京大内裏の門があったのだそうです。以前から気になっていた通名でしたが。
千本通は、平安京を東西に分ける「朱雀大路」に当たり、平安京大内裏の正門「朱雀門」がありました。現在は、烏丸通や堀川通のような華やかさは有りませんが、朱雀大路の頃は、道幅が84mもある広い通りだったそうです。押小路通から千本通に出て少し上がった所に「朱雀門」の跡を示す石碑がありました。
昔は、「たくさんの人が行き交う華やかな大路だったんだろうな」などと想像しながら、千本丸太町の交差点まで来ました。左角に「大極殿」の案内板がありました。交差点を渡り、千本通を上がって直ぐに「大極殿跡」の石柱があります。そこを入った児童公園の一角に「大極殿遺跡」の石碑がありました。
その後、豊臣秀吉の建てた「聚楽第」跡まで行こうと思って「中立売通」まで上がる予定が、小さなお店が立ち並ぶ千本通を楽しんでいるうちに、気がついたら「今出川通」まで来てしまいました。戻るのももったいないと思い、付近を見回すと左手にお寺が見えましたので、今出川通を左に行くことにしました。
目にしたのが「上善寺」と言うお寺でした。言われは良く分かりませんが863年創建の古刹でした。本堂の前に「芙蓉」の花が綺麗に咲いていました。
その隣に「浄土院」がありました。北野大茶会の時、豊臣秀吉が立ち寄りお茶を求めましたが、庵主が「恥をかく」からと白湯ばかり出したので、秀吉から「湯沢山茶くれん寺」と命名され、それが寺の別名になったとありました。拝観は予約が必要のようです。
そのまま今出川通を進んでいくと、見たことのある交差点に出ました。以前、北野天満宮へ来た時に通った「上七軒」の交差点でした。北野天満宮に寄ろうか迷いましたが、今回は諦め、上七軒の交差点を左に曲がり「七本松通」を出水通まで行くことにしました。中立売通を過ぎると「立本寺」があります。桜の名所で、桜の時期に来たことを思い出しました。今日は、「萩」と「芙蓉」が綺麗でした。
出水通に入ると直ぐに「慈眼寺」と言うお寺がありました。「鷹司家」に縁のあるお寺だそうです。ここも「芙蓉」の花が綺麗でした。「ツマグロヒョウモン」だと思いますが、一匹の蝶が水道の蛇口に止まって羽を休めていました。「芙蓉」の花に惹かれて来たのでしょうか。
その先、右側に「光清寺」があります。岩倉具視が出た「岩倉家」の菩提寺とありました。昭和の作庭家「重森三玲」の庭があります。
通りの左側には「華光寺」があります。伏見城にあった毘沙門天像がこの寺の守護神で、豊臣秀吉手植えの「時雨松」、五色の花をつけたという「五色椿」等で有名だそうですが、事前に調べて行かなかったため見落としました。庭が綺麗でした。
その先に「福勝寺」と言うお寺があります。秀吉の千成瓢箪と関係が有るため「ひょうたん寺」とも呼ばれているようです。中に入ってきましたが、通常は非公開なのだそうです。
千本通に出て気がついたのですが、聚楽第跡は中立売通でした。中立売通まで再び上がります。
聚楽第跡は、中立売通を東に進んだ裏門通の角にあります。正規小学校の角です。ここは、西側の堀のあった所のようです。広大な規模だったのですね。
裏門通を下がり、出水通を渡って突き当たると「松林寺」と言うお寺がありました。聚楽第南側の外堀跡に当たる場所だそうです。境内の「フジバカマ」に蝶が集まっていました。
帰りは、丸太町通から堀川通に出て、堀川の遊歩道に下りて御池に戻りました。押小路通に上がる所に「芙蓉」が咲いていました。
今回は、歴史と「芙蓉」の花を楽しんだ散歩になりました。
今日の歩数は、14,030歩。
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