婆さんから「ゆっくりしたいので、何処かへ行ってきたら」と言われてしまい出かけることにしました。
「花菖蒲や蓮の花が咲いている」との情報を見て、勧修寺へ行ってきました。
烏丸御池から地下鉄東西線に乗り、小野駅で下車。小野駅からは随心院もあるのですが、そこに行くのを我慢して勧修寺に向かいました。駅を出て山科川を渡っていくと勧修寺です。
勧修寺は、醍醐天皇が山荘を寺院として創建、千有余年の歴史ある門跡寺院で、「氷室(ひむろ)の池」を中心に周囲の山を借景した広大な「池泉回遊式庭園」で有名です。桜の隠れた名所でもあります。
山門を入ると寝殿が迎えてくれます。
周囲には、国歌「君が代」にでてくる「さざれ石」や、水戸光圀が寄進したと伝わる「勧修寺型灯篭」が有ります。
こんな景色を楽しみながら歩いて行くと観音堂や氷室の池に出ます。
池の横に建つ観音堂には、屋根の上に鳳凰の姿がみえます。氷室の池は、平安時代、この池に張る氷の厚さでその年の農作物の豊凶が占われたという故事が伝わる古池で、今日は、花菖蒲や蓮の花が池を埋め尽くすほどでした。
景色を十分楽しんでから、出口に向かいます。名残惜しくて振り返ると青モミジ越しに観音堂を望むことが出来ました。
門を出て、勧修寺の南に隣接する宮道神社に寄りました。小さな神社ですが、平安時代に創建されたという神社で、人の背丈程の低い鳥居が特徴的です。
道の反対側に赤い鳥居が見えます。八幡宮の鳥居です。ここも平安時代創建の古い神社で、勧修寺の鎮守様でもあったようです。本殿までは、ちょっと急な参道を登ることになります。
忠臣蔵の大石良雄に関係する「山科神社・岩屋寺・大石神社」に向かいます。ここから、名神高速道路の下をくぐり、結構、車の通行のある道を約20分ほど歩きました。特に何もない道ですので、ひたすら歩くだけです。うっかりしていましたら、大石神社前の新十条通に出てしまいました。山科神社は大石神社の前の小道を戻らなくてはなりません。5~6分戻れば山科神社です。鳥居の前から急な参道が続いています。ここも平安時代からの神社ので、当時は、社殿の規模も大きかったようです。大石良雄が討ち入りの前に成功を祈願した神社といわれています。
次に岩屋寺に向かいました。1~2分程の距離です。ここにも急な参道が待っていました。青モミジは綺麗でしたが。
岩屋寺は大石良雄の隠棲の地で、四十七士木像や位牌なども祀っています。
大石神社へは、大石良雄の遺髪塚の前を通り、竹藪の中を抜けて行くことが出来ました。
5分ほどで大石神社の境内に出ます。
大石神社は、昭和10年に、大石良雄をご祭神として創建された神社です。「大石桜」と呼ばれる大きな枝垂れ桜があり、桜のシーズンには、多くの参拝客が訪れる神社です。
境内には、無料の「忠臣蔵宝物館」があり、忠臣蔵のファンにはうれしい資料を見ることが出来ます。また、「花子」という名前のミニ・ホースも愛嬌を振りまいています。
地下鉄東西線/椥辻駅に向かい新十条通を歩きます。途中に折上稲荷神社が有りましたので立ち寄りました。
折上稲荷神社は伏見稲荷と共に最古の稲荷神と言われ、「働く女性の守り神」としても厚く信仰されている神社です。
境内には、稲荷大神が最初に降りられた根源地「稲荷塚」や、人間が生きる上での三大苦労(人間関係・健康・お金)を除いてくれる「三九郎(さんくろう)稲荷神社」、株・宝くじ・賭け事祈願の信仰が厚い神様「寶(たから)大神」などがあります。「寶大神」はしっかりお参りしてきました。
地図に、新十条通から少し入った所に「坂上田村麻呂」の墓が載っていましたので寄って来ました。団地の先の公園の中にありました。
坂上田村麻呂は平安時代の武将ですが、清水寺を創建したことでも知られ、東北地方を平定する等の功績で「征夷大将軍」となり、死後、平安京の守護神としてここに葬られたということです。本来の「将軍塚」は、ここのことを言うようです。
再び新十条通を歩き、椥辻駅から地下鉄に乗り烏丸御池に戻りました。
今日は、勧修寺で気持ちの良い時間を過ごし、また、いろいろな旧跡や寺社を訪れることが出来て、充実した1日になりました。
今日の歩数は、15,420歩。婆さんからは「良く飽きずに出歩くね」との一言がありました。自分でもそう思いますが。
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