京都園芸倶楽部の元ブログ管理人の書笈

京都園芸倶楽部のブログとして2022年11月までの8年間、植物にまつわることを綴った記事を納めた書笈。

棚倉孫神社のずいき神輿

2020-10-01 12:14:57 | 歳時記・文化・芸術
今日から10月。つい1か月前までは「暑い、暑い!」と言い、天気予報でも「まだ猛暑が続きそうです」と言っていたのがうそのように朝晩は肌寒く感じられ、ようやく秋らしい日々になり始めた京都です。今年は今日が十五夜で、今日のお天気だと今夜は中秋の名月を拝めることができそうでしょうか。

10月といえば、京都では今日から北野天満宮では瑞饋祭が始まります。でも、今年は新型コロナウイルスの影響で神幸祭と還幸祭の鳳輦の渡御は中止となり、瑞饋祭のすべての神事は北野天満宮の神社内もしくは御旅所で行うことになったようです。

この瑞饋祭で有名なのは、こちらの「ずいき神輿」でしょうか。毎年、瑞饋祭の前日に御旅所で組み立てられ、期間中は御旅所に駐輦されており、瑞饋祭の還幸祭と同日の10月4日に氏子地域を練り歩く渡御が行われます。詳しい情報は入手できていませんが、今年も組み立てられたとしても例年どおりの渡御は行われず、御旅所に駐輦されたままになるのではないでしょうか。

2020年10月3日追記:ずいき神輿ですが、150年ぶりに北野天満宮の本殿前に駐輦されているようです。



ずいき神輿(過去記事より再掲。2018年10月に北野天満宮御旅所にて撮影)



子供ずいき神輿(過去記事より再掲。2018年10月に北野天満宮御旅所にて撮影)


ただし、このずいき神輿は北野天満宮だけでなく、京都市中京区西ノ京の地域で結成された西之京瑞饋神輿保存会が主となって守り伝えています。神輿に使う植物や野菜の栽培はもちろんのこと、毎年9月1日のセンニチコウ(千日紅)の収穫から始まり月末の30日には屋根にズイキ(サトイモ)の葉の茎(とよく言いますが、実際は葉柄)を葺いて神輿に組み立てることまで、これらすべてのことを保存会の会員の方たちで行っておられます。

2年前の10月に当倶楽部例会として御旅所に駐輦されているずいき神輿を前にして西之京瑞饋神輿保存会の会長さんに瑞饋祭の由来やずいき神輿の作成や細部の特徴について詳しく説明していただきましたが、その時の記事は以下のリンクで取り上げています。



【第1169回例会ご報告】「ずいき神輿を実際に見て詳しく知ろう!― ずいき神輿の構成と組み立て」(2018年10月1日実施) - 京都園芸倶楽部のブログ



 



北野天満宮の瑞饋祭は、平安時代の村上天皇の御代に、天満宮に所属する神人たちが自ら作った野菜や果物、穀物などに草花を挿してお供えして収穫を感謝したことが始まりとされています。

応仁の乱の影響で瑞饋祭はしばらく途絶えましたが、1527(大永7)年に野菜や果物、穀物などで人物や動物のかたちにしてひとつの台に盛り飾り、その台を2本の丸太を添えて担えるようにされ、これがずいき神輿の原型と考えられています。そして、太平の世を謳う時代となる江戸時代の初めの1607(慶長12)年に天満宮の神人と西ノ京周辺の農家が協力して本格的な神輿作りが始まりました。

この神輿は最初は葱華輦型と呼ばれる神輿でしたが1702(元禄15)年に鳳輦型へと変わり、1802(享和2)には現在に続く千木型へと変わっています。じつは明治維新の改革によって明治時代にも一度途絶えてしまいましたが、中断した15年後の1890(明治23)年に復活しました。このときに、元々は旧暦8月4日に例祭として行われ、応仁の乱後に途絶えて1875(明治8)年に私祭として再開が許された神幸祭(還幸祭)も合わせて行われるようになり、現在に続いています。そのため例祭は本殿祭だけが行われるようになり、現在は新暦の8月4日に北野祭として行われています。


なお、この瑞饋祭やずいき神輿ですが、北野天満宮だけでなく、古くは京都や滋賀の各地で見られたようで、先述のとおり秋の収穫時期に豊作を氏神様に感謝した祭事として行われ、現在も滋賀県野洲市三上の御上神社や京都府京田辺市田辺棚倉の棚倉孫神社(たなくらひこじんじゃ)で行われています。偶然5年前の2015年12月に棚倉孫神社を参拝したときに境内に駐輦されていたずいき神輿がこちら。スマートフォン(iPhon5s)で撮影していますので、画質が若干粗いと思います。


棚倉孫神社のずいき神輿(2015年12月撮影)


萎れていますが、屋根にズイキが葺かれています。こちらは子供用のずいき神輿でしょうか。


棚倉孫神社の子供(?)ずいき神輿(2015年12月撮影)

ずいき神輿に飾る鳳凰がはずされて横に置かれていました。


ずいき神輿の鳳凰(2015年12月撮影)


棚倉孫神社は、平安時代にまとめられた延喜式神名帳の『綴喜郡十四座大三座小十一座』に「棚倉孫神社 大 月次新嘗」と記載されている式内社に比定されています。棚倉孫神社のずいき神輿の起源は明らかではありませんが、一説には北野天満宮のずいき神輿を手本として江戸時代に作成されるようになったとあるようです。

1929(昭和4)年に一度中断していますが、1976(昭和51)に47年ぶりに復活し、1978(昭和53)年には瑞饋神輿保存会が結成されました。隔年で行われ、10月の祝日であるスポーツの日(昨年までの体育の日)に氏子地域を巡行します。昨年2019(令和元)年が巡行年で、その前が2017(平成29)年だったので、この神輿は2015(平成27)年の巡行の2か月後に撮影したのだと思います。

一度見に行きたいと思いながら、2017年と2019年は見逃してしまい、来年こそ新型コロナウイルスが終息してお祭りが行われるのなら巡行を見に行きたいと思っています。自然への感謝と畏敬を忘れなければ、新型コロナウイルスも終息するのではないでしょうか。

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