京都園芸倶楽部の元ブログ管理人の書笈

京都園芸倶楽部のブログとして2022年11月までの8年間、植物にまつわることを綴った記事を納めた書笈。

3年ぶりに観賞できた建仁寺のヒメリンゴの花

2021-04-17 06:12:50 | 園芸・植物・自然環境
ひさしぶりに観賞できた建仁寺境内に植えられているヒメリンゴ(姫林檎)の花。初めて見たのが3年前の春。じっくり観賞するのは、じつはそれ以来です。先月末に通りがかった際には蕾がほころび始めていた状態ですが、花を観賞したのは先週末のことですので、10日も経つと盛りを過ぎて少し散り始めていました。



初冬の訪れとともに鳥たちがまだ食べ残していた実を観賞できたのは昨年11月下旬のこと。そのときの記事はこちら。
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さて、ひさしぶりに鑑賞できた花は、ひとかたまりになって咲いているのもあれば、ぽつぽつと咲いているのもちらほら。今春は大人の背丈の高さの位置で咲いている花が多く、よくよく見ると大きな花だということをあらためて認識しました。



立ち寄ったのは先週土曜日のお昼過ぎですが、建仁寺の北側を走る花見小路は「まん延防止等重点措置」の適用前の週末だったからか、例年ほどではないとはいえ観光客の姿が目立ちました。

新型コロナウイルス感染症が急激に拡大して、およそ1年が経ちました。1年前と比べれば新型コロナウイルスに関して知り得る情報は増えましたが、全体的にコロナ禍に対する心構えがだれてきて、おざなりな行動しかとっていないようにも見えます。おそらく、国や都道府県等が対策を取ればコロナ禍はいったん収まるもののの、手を緩めると元の木阿弥というような動静で、いたちごっこのような実情に飽き飽きしていることもあるのかと思います。もちろん経済的なことなど、諸問題が複雑に絡み合っていることも事実として存在しています。

それでも、この数年はしばらく「辛抱」の時期が続くのだと思います。大方の人は「我慢」と思ってらっしゃるかもしれませんが、我慢というのは嫌なことを強制的に堪えるよう強いられている状況で、受動的な態度だと私は思います。逆に辛抱とは「世のため人のため」になるなら自らの志でもって積極的に嫌なことも可能な範囲で受け入れて堪えるという、能動的な態度だと思っています。一人ひとりが少しばかし辛抱し、辛抱し合っていることをお互いに感謝して支え合うことで、みんなで乗り越えていきましょう。

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