平安京造営に際し、桓武天皇が王城鎮護を祈願するため甲冑を着せて弓矢を持たせた8尺(約2・5メートル)もある土人形を京都の方向を向かせて埋めたと伝わる場所が「将軍塚」です。平安末期以降は天変地異が起こる前にこの地が鳴動するという伝説が生まれ、治承3(1179)年7月に起こった大地震の前には三度もこの地が鳴動したという言い伝えも残っています。
この将軍塚の近くに青蓮院門跡の飛地境内である将軍塚青龍殿があり、春は桜、秋は紅葉が美しい庭園を楽しむことができます。その庭園できれいにホタルブクロ(蛍袋)の花が咲いていたというお便りをお写真と一緒に当倶楽部の会員の方からメールでいただきました。ブログ掲載の許可もいただけましたので紹介いたしますね。
ホタルブクロとは優雅な名前ですよね。花が咲く時期に飛び交うホタル(蛍)を花に入れて楽しんだことから和名がつけられたという説もありますが、花の見た目が提灯のようで、この提灯を古くは「火垂る」とも呼んだそうで、そこから火垂る袋と呼ばれるようになったという説もあります。このことからチョウチンバナ(提灯花)という別名もあり、逆にこの「火垂る」が蛍の語源だという説もあります。貝原益軒が著した『大和本草』巻之第十四の陸蟲・蟲之下の「螢火(ほたる)」には「ヒハ火ナリタルハ垂也」とあります。
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少しだけ脱線しますと、おそらく「火垂る」という文字から、スタジオジブリがアニメ映像化した野坂昭如氏の小説「火垂るの墓」を思い出す方もいらっしゃるかもしれませんね。私もその一人です。小説はフィクションですが野坂氏ご本人の体験に基づいた内容でもあり、このタイトルは野坂氏も経験した昭和20(1945)年6月に起こった神戸大空襲で落とされる焼夷弾の姿を「火垂る」と譬えたとされ、落とされた焼夷弾はじつに3,000トンで同年3月10日の東京大空襲で落とされた焼夷弾1,665トンの2倍近い量だったとのこと。75年前の今月5日のことでした。こういう表現だけは二度としなくて済む世の中が続くようにしていかなくてはいけませんよね。
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さて脱線はそこそこにして本題へと戻りますね。このホタルブクロは北海道から九州にかけての山野や丘陵に自生するキキョウ科の多年草で日本在来の山野草ですが、園芸分野に目を向けてみると、地中海沿岸地方を主とする南ヨーロッパが原産地のベルフラワーと呼ばれるカンパニュラの仲間です。ホタルブクロやベルフラワーが分類される属名は学名を訳したカンパニュラ属を用いることもありますが、国内ではホタルブクロ属と呼ぶことのほうが多いのではないでしょうか。
また、このホタルブクロにはヤマホタルブクロ(山蛍袋)という変種があります。東北地方南部から近畿地方東部にかけて分布しているヤマホタルブクロはホタルブクロとよく似ているのですが、花を見るとその違いが一目瞭然となる箇所がひとつだけあります。それはどこかご存じですか。
赤い丸印で囲んだ箇所が、ホタルブクロとヤマホタルブクロに違いがある場所です。
この写真ではちょっとわかりにくいかもしれませんが、ホタルブクロの萼には萼片と萼片の間に「小裂片」と呼ばれる反り返った付属片がついていて萼全体が毛に覆われています。しかし、ヤマホタルブクロの萼には同じ場所に小裂片はついておらず、その代わりにその箇所が少し膨らみ、萼全体も無毛です。
フリーフォトからお借りしたヤマホタルブクロの写真を掲載します。
ヤマホタルブクロ
ちょっとわかりにくですが、丸印で囲んだ萼の部分が反り返らず膨らんでいて、無毛でつるっとしているのがわかっていただけるでしょうか。
ヤマホタルブクロ
もし今後ホタルブクロを観賞する機会があれば、萼片の間も観察してみてください。ひょっとしたらヤマホタルブクロかもしれませんよ。