コロナ禍でステイホームだった昨年はうっかり見逃してしまいましたが、ふと今年もまだ見ていないことを思い出して「萩の寺」で有名な常林寺に行ってみたところ、まだ少しだけアヤメ(菖蒲)の花が咲いていました。

どちらかというと咲き残りのような花でしたが、今年も見そびれてしまったかなと思っていたところだったので、残り福であってもうれしかったです。
さて、昔からアヤメはカキツバタ(杜若)やハナショウブ(花菖蒲)と同様に愛でられていましたが、じつは日本では園芸種としての品種がほとんどありません。せいぜい白色の花などの色違い程度です。もちろん近年に交配によって作出された品種であったり、ヨーロッパで改良されたジャーマンアイリス等を日本のアヤメに近いものとして捉えるのなら、世界規模では園芸種が多くあるということになりますが、日本の園芸史を紐解いてもハナショウブほど園芸種の作出がされた史実は残っていないようです。

ジャーマンアイリス(過去記事より再掲。今出川通で2021年4月撮影)
古くはアヤメとハナショウブは区別されず、両方とも「花あやめ」と呼ばれていたようです。この「花あやめ」が文献として登場するのは鎌倉時代の天台宗の僧侶である慈円の私家集『拾玉集』で、次の「野沢潟雨やや晴れて露おもみ軒によそなる花あやめかな」と詠まれた歌が最初とされており、こちらは植物学的な根拠の記載がないので明確ではありませんが、ハナショウブを詠んだのではないかとされています。
そして「いずれアヤメかカキツバタ」と表現されるように、カキツバタは古くから「花あやめ」と区別されていたのかどうか詳しいことはわかりませんが、園芸品種はハナショウブには及ばないものの自然にできた色違いなども含めるといくつか代表的なものがあります。

カキツバタ(過去記事より再掲。大田ノ沢で2016年5月に撮影)
自然に生えているものなら白色のカキツバタがあります。

白花のカキツバタ(過去記事より再掲。深泥池で2021年4月撮影)
光格天皇が命名し愛した「雲井の鶴」は、皇女の普明浄院宮が尼門跡寺院の大聖寺の門主として入寺する際に光格天皇より贈られたものとして伝わりますが、なぜか平安神宮の神苑では「折鶴」と、二尊院では「雲上鶴」と呼ばれているようです。

カキツバタ「雲井の鶴」(吉田神社本宮で2018年5月撮影)
こちらは品種名の同定があやふやなのですが、おそらく「舞孔雀」という品種だと思います。

カキツバタ「舞孔雀」(京大北部構内近くのマンション入り口で2021年5月撮影)
でも、なぜアヤメの園芸種が少ないのでしょうね。ちょっと不思議です。アヤメの園芸種が少ない理由は、ひょっとすると生息地や花期の違いが原因のひとつなのかもしれません。
アヤメとカキツバタ、ハナショウブの原産地はいずれも日本ですが、それぞれが好む生息場所は、
・アヤメ 比較的乾燥した土地
・カキツバタ 水辺と陸地の境界あたり
・ハナショウブ 湿地もしくは浅い水場
そして、花期はというと、
・アヤメ 5月から6月
・カキツバタ 5月から6月
・ハナショウブ 6月から7月
になります。梅雨の時期に水際で咲くのがハナショウブだとすれば、日本の生活基盤であった稲作文化と関連させると田んぼの周囲の畦で咲いているノハナショウブを身近に見る機会が昔から一番多かったのではないでしょうか。もちろんハナショウブの園芸品種が爆発的に増えたのは天下泰平の世の江戸時代以降ですが、ハナショウブには身近な植物として愛でる文化があったのでしょう。そういった点からだとカキツバタは花期が早いですが生息地は似ているので、アヤメより園芸種があるのも納得できそうです。
さらに、ハナショウブの原種であるノハナショウブ(野花菖蒲)には花のかたちや色の違う変異個体が多く、このことが改良を容易にした一因でもあると言えそうです。
そして、日本庭園に欠かせない4大要素のひとつが「水」なのですが、枯山水が登場するまでは池泉庭園が主流だったと言っても過言ではなく、鑑賞の仕方に平安時代の池泉舟遊式庭園から室町時代にかけては池泉鑑賞式庭園、江戸時代以降は池泉回遊式庭園と変遷があるものの、その池泉に映える植物が好まれたとするならおそらくハナショウブやカキツバタだと思います。
推測も含めて簡単に纏めたものですが、このようなことが複雑に絡み合い、日本でアヤメを改良するまで栽培されることは少なかったのかもしれません。

どちらかというと咲き残りのような花でしたが、今年も見そびれてしまったかなと思っていたところだったので、残り福であってもうれしかったです。
さて、昔からアヤメはカキツバタ(杜若)やハナショウブ(花菖蒲)と同様に愛でられていましたが、じつは日本では園芸種としての品種がほとんどありません。せいぜい白色の花などの色違い程度です。もちろん近年に交配によって作出された品種であったり、ヨーロッパで改良されたジャーマンアイリス等を日本のアヤメに近いものとして捉えるのなら、世界規模では園芸種が多くあるということになりますが、日本の園芸史を紐解いてもハナショウブほど園芸種の作出がされた史実は残っていないようです。

ジャーマンアイリス(過去記事より再掲。今出川通で2021年4月撮影)
古くはアヤメとハナショウブは区別されず、両方とも「花あやめ」と呼ばれていたようです。この「花あやめ」が文献として登場するのは鎌倉時代の天台宗の僧侶である慈円の私家集『拾玉集』で、次の「野沢潟雨やや晴れて露おもみ軒によそなる花あやめかな」と詠まれた歌が最初とされており、こちらは植物学的な根拠の記載がないので明確ではありませんが、ハナショウブを詠んだのではないかとされています。
そして「いずれアヤメかカキツバタ」と表現されるように、カキツバタは古くから「花あやめ」と区別されていたのかどうか詳しいことはわかりませんが、園芸品種はハナショウブには及ばないものの自然にできた色違いなども含めるといくつか代表的なものがあります。

カキツバタ(過去記事より再掲。大田ノ沢で2016年5月に撮影)
自然に生えているものなら白色のカキツバタがあります。

白花のカキツバタ(過去記事より再掲。深泥池で2021年4月撮影)
光格天皇が命名し愛した「雲井の鶴」は、皇女の普明浄院宮が尼門跡寺院の大聖寺の門主として入寺する際に光格天皇より贈られたものとして伝わりますが、なぜか平安神宮の神苑では「折鶴」と、二尊院では「雲上鶴」と呼ばれているようです。

カキツバタ「雲井の鶴」(吉田神社本宮で2018年5月撮影)
こちらは品種名の同定があやふやなのですが、おそらく「舞孔雀」という品種だと思います。

カキツバタ「舞孔雀」(京大北部構内近くのマンション入り口で2021年5月撮影)
でも、なぜアヤメの園芸種が少ないのでしょうね。ちょっと不思議です。アヤメの園芸種が少ない理由は、ひょっとすると生息地や花期の違いが原因のひとつなのかもしれません。
アヤメとカキツバタ、ハナショウブの原産地はいずれも日本ですが、それぞれが好む生息場所は、
・アヤメ 比較的乾燥した土地
・カキツバタ 水辺と陸地の境界あたり
・ハナショウブ 湿地もしくは浅い水場
そして、花期はというと、
・アヤメ 5月から6月
・カキツバタ 5月から6月
・ハナショウブ 6月から7月
になります。梅雨の時期に水際で咲くのがハナショウブだとすれば、日本の生活基盤であった稲作文化と関連させると田んぼの周囲の畦で咲いているノハナショウブを身近に見る機会が昔から一番多かったのではないでしょうか。もちろんハナショウブの園芸品種が爆発的に増えたのは天下泰平の世の江戸時代以降ですが、ハナショウブには身近な植物として愛でる文化があったのでしょう。そういった点からだとカキツバタは花期が早いですが生息地は似ているので、アヤメより園芸種があるのも納得できそうです。
さらに、ハナショウブの原種であるノハナショウブ(野花菖蒲)には花のかたちや色の違う変異個体が多く、このことが改良を容易にした一因でもあると言えそうです。
そして、日本庭園に欠かせない4大要素のひとつが「水」なのですが、枯山水が登場するまでは池泉庭園が主流だったと言っても過言ではなく、鑑賞の仕方に平安時代の池泉舟遊式庭園から室町時代にかけては池泉鑑賞式庭園、江戸時代以降は池泉回遊式庭園と変遷があるものの、その池泉に映える植物が好まれたとするならおそらくハナショウブやカキツバタだと思います。
推測も含めて簡単に纏めたものですが、このようなことが複雑に絡み合い、日本でアヤメを改良するまで栽培されることは少なかったのかもしれません。