旧鐘淵紡績京都工場跡地の東大路高野第3住宅のあたりの旧大原街道の並木はユリノキ(百合の木)です。今月上旬のことですが、今年もちらほらと花を咲かせ始めていました。

ユリノキは、北アメリカ原産のモクレン科ユリノキ属の落葉高木です。明治初期に、明治政府が学監として招聘したアメリカ人の学者モレー(David Murrey)からユリノキの種子を譲り受けた植物学者の伊藤圭介氏が自宅で発芽させて育てた苗を、明治時代後半に新宿御苑に植えたのが日本で初めてとされています。
なお日本でのユリノキの導入に関しては、博物学者の田中芳男氏が明治6年に、オーストリアのウィーンで開催された万国博覧会への派遣団体一員として渡欧し、帰朝の際にユリノキの種子を持ち帰ったものが最初という説もあるようですが、こちらは発芽に失敗したと考えられており、伊藤圭介氏のユリノキが最初という説が有力なようです。
この新宿御苑に植えられたユリノキを母樹として、全国各地に街路樹用に広まったそうです。

ユリノキは花弁の外側に橙色の帯が入る特徴的な花で、学名の Liriodendron tulipifera は「チューリップのような花をつけるユリ(百合)の木」という意味で、英語名も Tulip tree です。和名もこの学名から命名されたのですが、チューリップノキ(チューリップの木)ではなくユリノキ(百合の木)となった理由はあるのでしょうか。
東京大学の小石川植物園にあるユリノキの説明板には「明治23年に大正天皇が来園された際にこの木を見てユリノキと命名された」と記載されているそうです。ただ当時、すでにチューリップも観賞用に導入されていましたが今ほど知名度がなかったため、日本人には馴染みのあるユリに譬えるほうがわかりやすいだろうということでユリノキという和名になったとも考えられそうです。もし、チューリップにちなんだ命名だとしたら、どのような和名になっていたのでしょうね。やっぱり、そのままチューリップノキ、それともチューリップの和名の鬱金香(ウコンコウ)から鬱金香木(ウコンコウボク)もしくは鬱金香の木(ウコンコウノキ)でしょうか?
なお、ユリノキは葉が半纏や軍配、奴凧のように見えることから「半纏木」「軍配の木」「奴凧の木」という別名でも呼ばれます。

ユリノキは、北アメリカ原産のモクレン科ユリノキ属の落葉高木です。明治初期に、明治政府が学監として招聘したアメリカ人の学者モレー(David Murrey)からユリノキの種子を譲り受けた植物学者の伊藤圭介氏が自宅で発芽させて育てた苗を、明治時代後半に新宿御苑に植えたのが日本で初めてとされています。
なお日本でのユリノキの導入に関しては、博物学者の田中芳男氏が明治6年に、オーストリアのウィーンで開催された万国博覧会への派遣団体一員として渡欧し、帰朝の際にユリノキの種子を持ち帰ったものが最初という説もあるようですが、こちらは発芽に失敗したと考えられており、伊藤圭介氏のユリノキが最初という説が有力なようです。
この新宿御苑に植えられたユリノキを母樹として、全国各地に街路樹用に広まったそうです。

ユリノキは花弁の外側に橙色の帯が入る特徴的な花で、学名の Liriodendron tulipifera は「チューリップのような花をつけるユリ(百合)の木」という意味で、英語名も Tulip tree です。和名もこの学名から命名されたのですが、チューリップノキ(チューリップの木)ではなくユリノキ(百合の木)となった理由はあるのでしょうか。
東京大学の小石川植物園にあるユリノキの説明板には「明治23年に大正天皇が来園された際にこの木を見てユリノキと命名された」と記載されているそうです。ただ当時、すでにチューリップも観賞用に導入されていましたが今ほど知名度がなかったため、日本人には馴染みのあるユリに譬えるほうがわかりやすいだろうということでユリノキという和名になったとも考えられそうです。もし、チューリップにちなんだ命名だとしたら、どのような和名になっていたのでしょうね。やっぱり、そのままチューリップノキ、それともチューリップの和名の鬱金香(ウコンコウ)から鬱金香木(ウコンコウボク)もしくは鬱金香の木(ウコンコウノキ)でしょうか?
なお、ユリノキは葉が半纏や軍配、奴凧のように見えることから「半纏木」「軍配の木」「奴凧の木」という別名でも呼ばれます。
ユリノキの花が咲いているか、楽しみですね。ユリノキは今の時期に咲く花だけでなく、冬に枝に残る集合果もドライフラワーみたいでかわいらしいですよ。