京都園芸倶楽部の元ブログ管理人の書笈

京都園芸倶楽部のブログとして2022年11月までの8年間、植物にまつわることを綴った記事を納めた書笈。

まだ少しだけ残っていました

2020-12-03 06:35:04 | 園芸・植物・自然環境
先月、11月下旬に建仁寺の近くを通りかかった際に、少し時間があったので境内に入り、参拝がてらヒメリンゴ(姫林檎)の木を見に行ってみたら、少しだけですが果実が残っていました。




時期が時期でしたので、すでに落果しているか熟れすぎて萎びているかしているだろうと思っていたら、予想に反して意外ときれいな実も残っていました。




人の目の高さの場所にはあまり残っていませんが、見上げると上のほうには結構残っていました。見上げたときに、ちょこちょこと動く姿に気づいたのでよく見ると、実をお目当てについばみに来ていたメジロで、こちらの存在に気づかれた途端、逃げられてしまいました。

春には桜に似た花を咲かせますが、この時期の熟した果実もかわいらしいですよ。


ヒメリンゴの花(過去記事より再掲。2018年4月撮影)


ヒメリンゴの観賞後に少しだけ境内を散策しましたら、さすが、開山の栄西禅師が宋から持ち帰った喫茶文化で庶民にまでお茶を楽しむ文化が根づいたこともあり、境内の至るところにチャノキが植えられ、そこかしこで花を咲かせていました。




このチャノキですが、日本には奈良時代にすでに渡来していたと考えられ、平安時代になると貴族や僧侶の上流階級では唐風の喫茶文化が定着していたそうです。ただし喫茶文化が一般庶民にまで広がったのは、栄西禅師が宋風の喫茶文化を持ち帰ってチャノキの栽培を奨励して喫茶の法を普及されたからと言えるでしょうね。

なお、日本に臨済禅を本格的な禅として初めて持ち込んだのも栄西禅師です。境内にある開山堂の前には「扶桑佛心宗第一開山千光祖師榮西禅師入定塔」という石碑が建てられています。扶桑とは中国における日本の異称である「扶桑国」のことで、佛心宗とは禅のことを指します。また、本坊の玄関の衝立には「最初の禅寺」という意味の「最初禅窟」と墨書された衝立があり、これは栄西禅師が好んで使われた「扶桑最初禅窟」のことだそうです。それぞれ写真は撮り忘れましたが。

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