
赤坂門を出た西鉄バスが夜の街を淡々と走る。
録音されたアナウンスが駅近くの店の宣伝や停留所を告げる以外には、会話はない。
初老の男性がガムでも噛んでいるのだろうか、
ギュッ、ギュッと、底がはがれかけたゴムサンダルで歩くような音が響いている。
何の音かしらという感じで中年の女性が車内をきょろきょろと見まわす。
音源を見つけられず、首をかしげてまた前を向く。
バスは淡々と走り続ける。
エンジン音と、タイヤのゴムがアスファルトでねじれる音が聞こえる。
ふと、一番前の席に座っていた若い女性が振り返って、弾むような声で言った。
「勝ちましたよ」
手にはスマートフォンを持っていて、
画面には紙吹雪と両手を上げて走り回る野球選手の姿が映っている。
おそらく知り合いではない、ラフな格好の若い男性が受ける。
「お、勝ちました?おお」
その辺りの二、三人が拍手をする。
「サヨナラです」
ゴムサンダルの音が止まり、初老の男性が声をかける。
「誰が打ちました?」
「川島です」
「おお、川島か」
「はい」
うんうん、という感じでうなづく。
そして会話は終わり、また車内は静かになった。
野球をする会社があり、野球場がある。
お金を払って選手を雇い、みんなの前で野球を見せる。
ただそれだけのはずなのに、でもそうではない。
見ず知らずの単に同じ時間にバスに乗り合わせた人達が、ほんの一瞬だけど、喜びを分かち合ったのだ。
小さいけどそんな歓喜の輪が、その夜は、この街の色んな場所で、
浮かんでは消え、膨らんでははじけていた事だろう。
そしてそれらは、ほんの少しかもしれないけど、みんなを幸せにしているのだ。
目的地に着いて、私はバスを降りた。
バスは淡々と走り去った。
でも、今まで青白かった車内の照明が、ほのかに黄色く暖か味を帯びているように見えた。