少し前に、NHK ETV特集「“焼き場に立つ少年”をさがして」を見た。
このクオリティは民放にはどうしても出せない。
理由は豊富な資金力にあるのか、それを背景にした技術力や組織力、ブランド力にあるのか。地道な作業も含めてこのような手間と時間をかけた番組作りはそもそも他では難しいだろう。ある意味、国営放送の存在意義とも言える。
この番組は単なる少年探しではない。もちろん主題は当時の“少年”にどれだけ近づけるかなのだが、その周辺にあるものも隠さず、都度ピントを合わせた。それも含めて感慨深い作品となっている。
その一つが「生き続けることの難しさ」。
原爆というとどうしても、その圧倒的で直接的な影響から、爆弾投下までの経緯、尽きない放射能の影響、敵と味方の憎悪の連鎖、戦争責任など、大きな事が語られる。だが、その時代の特に戦災孤児たちが生きていくためには、そこから派生連鎖して発生した他の因子とも向き合う必要があった。どうやって生きていくか、である。
番組の中で何度か登場する言葉。
「あの頃の事は思い出したくない」
原爆の影響で親が死に、会ったことも無いような遠い親戚の家に預けられる。でもそこで待っているのはひどい仕打ちだった。「敵」の爆撃も脅威だが、日常の「味方であるはずの人」の冷遇は更に脅威。いじめられる、避けられる(被曝の影響がうつる)、罵られる、家にも寝せてもらえない。心を病んで自ら死を選んだ人もいるという。
皆が生きることに必死だったのだろう。(立場や境遇、年齢なども含めた)弱い立場の人がその必死さのはけ口にされてしまった。状況が過酷だからこそ、仕打ちも度合いを増す。逃げ出し、耐え、生き延びた人の回想は、当時の辛い状況の再現になる。
「思い出したくない」。くぐり抜けて今は元気に生きていますという前向きなメッセージはそこにはない。だからといって、原因はすべて原爆です、戦争です、という(その方にとっての)事実を曲げる演出も無い。劇的な抑揚も無い、淡々とした「思い出したくない」。
* * *
と、番組を見た直後に書いたが、どうも何かが引っかかって、下書きのテキストファイルを寝かせておいた。
何が引っかかったのか。
逡巡した後にたどり着いたのは「変わらないってことか」。原爆や戦争だから、ではない。
ドラマで言えば、弱者を何が抑圧するかという設定が違うだけ。それが戦争だったり差別だったり制度だったりするが、そのような状況に置かれた時に皆の暗い意識が弱者に流れた、ということか。
75年前だから、日本だから、matterだから、制度だから、パンデミックだから。
人類は余り進歩してないのかもしれない。