☆やっと、終わりました。
エッセイ講座の原稿を送ったのです。
うじうじと直していましたが、もう、いいわ。と思い、
明日から(今日から)実家なので、連絡も取れなくなる前に、と、
メール添付で送りました。
あとは野となれ、山となれ。です。
いざ、こうして送ってしまうと、気分は不安だけどスッキリしています。
これで、二次の方を書ける。
さっき、終戦関係のTV(NHK)を見ていました。
戦傷者の苦労してきた話でした。
白い服(着物)を着た人(兵隊さん)を昔に見た記憶があります。
なんか怖くて見るのも見れなかった。
足が無いとか、手が無いとか。目が見えないとか。
子供には、怖いじゃないですか。
戦争がずーーと前にあった事なので、この人は本当なんだろうか?
なんて思ったりもしました。
で、父や母がそういう人にお金を渡す事もしないので、
そういう扱いで良いのだと思ってました。
この人たちが戦ってくれたから、今の日本があるのにね。
悲惨な戦争になってゆく時に原爆を落として止めてくれた。
って考えの子供がいるそうですね。
そこはそれじゃいけないと思うけど、だけど、
一番は戦争をしない事。
恒久平和を願いましょう。
そういうと、何?宗教?と言われるのかな?
でも、戦傷者の話が随分大変な話だったのですよ。
二次小説で終戦後の話を書いていて、どうしても平和の着地点が見えません。
いいかげんな「こうなりました。」とは書けるけど…。
十年~二十年と月日だけ過ぎる(小説の中で)なのに、見えない。
「平和」ってどこにあるのかな?
今、こんな事を書いていられるのが、平和なんだど…。
なら、これをどう書けば良い?
これは全て二人が見た夢だったってのが、一番楽。
平和を望んで、未来を信じて二人は死んでゆきました。ですか?
まさか、こんな事で悩むとは…。
戦争をテーマで描いた物語はどこを着地点にしているのか気になっています。
恒久的な平和は願えば叶う?
叶わないけど、願わないと始まらないんだよね。
終戦です。
日本人なら、平和を願いましょうよ。