古事記 中つ巻 現代語訳 三十
古事記 中つ巻
開化天皇系譜 二
書き下し文
故、兄大俣王の子、曙立王、次に菟上王。二柱。此の曙立王は、伊勢之品遅部君、伊勢之佐那造の祖。菟上王は、比売陀君の祖。 次に小俣君は、当麻勾君の祖。次に志夫美宿禰王は、佐々君の祖なり。次に沙本毘古王は、日下部連、甲斐国造の祖。次に袁耶本王は、葛野之別、近淡海蚊野之別の祖なり。次に室毘古王は、若狭之耳別の祖。其の美知能宇志王、丹波之河上之摩須郞女を娶ひて、生める子、比婆須比売命、次に真砥野比売命、次に弟比売命、次に朝廷別王。四柱。此の朝廷別王は、三川之穂別の祖。 此の美知能宇斯王の弟、水穂真若王は、近淡海之安直の祖。次に神大根王は、三野国之本巣国造、長幡部連が祖。次に山代之大筒木真若王、同母弟伊理泥王の女、丹波能阿治佐波毘賣を娶ひて、生める子、迦邇米雷王。此の王、丹波之遠津臣の女、名は高材比売を娶ひて、生める子、息長宿禰王。此の王、葛城の高額比売を娶ひて、生める子、息長帯比売命、次に虚空津比売命、次に息長日子王。三柱。此の王は、吉備品遅君、針間阿宗君が祖。また息長宿禰王、河俣稲依毘売を娶ひて、生める子、大多牟坂王。此は多遅摩国造が祖なり。上に謂へる建豊波豆羅和気王は、道守臣・忍海部造・御名部造・稲羽忍海部・丹波竹野之別・依網之阿毘古等が祖なり。天皇、御年は陸拾参歳。御陵は伊耶河の坂の上にあり。
現代語訳
故、兄・大俣王(おおまたのみこ)の子は、曙立王(あけたつのおおきみ)、次に菟上王(うなかみのおおきみ)。二柱です。この曙立王は、伊勢之品遅部君(いせのほむじべのきみ)、伊勢之佐那造(いせのさなのみやつこ)の祖(おや)です。菟上王は、比売陀君(ひめだのきみ)の祖です。 次に小俣王(おまたのみこ)は、当麻勾君(たぎまのまがりのきみ)の祖です。次に志夫美宿禰王(しぶみのすくねのみこ)は、佐々君(ささのきみ)の祖です。次に沙本毘古王(さほびめのみこと)は、日下部連(くさかべのむらじ)、甲斐国造(かいのくにのみやつこ)の祖です。次に袁耶本王(おざほのみこ)は、葛野之別(かずののわけ)、近淡海蚊野之別(ちかつおうみのかやのわけ)の祖です。次に室毘古王(むろびこのみこ)は、若狭之耳別( わかさのみみのわけ)の祖です。その美知能宇志王(みちのうしのみこ)は、丹波之河上之摩須郎女(たにわのかわかみのますのいらつめ)を娶いて、生まれた子は、比婆須比売命(ひばすひめのみこと)、次に真砥野比売命(まとのひめのみこと)、次に弟比売命(おとひめのみこと)、次に朝廷別王(みかどわけのみこ)。四柱です。この朝廷別王は、三川之穂別(みかわのほのわけ)の祖です。 この美知能宇斯王(みちのうしのみこ)の弟(いろど)、水穂真若王(みずほのまわかのみこ)は、近淡海之安直(ちかつおうみのやすのあたい)の祖です。次に神大根王(かんおおねのみこ)は、三野国之本巣国造(みののくにのもとすのくにのみやつこ)、長幡部連(ながはたべのむらじ)が祖です。次に山代之大筒木真若王(やましろのおおつつきまわかのみこ)が、同母弟(いろど)の伊理泥王(いりねのみこ)の女、丹波能阿治佐波毘売(たにわのあじさわびめ)を娶いて、生まれた子は、迦邇米雷王(かにめいかずちのみこ)。この王は、丹波之遠津臣(たにはのとおつおみ)の女、名は高材比売(たかきひめ)を娶いて、生まれた子は、息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)。この王、葛城高額比売(かつらぎたかぬかひめ)を娶いて、生まれた子は、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、次に虚空津比売命(そらつひめのみこと)、次に息長日子王(おきながひこのみこ)。三柱です。この王は、吉備品遅君(きびのほむじのきみ)、針間阿宗君(はりまのあそのきみ)が祖です。また息長宿禰王は、河俣稲依毘売を娶いて、生まれた子は、大多牟坂王(おおたむさかのみこ)。これは多遅摩国造(たじまのくにのみやつこ)が祖です。上(かみ)に謂(い)える建豊波豆羅和気王(たけとよはずらわけのみこ)は、道守臣(ちもりのおみ)、忍海部造(おしぬみべのみやつこ)、御名部造(みなべのみやつこ)、稲羽忍海部(いなばのおしぬみべ)、丹波竹野之別(たにはのたけののわけ)、依網之阿毘古(よさみのあびこ)等が祖です。
天皇の御年は六十三歳。御陵は伊耶河(いざかわ)の坂の上にあります。
現代語訳(ゆる~っと訳)
そして、日子坐王の長兄の大俣王の子は、曙立王、次に菟上王。2人です。
この曙立王は、伊勢之品遅部君、伊勢之佐那造の祖先です。
菟上王は、比売陀君の祖先です。
次に日子坐王の子、小俣王は、当麻勾君の祖先です。
次に日子坐王の子、志夫美宿禰王は、佐々君の祖先です。
次に日子坐王の子、沙本毘古王は、日下部連、甲斐国造の祖先です。
次に日子坐王の子、袁耶本王は、葛野之別、近淡海蚊野之別の祖先です。
次に日子坐王の子、室毘古王は、若狭之耳別の祖先です。
日子坐王の子、美知能宇志王は、丹波之河上之摩須郎女と結婚して、生まれた子は、比婆須比売命、次に真砥野比売命、次に弟比売命、次に朝廷別王。4人です。
この朝廷別王は、三川之穂別の祖先です。
この美知能宇斯王の弟、水穂真若王は、近淡海之安直の祖先です。
次に日子坐王の子、神大根王は、三野国之本巣国造、長幡部連の祖先です。
次に日子坐王の子、山代之大筒木真若王が、同母弟の伊理泥王の娘、丹波能阿治佐波毘売と結婚して、生まれた子は、迦邇米雷王。
この迦邇米雷王が、丹波之遠津臣の娘、名は高材比売と結婚して、生まれた子は、息長宿禰王。
この息長宿禰王が、葛城高額比売と結婚して、生まれた子は、息長帯比売命、次に虚空津比売命、次に息長日子王。3人です。
この息長日子王は、吉備品遅君、針間阿宗君の祖先です。
また、息長宿禰王が、河俣稲依毘売と結婚して、生まれた子は、大多牟坂王。これは多遅摩国造の祖先です。
先に述べた建豊波豆羅和気王は、道守臣・忍海部造・御名部造・稲羽忍海部・丹波竹野之別・依網之阿毘古たちの祖先です。
天皇の御寿命は63歳。御陵は伊耶河の坂のほとりにあります。
続きます。
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