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リートリンの覚書

東京史跡巡り・坂本龍馬(品川)


東京史跡巡り

坂本龍馬
(品川)




京浜急行立会川駅の近く、諏訪神社所有地内にある児童遊園には、「坂本龍馬」像が設置されています。




龍馬が世界と出会ったまち品川
 ペリーが初めて来航した嘉永6年(1853)、19歳の坂本龍馬は藩からの許可を得て江戸で剣術始業中でした。
 土佐藩は立会川で剣術始業中でした。
 土佐藩は立会川河口付近にあった下屋敷詰めの武士を動員し、龍馬もその中に加わりました。
 同年9月には「異国船異国船処々来り候へば、軍(いくさ)も近き内を存じ奉り候、その節は異国の首を打ち取り』と、父親に手紙を書いています。
品川での黒船警固から、龍馬の幕末は出発したのです。


立会川 二十歳の龍馬像

 嘉永6年(1853)黒船4隻によるペリー艦隊来航の折、坂本龍馬(1835~1867)は土佐藩品川下屋敷の近くにあった浜川砲台の警護にあたります。
 当地は後に海運貿易の亀山社中の設立・薩長同盟の斡旋など、近代を切り拓いた龍馬が志を立てたゆかりの地と言えます。

 地元有志、品川龍馬会の人々のはたらきで、桂浜にあるものと同じ姿の龍馬像が高知市の寄贈により設置されていましたが、近頃の時代の閉塞感とあいまって、龍馬の事績に思いを到す人々の、ブロンズ像であればとの強い願いを受けて、東京京浜ロータリークラブは関係者と蜜に語らい議って、二十歳の龍馬像としてこれをここに建立したものです。

 なお、この像には、平成11年修復時の高知県桂浜の像の金属片が溶かし込んであります。


所在地

東京都品川区東大井2-25-22
北浜川児童遊園内


最後に

コロナ禍真っ最中に撮影したことが、像でバレバレですね。

マスクをした龍馬像。

ある意味、レアかもしれません。


参考
品川区HP



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