古事記 中つ巻 現代語訳 十九
古事記 中つ巻
神八井耳命、弟建沼河耳命に皇位を譲る
書き下し文
尓して神八井耳命、弟建沼河耳命に譲りて曰さく、「吾は仇を殺すこと能はず。汝命は既に仇を殺すことを得つ。故吾は兄にあれども、上と為るべくあらず。是を以ち汝命、上と為り、天の下治らしめせ。僕は汝命を扶け、忌人と為りて仕へ奉らむ」とまをす。故其の日子八井命は、茨田連・手島連の祖。神八井耳命は、意富臣・小子部連・坂合部連・火君・大分君・阿蘇君・筑紫の三家連・雀部臣・雀部造・小長谷造・都祁直・伊余国造・科野国造・道の石城国造・常道の仲国造・長狭国造・伊勢の船木直・尾張の丹波臣・島田臣等の祖なり。神沼河耳命は天の下治らしめしき。およそ此の神倭伊波礼毘古天皇の御年壱佰参拾漆歳。御陵は畝火山の北の方の白梼尾の上に在り。
現代語訳
尓して、神八井耳命(かむやいみみのみこと)は、弟・建沼河耳命(たけぬなかはみみのみこと)に譲り、いうことには、「吾は、仇を殺すこと能(あた)わず。汝命は、既に仇を殺すことが出来た。故に、吾は兄ではあるが、上となるべきではない。是を以ち汝命 ( いましみこと )が、上となり、天の下を治(した)らしめせ。僕は汝命を扶(たす)け、忌人(いはひびと)となって、お仕えいたします」と申しました。
故、その日子八井命(ひこやいのみこと)は、茨田連(まむたのむらじ)、手島連(てしまのむらじ)の祖です。神八井耳命は、意富臣(おほのおみ)、小子部連(ちひさこべのむらじ)、坂合部連(さかひべのむらじ)、火君(ひのきみ)、大分君(おほきたのきみ)、阿蘇君(あそのきみ)、筑紫の三家連(みやけのむらじ)、雀部臣(さざきべのおみ)、雀部造(さざきべのみやつこ)、小長谷造(をはつせのみやつこ)、都祁直(つけのあたひ)、伊余国造(いよのくにのみやつこ)、科野国造(しなののくにのみやつこ)、道(みちのく)の石城国造(いはきのくにのみやつこ)、常道(ひたち)の仲国造(なかのくにのみやつこ)、長狭国造(ながさのくにのみやつこ)、伊勢の船木直(ふなきのあたひ)、尾張の丹波臣(にはのおみ)、島田臣等の祖です。神沼河耳命は天の下を治めました。
およそこの神倭伊波礼毘古天皇(かむやまといはれびこのすめらみこと)の御年百三十七歳。御陵(みささぎ)は、畝火山の北の方の白梼尾(かしのを)の上に在ります。
・忌人(いはひびと)
神をまつる人。いわい
現代語訳(ゆる~っと訳)
このことで、神八井耳命は、弟・建沼河耳命に皇位を譲り、
「私は、敵を殺すことが出来ませんでした。あなたは、敵を殺すことが出来ました。
よって、私は兄ではあるが、天皇となるべきではありません。
したがって、あなたが天皇となり、天下を統治なさいませ。私はあなたを助け、神をまつる人となって、お仕えいたします」と申しました。
日子八井命は、茨田連、手島連の祖先です。
神八井耳命は、意富臣、小子部連、坂合部連、火君、大分君、筑紫の三家連、雀部臣、雀部造、小長谷造、都祁直、伊余国造、科野国造、道の石城国造、常道の仲国造、長狭国造、伊勢の船木直、尾張の丹波臣、島田臣等の祖先です。
神沼河耳命は天下を統治なさいました。
全て数えて神倭伊波礼毘古天皇の御年は137歳。御陵は、畝火山の北の方の白梼尾のほとりにあります。
続きます。
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