古事記 中つ巻 現代語訳 二十四
古事記 中つ巻
孝安天皇
(こうあんてんのう)
書き下し文
大倭帯日子国押人命、葛城室之秋津島宮に坐して、天の下治らしめしき。此の天皇、姪忍鹿比売命を娶ひて、生れませる御子、大吉備諸進命、次に、大倭根子日子賦斗邇命ぬな。二柱。故大倭根子日子賦斗邇命は、天の下治らしめしき。天皇の御年、百二十三歳。御陵は玉手岡の上に在り。
現代語訳
大倭帶日子國押人命(おおやまとたらしひこくにおしひとのみこと)は、葛城室之秋津島宮(かずらきのむろのあきづしまのみや)に坐(いま)して、天の下を治(し)らしめました。この天皇は、姪(めい)の忍鹿比売命(おしかひめのみこと)を娶(めと)いて、お生れになられた御子は、大吉備諸進命(おおきびのもろすすみのみこと)、次に、大倭根子日子賦斗邇命(おおやまとねこひこふとにのみこと)。二柱です。故、大倭根子日子賦斗邇命は、天の下を治らしめました。
天皇の御年、百二十三歳。御陵は玉手岡(たまでのおか)の上(ヘ)に在ります。
・葛城室之秋津島宮(かずらきのむろのあきづしまのみや)
奈良県御所市室にある八幡神社境内に宮跡の石碑がある
現代語訳(ゆる~っと訳)
大倭帯日子国押人命は、葛城室之秋津島宮においでになられ、天下を統治しました。
この天皇は、姪の忍鹿比売命と結婚して、お生まれになられた御子は、大吉備諸進命、次に、大倭根子日子賦斗邇命。二人です。
大倭根子日子賦斗邇命は、天下を統治しました。
天皇の御寿命は、123歳。御陵は玉手岡のほとりにあります。
続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。