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臨港鶴見川橋まで行ってきました。
この辺りの一角は浅野家の本家筋の家があったのだそうです。
鶴見川の水を引いて作った池には
満潮になると魚が入ってきたそうで、
鯛なども獲れたとか。
それって、ハワイにあるフィッシュポンドと同じではありませんか
日本でも同じことが行われていたのがわかり、
ますますハワイとの繋がりを感じてしまいました。
個人のお宅だと思い
遠慮して写真を撮らせていただいていました。
かつての建物は焼失したということですが、
いまでも、かなり大きなお屋敷ですよね。
入り口に回ってみたら、
東芝の京浜事業所の寮でした。
東芝グループの従業員、家族、OBが利用できる施設で、
懇親会 歓送迎会 接待に利用でき 完全予約制なのだそうです。
潮見橋の上流に 『潮田の渡し場跡』 の碑があるのですが、
川を渡ってどこに着くのかと思ったら、
この浅野家の本家筋の家の脇だったようです。
渡し賃を持っていない人は歩いて渡ったそうなので
浅い川だったのかと思いました。
最近になって知った、国立研究開発法人農業環境技術研究所の
「歴史的農業環境閲覧システム」によって比較してみると、
想像してたのとは少し違っていたのですが、
臨港鶴見川橋の隣の 『潮見橋』 の上流側には沼があったことがわかりました。
歴史的農業環境閲覧システムは、
明治初期から中期にかけて
関東地方を対象に作成された「迅速測図」と、現在の道路、河川、土地利用図とを比較することにより、
農村を取り巻く環境の歴史的な変化が閲覧できるのです。
まだ埋め立てが行われる前の地図で、
鶴見川の河口付近、つるみ大橋の上流側に大きな中州が見受けられました。
そして、現在の北部第一水再生センターのある場所一体は
『蘆』と書いてあり池のようでした。
埼玉大学の今昔マップで鶴見臨港鉄道を調べてみました。
臨港鉄道が走っていたのが 『臨港鶴見川橋』なのですね。
臨港鶴見川橋
東芝京浜事業所の寮の脇を抜け、
鶴見臨港鉄道の軌道を辿ると、
現在では家が立ち並んでいるようです。
鶴見臨港鉄道の 終点はこの公園です。
『本山前桜公園』
公園の前のお宅の両側のブロック塀が、鉄道の名残だそうです。
右側は駐車中の車の左に細い道があり、
その左側にブロック塀が残っていました。
駅の遺構は残されていませんでした。
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