セントレアから~

旅の始まりは、セントレア(中部国際)から~
趣味ではじめたフラと、おばさんのひとり言も。

東北・岩手 八戸~宮古~遠野 2012年4月15日 

2012-04-21 | 東北旅行
2日目は岩手県に入ります。
団体ツァーなので、下車する所は限られており、
バス車内から撮った写真は、反射したり、見にくいものもあります。
また、地理不案内なため写真と説明があっていないところがあるかもしれません。

北山崎
高さ200mもの断崖に、穴が開いた岩。
私はこちらは数年前に訪れたことがあり、あの穴は津波で崩壊してしまったか?と
思っていましたが、
自然にできた物は、今回の大津波でも壊れませんでした。


三陸鉄道小本駅から、宮古駅まで乗車します。


北リアス線では宮古~小本駅間、田野畑~久慈駅間で運行しています。


小本駅を発車し、長いトンネルを抜けると、
初めて実際に目にした、被災地・宮古市田老。


田老のスーパー堤防。
大津波は軽く10mの高さの防潮堤を乗り越えてしましました。


ところで、防波堤・防潮堤の違いは…

★防波堤
海の中にあって波をおさえるもの
★防潮堤
陸にあって高潮の時に災害から守るもの


瓦礫はとりあえず、瓦礫置き場に置かれ、
一見片付いたように見えますが、瓦礫の多さが問題です。
基礎だけが残り、言葉が出ません。


車内では車掌ガイドさんが被災地の説明をしてくださいました。

ガイドさんの言葉で、
「何もなくなっていい、命があったから」…心に残りました。


宮古駅前。ここも津波の浸水域でした。


割烹 魚元さんで、海鮮丼の昼食を頂きました。
こちらも津波の海水が押し寄せて来たと言います。


昼食後、浄土ヶ浜へ向かいます。
この辺りが、ヘドロを巻き込んで黒い波が襲ってくる報道写真の所です。




途中宮古で一番被害が大きく、壊滅状態の鍬ケ崎地区を通ります。


宮古魚市場は解体中です。


港で船をつける岸壁、防潮堤も被害を受け
現在も船を安全につける場所がないそうです。


地盤沈下で、大潮になると、冠水するそうです。


浄土ヶ浜に着きました。


以前は3艘あった、遊覧船は2艘津波で失い
今は船長が震災時 大津波をのり越えて沖へ避難し、
唯一残った遊覧船で、営業中です。


奥の船はたまたま修理で丘に上がっていた、北山崎の観光船。
ですが、この船の港は壊れてしまい、戻れないそうです。


1個100円の「うみねこパン」。
震災時沖に避難した船長は3日港に戻れず、このパンを食べていたそうです。


船の周りにはウミネコが群れ飛び、「うみねこパン」 を差し出せば、
手から器用にくわえて飛んで行きます。


この日は波が荒く、潮吹き岩から、潮が上がっているのがよく見えます。


こんなに、美しい海が牙を剥くなんて…




お土産を買おうと楽しみにしていた、浄土ヶ浜ターミナルビルは休業中でした。


仮設住宅。


震災後たまたま見つけた 鍬ケ崎の若い漁師さんのブログ「漁師の徒然なるブログ
大地震後、船は大津波を乗り越え、沖に出し無事でしたが、大津波で家を失っておられます。
三陸は本当に良質な海産物の宝庫で、今も船を出し頑張っておられます。
いつもブログを見ています。


左奥に見えるのは、鍬ケ崎小学校。
そこまで、津波が来たそうです。




宮古とはお別れし、
隣の山田町に入ります。


町ごと壊滅状態です。


一つの街が無くなってしまうなんて…


道の駅やまだで、休憩。
山田町はシイタケ栽培日本一だそうで、干しシイタケを買いました。


町長が亡くなった、大槌町を通り、



↓瓦礫の山の向こうに見えるのが。「釜石の奇跡」と呼ばれた
釜石市立釜石東中学校と鵜住居小小学校。

最初校庭にいた中学生が
1キロ近く離れた高台にある指定避難所のデイサービスセンターを目指し逃げ出した。
隣の鵜住居小学校でも、中学生が走って逃げるのを見て、
つられるように走って、中学生は小学生の手を引いて逃げた。
しかしデイサービスセンターの「裏の山林が崩れそうだ」というので
またその先400mの高台を目指す。
学校にいた生徒は約1.5キロ離れた峠まで走って逃げたため全員無事だった。
バスで走っても、距離があったのに、
中学生の中にはデイサービスセンターの車いすを押して、
小学生をおぶっていた子もいたそうだ。

古くから津波に苦しめられてきた三陸地方の言い伝えである
「津波てんでんこ」(津波が来たら、他人に構わず各自てんでんばらばらに逃げろの意味)
の教えを守り、実際に実行できた、防災意識の高だった。
「津波てんでんこ」は、
また、自分自身は助かり他人を助けられなかったとしてもそれを非難しない、という
不文律にもなっている。


釜石


釜石駅


この先は、遠野市のホテルに入りますので、
津波の被害はここまでです。

3月11日の東日本大震災発災以来、瞬時に遠野市は沿岸被災地後方支援基地として、
自衛隊、消防、警察、電力、医療そしてボランティアなどの活動拠点となってきた。
また、市民からの食料など救援物資の確保や提供、避難された方々
の受け入れなど、官民が一体となって被災地への支援活動を展開してきたそうです。

遠野市には津波被害が想定されていないのにもかかわらず、
沿岸地域のために支援をしようと
以前から計画していたことには驚かされました。

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3 コメント

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写真をお借りします。 (コーケやん)
2012-04-27 21:17:03
山田町のあなたの写真をブログに使わせてもらいました。さしつかえなければこのまま使わせていただきたいと思います。

http://blog.goo.ne.jp/traum2011/e/d31c2d6524f9d7327200d48a5d3e9787

陸前高田の案内人實吉さんの弟は私の知り合いで札幌にいます。妹さんのお話などうかがっておりました。さっそくこのブログのURLを連絡しました。ありがとうございました。
返信する
コーケやんさんへ (にゃごやん)
2012-04-27 21:40:28
コメント有難うございました。
實吉さんのお知り合いでしたか。
實吉さんには、大変お世話になりました。
妹さんをなくされておられるのに、本当に詳しく説明していただき
現状がよく分かりました。
写真はどうぞお使いください。
ブログを通じて少しでも、今の状況を皆さんに知って頂きたく
シャッターをおしました。
これから先の復興も、紆余曲折があると思いますが、
又素晴らしいふるさとができますよう、
名古屋から応援しております。



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Unknown (キムタク命命)
2012-05-12 18:26:59
2012-04-25 19:38:22

にゃごやんさん

宮古の見学ご苦労さんでした。そしてありがとうございました。

ブログを見せてもらいました。すばらしいご旅行でしたね。津波災害の本質をしっかり見ていただいたようで、こちらもお礼したいと思って、ここを借りました。すばらしい写真と、おさえながらのコメントはしっかり力が入っておりました。ありがとうございました。

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