国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

6、民主主義 ユダヤ

2016年03月21日 | Weblog

 これまで思考実験として、また他人の意見として読んでいたものを頭から自分の生き方に反映させるには相当勇気がいる。

 民主主義が真と考えられている世の中で君主主義を主張することは非常に難しい。時代錯誤、戦前の亡霊、軍国主義などと結び付けられてしまう。

 ゆえに、自分の思想は簡単には人に明かさない。人には理解できるようなパーソナリティを作っておく。そうすると人は安心する。これは天真爛漫な生き方をするのとは反対で他国でスパイのように生きることを強いられる。

 ある意味非常に難しい。しかし、知ってしまった以上、変人として生きるか、自分を隠して生きるかしかない。

 民主主義については他のところでも述べたアテネの民主政は今日の民主主義と違うと主張することで、プラトンが国家論の中で民主政を下位に位置づけたことから目を背けようとする学者は多い。

 民主主義には問題がある。論理的矛盾があり、それは現実世界では権力闘争や衆愚を生み出す。このことに気が付かず日本には真の民主主義が根付いていないという者もいるが、では民主主義が根付いている国があるというのならその政治のありさまをみてみるがいい。必ず問題を内包している。それは民主主義が完成していないからではなく、民主主義自体に矛盾をはらんでいるからだ。

 民主主義は君主主義をひっくり返して理論を作った。複数の民を多数決によって民の意思として擬制(むりやりみなし)し、これを主として政治を構築しているので、現実との矛盾が生じる。

 民主主義は哲学者にとっては耐えられないくらい誤魔化した論理によってなりたっている。

 正直に多数決主義、多数意思主義とでも言えばよいものを、少数の意見を無視して民の意思としてしまうずさんさが、政治闘争の原因になってsます。

 君主を倒してしまった民衆は誰かをリーダーにせざるをえない。それを多数決で決めているだけ。多数者の意見は反映するが、少数者の意思は無視される。

 では人類は多数が賢明だろうか。議論の余地がある。政治の能力のない人が政治家になったりもする。

 多数決を国民の意思とするのは擬制つまりあたかもそのごとく・・でありそのものではない。

 蜂が女王蜂を頂点として組織づけられているのは教訓かもしれない。それは生まれながらにして女王鉢の素養を持ったものが女王蜂として君臨する。

 人類は天皇が頂点として君臨すべく宿命づけられている。というのが太古の日本の考え方で、私が理解したおおもとの思想の核の部分である。

 日本は皇統を維持す国柄であり、それが日本の使命でもあったと思われる。縦と横でいえば限界の世界ではタテの役割である。これに対して横の役割を担って言えるのがユダヤ民族である。

 神の選民と呼ばれるユダヤ民族はこの皇統を支えて世界を整える役目を担っている。

 日本では神道関係者の一部に親ユダヤ派、反ユダヤ派がある。世界経済を動かしているのはユダヤの財閥で、シオンの議定書は悪神の神諭とも言われている。

 ユダヤ派は古い歴史に基づいて祖国を回復した。この運動は是か非か。

 出口王仁三郎は時々ユダヤやフリーメイソンについて言及しているr。

 世界経綸にユダヤは深くかかわっている。

 出口王仁三郎は世界の経済戦がフリーメイソンによって引き起こされているとしている。

 

 

 



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