大本の文献を読んでいると、他の教えを排斥しているのではなく、別の宗教との連携に気を配っていることが分かる。中でも道院という中国に起こった団体(これは紅卍会という慈善団体と一体になっているのだが)との連携が強調されており、出口王仁三郎も出口日出麿もこの団体を通して、満州蒙古で歓迎されたと聞く。清朝のラストエンペラーの侍従のなかにもこの道院の信者がいたといわれている。
そこで私も道院へゆき道院がどういうところか、どういう修行を行うところかを知るために赴いた。道院は二人で自動書記を行い、その神示によって経典や組織が形成されていた。しかし共産中国が確立してからはその中心は台湾と香港に散り、それぞれ活動を行っていた。完全に協力関係にあるかどうか、様々な事情もあるらしい。台湾にもやはり分派があり、どちらも自動書記を行っていた。
自動書記自体は神秘的だが、それが正しい神によるものか邪霊によるものかは正直私にもわからなかった。
日本には当時笹目秀和という仙人のような人がいた。お目にかかったがかなりご高齢であった。奥多摩の大岳山にヘリが降りることのできる院をつくった。
笹目氏は大本とも関係があり出口王仁三郎師や日出麿氏に大本のご神体を崑崙山におさめるよう頼まれたと書き記している。また彼は戦時中モンゴルの徳王のサポートを行っていたようだが途中意見の相違で身を引いたようだ。合気道の植芝盛平とはあまり意見が合わなかったようす。大本の三代教主には道院の坐を進めたが、三代教主は座禅を重んじ受け入れられなかったと聞いている。
笹目氏は当時神仙の寵児とかいう書物を描いていて、中国大陸での体験談を披露している。捕まって監禁されたことや仙人との出会いなども描いている。
道院の修行法についてはあまり詳しく書くことができない。これはそれについて説明する専門の修行者がおり、入門しないとそれを明かすことができない。入門はそんなにむずかしいものではない。求修といわれているが、儀式と一定期間の坐を行うこと、基本的な心得などが教えられる。
私は座禅で足を組むのが苦手だった。その点先天の坐法は苦労がなかったが、微妙な手の位置や姿勢などがしっくりくるのにだいぶ時間がかかった。
いくつかの神呪が教えられ、この神呪と坐それに慈善活動が基本修行となる。仏教を見てきた私には非常に合理的で整理された体系に思われた。
経典があるが、その内容は仏教などよりもはるかに難解であった。
しかし個人用に般若心経のような短い経があり、求修したものを渡される。
私はここでも団体内での争いに遭遇し、みんなと活動してゆくという気持ちになれなかった。
自動書記はすでに停止しているとのうわさも聞いていたが、いまのところ健在だった。台湾との繋がりがあり、台湾から一行が訪れていた。
出口王仁三郎は大本と道院を一体としてとらえ、大本は道院、道院は大本であるとも言っていたという。したがって私もまた両方を心身にしみこませるようにした。これは益するところ大であった。
大本は祭祀を重んじているまた霊界物語を読むことを重んじている。道院でも祭祀があるにはあるが、坐と呪、経典を集まって読むことを非常に大事にしていた。
すべてを行うのは正直自分には無理で抵抗があった。知が勝ちすぎて、どうしても理解しようとしてしまい機械的になにかを実施するという気力がわいてこない。これはたぶん自分にはまだ許されていないのだと思うようになった。入門したての頃は自分が偉くなったような気にもなったが、驕りであり、分相応というところだ。いやひょっとしたら落ちこぼれかもしれないと最近思うようになった。
道院の教えの中には、自分に穢れがあると穢れを引き込んでしまい次々に悪い方に行ってしまうというのがある。不運といわれるものの大部分がこれなのだと理解するようになった。たとえ先祖の因縁であろうがなんであろうが、解消させてしまう免因呪というのがあって、何十回も唱えることになっている。ところが自分にけがれがあるとこれを唱えることがなんとなく嫌になってしまう。怠惰という形で現れてしまう。いいわけをして続かないのだ。
何十年とこれを繰り返している。しかしながらほんのわずかの間でもこの呪を唱えるようにしていると少しづつ運が開けてくるような気がする。
一気に転換できるものではない。少しづつだ。
坐も慣れないうちは具合が悪くなってしまうことがある。姿勢のどこかに無理があるのだ。また自分の気が乱れている時はうまく落ち着かないときもある。無理をしないほうがいい。
基本通り神呪を繰り返すとかなりおちつき、坐も身体が軽くなる。これらがおきると一日物事がうまく運ぶ。
しかし人間は愚かなもので縁に触れてまたむさぼり、怒り、愚かを繰り返してしまう。うまくいっている時ほど、いったん落ちるとダメージも大きい。このあたりが無理をせず少しづつということなのだろう。染みついた垢は容易には取れない。習慣の垢もあろうし、先祖から引き継いだ垢もあろう。今でいえば遺伝や気質や家族の習慣の伝承だろう。原因を見つめても解決にはならない。解決にはひたすら呪と坐を行うことだろう。
言っていることは他の宗教と同じようなことである。しかしこれは技術である。太古にもあったといわれる修行方法だそうだ。故に道院は宗教団体として登録せず、宇宙の最高学府と称している。
おおもとにも鎮魂法というのがある。また祝詞があり、短い祈りの語句がある。ただ進められる比重としては大本では最も重視されるのが「カムナガラタマチハエマセ」や天津祝詞と霊界物語の読誦であろうか。道院でいわれるほど鎮魂法をかならずやれとはいわれない。帰神という神がかりは禁止されている。また別途自動書記のできる人がおきても、惑わすものとして重視されない。自動書記という現象は低級な霊がかかるということもあるのだ。
道院にいわゆる教主は存在しないが、大本には教主が必ず存在し、血縁の女性が受け継ぐこととなっている。
宗教的な内容はただ単に道徳を説いているだけではなく、ともに宇宙の創成や神々の活動に及んでいる。
私はどちらにも深い縁があって知ったわけではなかった。それゆえにどちらに肩入れすることもなく一定の距離を置きながらみることができ、組織内の紛争から逃れていられた。
しかし距離を保っていると形式的な面を十分に取り込むことが難しく祭祀などはやらなければ忘れてしまう。習慣からは離れてしまう。
家族は宗教を嫌った。大本の信仰を持つ人を家族にすべきかどうか、一概には言えない。大本には様々な縁で人が集まっている。よき人もいればなかなか難しい複雑な人もいる。同じ宗教だからうまくゆくとは限らない。
私は大本と関係のない人と所帯をもち、まったく理解されないための孤独も味わった。しかしこれは結婚する前と同じである。宗教は強制してもしょうがない、否強制すべきものではないということを深く学んだ。
数十年精魂を傾けてようやくたどり着いたところは到底現代人が理解できるものではなかった。
関西の古い新興宗教の奥に、眠っている時代錯誤の考え方が真理であるなどということを誰が理解できるだろう。
そういう思いが繰り返し襲ってくる。
人は宗教の表面だけをみて判断する。みそとクソの区別がつかない。学者は世間の地位は高くともこの領域は理解できない。人間が猿人から進化していると考えていては、ミッシンクリンクは見つからない。
人類は記憶喪失を起している。今まで六度世界は泥海になったという。そのたびに文明が滅んだ。
そういうことを教える学者はいない。
自分はオカルトおたくに陥ったのだろうか。たびたび自問する。
そうではない。
多数がかかっている催眠術、記憶喪失から脱却しようとしている。
近代の迷信は機械論的世界観である。エビデンスがなければ存在しないかのような理解。これが生命の理解を妨げている。
この世界と生命の連鎖が自然にできたというのか。それを感じる人間が自然に発生したというのか。
宗教はつくりものなのか。・・・そういうものもある。だがそうでないものもある。
今でいう異次元がこの世界に並立している。幽界であり神界である。太古に会ってはそことの行き来が可能であった。もっと近いものであった。
この世はその世界のうつし世である。
プラトンのイデア論と日本の神界の考え方が奇しくも一致している。
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