花と文。(暮らしと本と花と)

日々の心に残る記しておきたいこと。

禅 鈴木大拙 ~難しくても読みました~①

2019年09月28日 | 

表紙を取ってしまいました。
勝手な好みでありますが。
一か月くらい前に、金沢に行き、その際に立ち寄った「鈴木大拙館」
禅・・・と一言に言っても
私の中でひらめくのは
禅宗の禅、嫁いだ先が禅宗だったので
永平寺にもお参りしたことがあるし、道元禅師の言葉を
心に落として、励まし、自分を立て直そうとしたこともあります。
とても自分自身にしっくりときた・・・そういうことですね。
そんなことがベースにあって
世界に禅を広めた人
そのフレーズはとても魅力的に響いてきた
そして、実際にその記念館に行き
建物のシンプルさ、そこにあった数々の展示物や言葉は
漠然ともしているし
何度も読み返して、なおも未だ理解出来ず
これは本を探して読んでみよう、ということになったのです。
そして帰ってきて、ジュンク堂で検索
在庫としてあったのが、この一冊「 禅 鈴木大拙 訳 工藤澄子」
興味津々ではありましたが、何せ小難しい
けれど、こんな私にもところどころにはわかる、響いてくる
ものがあって、終わりに近づくにつれ、そういうことかと
朧げながら、やはりそういうことなんだな
というところで読み終えたのでした。
そして、いつも大事と思う本を読む時には
ページに折り目をつけるのが常としているから
また振り返ってその箇所を読んでみました。

以下、(禅の意味より抜粋)

~仏陀が「四聖諦(ししょうたい)を提言して、その第一に、「人生は苦である」
と説いたのは、まったく正しかった。われわれはみな。泣き声をあげながら、
そして何か抵抗しながら、この世に生まれてきたではないか。少なくとも、
柔らかな暖かい母の胎内から、冷たく、人をはばむ環境の中に生まれ出る 
のは、たしかに苦痛なことであったろう。成長はまたつねに苦痛をともなう。
歯が生えるのも、多かれ少なかれ、苦しい過程である。思春期には、いつも精神的また肉体的な動揺をともなうのが普通である。そして社会と呼ばれる組織体の成長もまた、苦痛にみちた大変動をともなうのがつねであって、われわれは、現在、
その陣痛を目のあたりに見ている。これはすべて避け得ないことであり、およそ改造とは古い組織の破壊を意味するものであるかぎり、苦しい手術を受けるのはやむを得ないともいえよう。しかし、この冷たい知的分析は、われわれが耐えてゆかねばならないさまざまな苦悩を、いささかも軽減しはしない。(・・・)
だが、これは、天意によるものである。なぜならば、苦しめば苦しむほど、あなたの人格は深くなり、そして、人格の深まりとともに、あなたはより深く人生の秘密を読みとるようになる。(・・・)悲しみのパンを口にすることなくしてはあなたは真実の人生を味わうことはできない。天が偉人を成そうとする時、天はあらゆる試練をその人の上に課し、ついにかれが、そのすべての苦しい経験を克服して意気高らかに出できたるのを待つ、といた孟子は正しい。・・・・

まだまだ序盤にあるこの一ページ。
よく言われている言葉とも思うし
改めて新鮮に心に落ちてくる
そうも思えます。
(つづく)
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