先週報じられた、JR駅ホームでの事故。
JR山手線の列車が、ドアに挟まったベビーカーに気付かず、これを引きずって数十メートル走行してから、緊急停車したというものだった。
これを受けてJRや車掌への非難があちこちで報じられていたようだ。
確かにJRの非は大きいだろう。
とは言え一方で、どこでもかんでもベビーカーを押して乗り込もうとする昨今の親の行動には、眉をひそめざるを得ないことも多い。扉に挟まれたという状況からしても、少なからず無理な(駆け込み? 滑り込み?)乗車であったことが想像されるし、ここは一方的な非難に終始することに疑問を感じるところだ。
とまあそれはともかく、この事故についてボクが思ったのはまったく別のことだ。
確か数カ月前だったと思うが、とある自動車メーカーが携帯電話のGPS機能を利用した交通事故回避システムの実証実験を開始したとの報道があった。
要するにGPS携帯の機能を使った、いわゆる「第三者位置検索」の応用によって、歩行者などの位置を自動車に知らせることで、見通しの悪い交差点や、暗がりの歩道などで歩行者の存在をドライバーに認知させ、事故回避に役立てようというものだ。
……愚の骨頂である。
いかなるシステムも盤石ではない。「そんなことは分かっている」と言うなかれ、人は往々にして、そうしたシステムに依存して、自分で判断することを放棄してしまいがちなイキモノなのだ。
今回のJR事故では、ホームには駅員が不在の時間帯であり、車掌はホーム各所に設置されたモニターを頼りに乗降客を確認し、さらにドアの挟み込みセンサーを信頼して列車を発車させている。
しかし、そのセンサーに死角があったのだ。ベビーカーの車輪(もしくはフレームの一部)の挟み込みという設計条件を越えた状況に、センサーは警告を発することができなかった。
こうしたセンサーは、本来あくまで補助的な装置であるはずだ。
しかし、それが人を盲目にしてしまう。
駅員を不在にする業務シフトを生み、車掌の目を曇らせてしまうのだ。
GPSシステムが、ブラインドコーナーでいち早く歩行者を見つけ出す可能性は、もちろん、ある。
しかし、歩行者のすべてがGPS携帯電話を持ち歩いているわけではなく、またその動作が完璧であるとも限らない。
そんなとき、システムの「目」に映らない、GPS携帯を持たない歩行者は、ドライバーにとっても「そこに存在しない」ことになってしまうのだ。
このシステムが「頼れる」ものだと「実証」されればされるほど、使い手であるドライバーの目は曇り、思わぬ事故の危険性は増すとボクには思われてならない。
「ネットで検索できないものは、存在しないのと同じ」と言われる世の中だが、そんな「認知」のあり方が、人命に関わる局面にまでとめどなく広がったら、もはや人間は自分の目でものを見ようとしなくなってしまわないだろうか。
アメリカ映画に、個人記録をすべて抹消され、自分が自分であることを証明できなくなった人物を主人公にした物語があったが、技術至上の世の中では、我々でなく「システム」の目に映らないものはその存在を認められなくなる恐れが常にあると思わざるを得ない。
技術の進歩は素晴らしい。けれどもそれは、使い手の成長が前提の話だ。
そしてそれは、技術の進歩よりもはるかに困難なのである。
技術の進歩が人間に失わせたものはすでに数知れないが、それはやはり、技術でなく人に起因する問題だとボクは思うのだ。
※この実験、神奈川県だよ。轢かれないように気をつけなくちゃ……(T-T)
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させるとしか思えない。
なんかもっと違う方向性があるような気がする。
違うかもしれないけれど携帯電話の普及で、人の電話
番号覚えなくなっちゃったしね(笑
漢字思い出すのに時間がかかる。
あ、これってただの老化?(笑)
老化といえば、このシステム、
高齢者の事故が増えるなかにあっては
事故防止に若干でも貢献するような気もします。
人の「認知」の能力って、高齢問題以外でも
その時の状況(まあ、精神状態)にも
左右されるものだし。
でも、このようなシステムは万全でないこと
もたしか。
システムに飼いならされてはイケナイ。
しかし、人間は「慣れる」のだ。
この場合は、注意の閾値が下がるということ
になるよくない意味での「慣れ」
この「慣れ」があくまでも補助的なシステムを
そうでないものに変えてしまうんでしょうね。
人間って難しい~。
この用途には疑問附がつきますねー。
ハードに頼るのではなく、主体はソフトですな。
たとえて言えば。。。。
マニアックなトコではイゼルローン要塞攻略。
メジャーなトコではターミネーター3。
両方ともマニアック?
ですかね。。
"ヂガバチ"パイロットのトラブルに、AIオペレーターが
「どうした、心拍が停止しているぞ」
と問うシーンがあることを思い出しました。
ちょっとマニアックでした?(^^;;
山手線や総武線、ついでに京成線って時間帯によってはまるで意思表示無く突然ドアを閉めたりするんだよ。挟まれたことはないけれど、乗ろう、でももうちょっと先の車両に…とホームを歩いてて、見事にドアを閉められたことがあります。
そりゃ、その時ホームに係員がいなかったとか色々あるでしょうけれど、それよりも私はベビーカーを押していた母親の時間の余裕のなさのほうに怒りを覚えました。
私も子供たちが小さいとき、電車で出かけることがありました。そんなときは予定時間よりもかなり早めに出かけて混んでいたら電車1本やり過ごすくらいの気持ちで行ったものです。
一人で行動するときと子供連れでは手間もかかる時間も全然違うからです。
最近思うのは親が自分の都合で動いてばかりで子どもの負担はまるで考えてないなぁということです。
できなくなっちゃうんだろうなぁ・・・。
そして「刮目」という漢字すら読めないオバカが増える、と。
で、なんて読むんですかね(苦笑)
>怪どん はっしいさん
うん。使い方の方向性の問題だと思う。
やっぱ違うと思うんよこれは。
>くにさん
うーん。高齢者については、こういう技術ドーピングみたいな方法で運転を可能にしちゃいかんような気がする。
車に乗れなくちゃ困るっていうお年寄りがいることは分かるんだけど、それが危険を生むのは看過できないと思うのよ。それは別の方法でフォローすべきなんじゃないだろか。
「慣れ」は確かにそう。この話が問題なのは、バックミラーの死角とかとは次元が違うってこと。ミラーの死角は予測できても、システムの不具合やケータイの所持不所持はそれこを見えないところで起きるんだもん。だからアブナイ度が段違いに高いと思うんだよなぁ。
>SJさん
じぇんじぇん分かりましぇ~んorz
>柳さん
わしゃそういう体験ないんだけど、だとしたらそりゃ確かにアブナイやねぇ。
>さくらさん
親御さんには本当にそうあってほしいと思います。
そう思えばこそ、自分の親には今さらながら感謝ですよホント。
>pittsさん
「かつもく」です。(^^;)
「目ん玉ひんむいてよぉ~く見ろやゴルァ!」って感じ?(爆)
スピードを落とす勇気も持ちたいもんですよね。うん。