明治二十三年一月十三日のこと
中山みき様は人々に言った。
「どんなことでも、わからなければ伝えます。
よくお聞きなさい。
くれぐれもよく聞きなさい。
もうこれ以上待つことはできません。
前もって伝えてあることです。
難しいことを言われていると感じているかもしれませんが、みんな同じ一つのことだと思って考えなさい。
(困難に感じられる)これは一時のことです。
どんなことがあっても私が教えたことを良く聞きなさい。」
「前もって伝えてあるとおっしゃられるのは『つとめ』のことですか。『つとめ』をするには大変に難しい事情があります。」
「今は確かに難しいと感じるでしょうね。ですが、その(あなたが言う)難しい事情の中に真実があるのです。
長く、本当に長く四十九年…それよりも前からあなたたちは何もわからないんですね。
難しいことはありませんよ。」
「法律によって制限されております。ですので出来ないのです。」
「あなたが答えたそれです。今あなたが言った法律、それが苦しみのもとです。
真実を知らない人間によって作られ、この世界を覆っています。
何が人間をしばっているか、真実がなんなのか考えたでしょう。
それを知らしめるためにあえてやらなければならないのです。
わたしが四十九年…それよりも前から教えていたこと。
あなたたちはわかっているのか、どうなんでしょうか?」
「神様がおっしゃられることと国の法律と、両方の道が立つようにご指導ください。」
「分からなくはないでしょう。元々少しずつ歩んできた道。
今の一時の苦しさにまけて、区別して考えようとしてはいけません。
真実を曲げてはいけない。
今だけのことではないのです。今というのは過去、未来、全てにつながっています。
さあ、今、この時に、このつとめという真実を顕す道を行いなさい。
苦しいと感じるのは今だけです。」
「毎晩おつとめの稽古をします。それができるまで猶予をください。
「よく話をきいて、かならず真実に向かうと心を決めなければなりませんよ。
さらなる境地があるのです。一つの事もあらゆることもよく聞きなさい。
歩みを止めてはなりません。覚りには段階があるのは確かです。」
「講習所を立てて、少しずつ『つとめ』が出来るようにしたいと思うのですが…」
「安心ができないと言うのであれば、まずそうしてみてもよいでしょう。
あなたたちが話し合ってどうしてもそうしたいというのであれば…
ですが私が今すぐだと言ったら今ですよ!わかっていますか!」
「つとめ、つとめと、私たちをたすけるためにお急ぎなのはわかりますが、今度のおやさまの体調がお悪い理由はなんなのでしょうか?
人を揃えよということでしょうか。どうしても『本づとめ』をしなければならないのでしょうか?」
「(この世界において)心はそれぞれです。真実を知り、心を決めたら人は揃います。心は困難に見えるそのことによって定まっていくというもの。あらゆることは心から生じます。納得がいくまで聞きなさい。ただし、わたしは現れた以上、このままでは引き下がりません。」
しばらくして。
「困難に感じるあらゆることがあるでしょう。どんなことも分からなければ伝えます。
しっかりと聞きなさい。
よくお聞きなさい。
くれぐれもよく聞きなさい。
このままではいけません。
これ以上待つことはできません。
もうこれ以上の猶予はありません。
難しいことを言われていると感じているのは知っています。
ですが、全て一つの同じことを言われているのだと思って考えなさい。
今の困難は一時のことだと言いました。
どんなことがあっても私が教えたことを良く聞きなさい。
長く四十九年…それよりも前は私も目覚めてはいなかったのです。そこから歩んで来たのです。
今日という日は、心において救済が成されるというこのことを世界に、世界中に開き、実現しなければなりません。」
男は答えた。
「教会本部を設置したいのです。それをお許しくだされれば、どのようにも神様がおっしゃられる通りにします。」
「…」
長い間があって、
「…わかりました。人生の困難なくして心を決めるということは出来ないもの。あなたの願い通りにしたらいいでしょう。ですが、あなたたち三人で必ず心に決めなければなりません。必ずです。いいですね?真実を忘れないように…」
「ありがとうございます。」
「では、今から取り掛かるのですね?心を決めて、三人でそろえてお答えなさい。」
「このやしきに道具雛形の魂生まれてあるという教え、このやしきをさしてこの世界始まりのぢば故天降り、無い人間無い世界をおつくりくだされたという教え、お上も私たちも同様の魂であるという教え。これを警察から尋ねられたらどう答えたらいいのでしょうか。法律に触れてしまいます。人間は法律にさからうことはできません。」
おやさま微笑んで、
「さあ、もう一度思い出しなさい。宇宙の中にこの大地があり、大地に人間社会があり、人間社会をつくるのは人であって、人の社会に法律があるのですよ。法律がどんなにあなたがたに迫ってくるように見えても、心に真実を抱くということが最も大切なことです。」
「わたしたちのことはわかりました。ですがおやさまのお身体が心配です。いざと言う時は守ってくださいますか。どんなことからも助けてくださいますか。」
「さあさあ。
「人の心の真実が開けば、神の真実につながるのです。
「真実といっても、あなたたちは知らないでしょう。
「真実とは、火、水、風」
男は先ほどと同じ問いを繰り返した。
「私たちはおやさまのお身体が心配なのです。必ずご守護くださいますか?」
「さあさあ。
「真実に神は応えるのよ。必ず、あなたがたが差し出した心の真実に神は応えます。」
人々の、決死のつとめはこうして始められることになった。
人の思惑と神の意志。
この世界を見つめる視点の違いがその隔たりの理由である。
神はこの世界を越えたところから見ている。
その視点から見ることが人々にも可能だと説いている。
どのような中にあっても人と人、人と神とは一体である。
私たちはいつも心から真実につながることができる。
神のはたらきは目には見えない。
音を聞くこともない。
心にあらわれるのである。
人の中に神を見ることはできる。
全ては一体であり、
本質を辿ればみな神の一部であり、
神の一部であることに分け隔てはないから。
『神の中にこの世界がある。』
『この世界を延長したところに神があるわけではない。』
そのメッセージを私たちは受け取り、受け入れることができる。
なぜなら、本当はそれを知っているからである。
もう目覚めよう。
私たちは解き放たれていいのである。
この世に罪はない。
真実は明らかになった。