『世界一列をたすける』
これが中山みきの悲願です。
中山みきが生涯をかけて貫いた姿勢や教えはこれを実現するためのものです。
ですので、
この教えにつながる人はこのことについて考えていると思います。
そのためには何が必要なのでしょうか。
それを考えるには、
『たすかる』
ということが何なのか。
それを明確にする必要があります。
人間の救済とは。
それはこの世界の仮想性に気づき、人間の本質は精神であることを思い出すことです。
つまり霊的に目覚めることです。
霊的に目覚めると何が変わるか。
まず、『この世界は常に変わり続け、ひとときも止まらない』ということが実感できます。
赤ちゃんは幼児になり、幼児は少年少女になり、大人へと成長していきます。
成人してからも変化は止まらず、やがて年老いてこの世での生を終えます。
常に変化していくということはカタチあるものは何も残らない、ということです。
これがこのカタチある世界の真実です。
実体はないのです。
実体があるのは精神の方です。
神の世界と言いかえることもできます。
もっというとそれは真空です。
真空の世界が本当の実体なのです。
量子物理学では超弦理論と言われるものです。
極小の世界は視覚ではとらえられませんが確かに存在します。
神の世界も五感ではとらえられませんが存在します。
そしてそれが実体。
ということは。
この世界の法と神の世界の法はどちらが優位なのか。
それは神の世界の法ということになります。
それを世界中の人々が理解したとき、
『世界一列をたすけたい』
という中山みきの悲願は成就します。
中山みきのこの世での時間があと少しとなったころ。
主だった中山みきの側の人たちは、
『認可』
というこの世界の法に従う道を突き進んでいました。
「そんなことをすれば息が止まる」
と、たびたび止められた道を進んでいた。
中山みきのためと言いながら、本人が望まない活動を熱心に繰り広げていたのです。
本質への目覚めには遠かった。
本質とは、神の世界の法に生きること。
それを理解していなかったのです。
これを最も深く理解していたのは飯降伊蔵氏だと推察できます。
結果的に中山みきの教えはまっすぐに伝えられませんでした。
戦後、二代真柱は『復元』などの事業によって修正をはかったようですが徹底されませんでした。
今を生きる私たちはどう考えるか。
私たちが救われるとはどういうことなのでしょうか。
それは霊的目覚めの輪を広げるということです。
この教えにつながる人間にとって最も大事なことです。
天理教の組織は本質を理解していない視点から立ち上げられ今日に至っています。
天理教が縦社会なのもその現れです。
明治時代の価値観と教えを混ぜて作られたコミニティなのです。
今となっては時代とも合わず、人がどんどん離れて行ってしまっています。
教えの本質とは何か。
気がついた人から始めるしかありません。
霊的視点は気づきによるエネルギーを生みます。
気付きを持ち寄り『たすけ』の真実を広めることが私たちに託されています。