人生の意味についての総論。
それはこの世界は充実に満ちた空間でありうるということ。
私は『陽気ぐらし』という言葉でこの概念に出会いました。
人生の本質は暗いもの、苦しいものではない。
生きている中で出会う困難なこと、それは精神が目覚めるためのきっかけなのだと。
それを通じて精神の拡張を味わえと。
それがこの世の楽しさの証である。
この世界は実は霊的存在そのものである。
その事実に目覚めれば誰もが楽しさを味わうことができる。
精神の目覚めによる充実。
これを説いているんですね。
人は身体を持たない空間からこの世に生まれてきます。
身体を持たない空間は精神の世界です。
その精神の世界はイメージが即座に現実になるところです。
おいしいもの。
美しいもの。
楽しいもの。
全てすぐ味わえます。
まさに天国。
一方で、
憎しみや、
怒りや、
嫌悪感などの感情。
こうしたものもすぐに味わえるのです。
というか味わってしまう。
思ったことはすぐ自分の精神の上に現れるのです。
まるで鏡に反射するように起こってくる。
奪いたい、蹴落としたい、抜け駆けしたい…などなど全創造世界の法則に沿わない感情は恐怖を元にしています。
このような思いを肯定したままこの世での生を終え、精神世界に戻ると強烈な罪悪感に襲われます。
暖かい光が炎のように感じられ、身を焼かれる思いになるのです。
ですから天国へは向かえません。
暗い場所に潜みたくなります。
その暗い場所が地獄。
罪悪感を抱えて向かう先です。
天国へは行きたくても行けないのです。
罪悪感を浄化するのが地獄です。
地獄はそのようなところです。
この世と地獄はしばしば繋がっていたりもします。
生きながら地獄にいるような人もいます。
地獄へ堕ち、長い時間をかけて浄化された精神はこの世に生まれてくる。
そしてまた自身の精神の拡張への経験と学びをするのです。
かたちあるこの世界こそが、光り輝く世界につながる経験を積むことができる『天国』であるということ。
「ここはこの世の極楽」という言葉はそれを表しています。
“ここ“とはこの三次元世界で霊的世界とつながる場所のことであり、
目覚めを得ることができる場所であると。
これがこの言葉の真意です。
霊的世界につながると、この世にあるように見える虚構の充実からは少しずつ離れていきます。
ではどのように霊的世界につながればいいのでしょうか。
それは自分の心の声を聞くということです。
私たちは何度もこの世に生まれてきています。
この身体はその記憶を留めていませんが、魂は覚えています。
思い出せないだけです。
それを辿ろうと意識を向ければいいのです。
自分が教えてくれます。
私たちの日常はさまざまな刺激にさらされる中にあります。
その刺激から自分を遠ざけて平穏な空間に自分を置く時間を作ってください。
静かで明るすぎず暗すぎず広すぎず狭すぎず。
適度な空間にいて心を落ちつける。
リラックスできるということ。
そうして忙しい日常でおいてけぼりになってしまったことを思い出してください。
したいと思っていたこと。
嫌だと感じたこと。
やめたいと思うこと。
などなど。
おそらく、ネガティブなことが次々と出てくると思います。
そうしたことを無意識に封印しながら生きているからです。
具合が悪くなるかもしれませんが、時々こうして自分の思いに気がつく時間を持ってください。
心の奥深くの自分の思いです。
ヒントは死んでも無くならないもの。
これが思い描ければ大丈夫です。
お金や地位や名誉は死ねば失われます。
死んでも失われないものとはなんでしょうか?
それはひとりひとり違うと思います。
それが各論としての人生の意味です。
人だすけとは。
こうした霊的な世界に人を導いてあげることです。