怒りに身を任せず、
悲しみに心を奪われることなく、
不安を自分の心の拠り所にしない。
『心の平安』を自分の中心に置くという。
そのような決意。
決意が人生を決めます。
どんなに闇の中にいるように感じていても、私たちは闇と同化することはありません。
何に心を向けていくのか。
それは自分で選ぶことができるんです。
生きる道は私たち次第です。
心の平安に向かって、生きていく決意が必要です。
どうすればそれが得られるのか。
その状態に向かっていくためにはどうしたらいいのかという問いを立ててください。
人間は何のために生まれて何のために死ぬのか。
そもそも生命とは何か。
そのような問いとも重なります。
答えはあります。
でも、
答えを得るためには明確な意思を持つ必要があります。
問いのないところに答えはない。
この世界の真実とは何か。
答えをもとめてください。
“求めよ、されば与えられん”と古の言葉にあります。
真実は目にも見えなければ、手で触れることもできない。
だが確かに存在し、心によって理解ができるもの。
ところが受け入れる状態になっていなければ、拒絶が起こります。
なぜならば、この世界は三次元。
私たちは形ある世界を真実だと思って生きています。
そのように認識している状態で、
「真実は目にも見えなければ、手で触れることもできないが、心によって理解ができるもの」
というふうに言われても信じられません。
本当のことを学ぶ心の準備が必要なのはそういうわけです。
脳の準備でもあります。
自分自身に対してオープンであるということ。
これが大切です。
心に抑圧がかかっていると精神は閉鎖傾向にあります。
無条件でいられる心の状態を想像してください。
我慢づよい人は抑圧下にあることが多いです。
「苦にならない」
それがさらに進んで、
「楽しい」
と感じることに向かうということ。
心の底から楽しめる感覚。
この感覚がインスピレーションの前提です。
すぐ想像できる人もいれば、そんな感覚とは無縁だと感じる人もいるでしょう。
無理をする必要はありません。
この現象の世界で実現していなくても大丈夫です。
あくまでも心の中のこと。
イマジネーションです。
それがインスピレーションにつながる。
かたちあるものは心が開かれるために役立てられるのです。
おいしいものも。
キラキラしたものも。
ずっしりとしたものも。
やわらかいものも。
心のためにあるんです。
インスピレーションを得られると現象としても得られる方向に向かいます。
心がこの世界を投影しているということを考えると自然なことです。
この世界はいびつであり、平等は存在しません。
それが時空の宇宙というものです。
無限の投影の宇宙が重なりあって存在している。
科学は、
「過去・現在・未来は同時に存在している」
ことを明らかにしました。
時間も空間も私たちの心の中にしかない。
そして心の本体は宇宙の外にあり、今ここにあるのです。
私たちの人生における意味は、心の平安を得ること。
それが、
本当の幸せであり、
本当の自己実現であり、
本当の意味のあること。
この世の争いはいつも人の心の中で起こっています。
物を壊さない破壊活動、
血が流れない殺人事件、
ミサイルが飛ばない戦争…
三次元的にはこれらは起こっていないことになっていますが、心においては生じてしまっています。
カタチのレベルで生じていなくても、本質的には生じているのと同じなのです。
それらを批判的に見ている心も同じことを生じています。
批判的ということは心に葛藤が生じているということ。
つまり心は平安ではないということ。
争いもすべてがつながっています。
この事実に気が付けるかどうか。
こうした、心において生じているものを消し去るにはどうしたらいいのか。
そこに答えがあります。
こうした視点を持つことが本当の幸せに直結しています。
この世界の問題点を探しても解決にはつながりません。
ありとあらゆる問題を発見するはずです。
無限に見つかります。
それらは解決不能です。
なぜならばそこに生じる原因はないからです。
原因は心にあります。
世界の中に問題点を探すということは、これを逆に捉えるということです。
わかりますか。
「世界に問題があり、それを解決しなければならない」
という考えは真実の正反対だということです。
世界に問題があると考えると解決不能の無限ループに入り込んでしまいます。
ですが、多くの人に支持されている考え方です。
これらは社会規範や道徳ともつながっていて、強固に私たちを支配しています。
世界が変わらなければならないと多くの人が考えています。
しかし。
そうした考えは、絶対に心の平安につながりません。
人が救われるということもありません。
世界に問題を見つけ解決しなければならない、と言う考えが新たな葛藤を生じさせ新たな問題になる…本当に無限ループです。
全ては心のレベルでのみ解決ができます。
そして心の本体が精神です。
そして生命とは精神であるということ。
精神のレベルでは、すべての存在がつながっています。
これを理解できれば争いもなくなります。
すべての存在はつながっているのですから、争う理由がありません。
ところが。
身体が生命だと思っていると、それを信じられません。
身体の生命には終わりがあります。
終わりがあると信じると、終わりへの不安が生じます。
この不安が葛藤を生じさせます。
葛藤が人を争わせます。
本当の生命は精神であり、すべてがつながっていることを理解すればすべての不安は消えます。
そして争いが消え、平安がおとずれることになります。
この世にある心には葛藤がある。
私たちはみなそうです。
本当の人生はどこにあるのか。
心の平安を求めるところにその答えがあります。
本当の今を生きることが人生の最も大切なことです。
どのような時間であっても去り行けば愛おしい時間。
ではなぜ、一瞬一瞬それに気がつかないのか?
それは目覚めていないからです。
この世の人はみな夢の中にいるようなものです。
ずっと過去に生きている、と思い込んでいるようなものです。
覚りとは目覚めること。
その時、求めていた生き方を得られます。
生きよう、今を。
生きよう、自分を。