宇宙の外側にはおおいなる存在があり、137億年という物理宇宙の長さからから見ると生物としてのヒトの寿命はあまりに短い。
相対性理論や量子力学など現代の物理学が明らかにしたように、光と物質の違いは本質的なものではない。
本来私たちは「時間も空間もない」という存在だが、時空の宇宙の中の地球という星に人間として生まれ人生というものを生きているように感じている。
感じている、というのがポイントでこの世界のあらゆるものは知覚によって認識されることによって存在する。
ジャングルの奥地で大きな木が倒れたとして、そこに誰も居合わせなければ倒れた音はしない。
それは音の受信機である耳を持ち、脳で音を処理する人間がいなければ音というものは存在しないからである。
私たちの認識によって宇宙は存在する。
このような話に初めて触れる人にとっては俄かには信じがたいことだと思われるが、2022年現在の人類の知見をまとめるとそうなる。
それを理解した上でどう生きていけば良いのか。
私たちには乗り越えなければならないことがある。
それはこの身体をもった自分というものが仮の姿であるという真実である。
生物としての人間には死の恐怖がつきまとう。
死の恐怖は人間の恐怖心の最も根源にあるものである。
死というものを思い浮かべる時、
「赦されざる存在」
という感覚が呼び起こされる。
罪悪感である。
エデンの園から追放されたアダムとイブの話は神に背いた話で、長い間人類に受け入れられてきたのは死の恐怖に怯える人間が持つ罪悪感のあらわれだと言える。
ただこれがイエス・キリストの本当の教えかどうかはわからない。
歴史は多くの人が関わり投影されたものであるから史実に照らして真実を照会することは事実上不可能である。
真実が何かを知るには、心を通して感じる霊的な感覚が必要になる。
心は精神の扉である。
私たちの真の姿はなんなのか。
それは知覚できないもの。
おおいなる存在…すなわち”神”につながる霊的な存在である。
言うなれば精神生命体である。
億単位の長さを持つ宇宙に放り出された「一瞬で消えゆく存在」ではない。
神によって保障された存在である。
これを信じられない人は、自らを精神の牢獄に入れるような状態になってしまう。
かたちのあるこの世界においてさえ、その法則に逆らおうとすれば自分の身に跳ね返ってくる。
真実を知り、理解し、それにそって生きようとすることはとてつもなく重要なことである。
世界の真実を教えたマスターのひとり、中山みき。
彼女はその人生の最後に、
「扉を開いてろっくの地にならす」
と言った。
ろっくの地とは「平らな土地」の意味で、この人間社会を平等にするということの譬喩である。
扉を開いての”扉”とは、心の扉のことである。
人間の精神によってこの世界は平等を実現できるということを示している。
「一列に扉を開く開く開く開く。ころりと変わるで」
というのは全ての人間に心の扉を開くよう語りかけた言葉であった。
覚醒を促したのだ。
彼女の喩えにある「八つのほこり」というのは、この心の扉を開く上で障害になる認知の歪みのこと。
心の内側を良くみつめ、真実に目覚めらるように払拭しなければならないと説いたのである。
この「ほこり」に喩えられるものはカタチある物への執着である。
物質で隔てられた世界では執着が起こる。
執着がある状態では霊的な感覚は正常に機能しない。
霊的感覚が正常に機能しないと人間は苦しみを感じる。
この苦しみが病気を生じたり、人間関係の問題を生じたりする。
それを中山みきは覚っていた。
だから中山みきの教えを受けて目覚めた人は病気が治ったし、生き様が変わったのである。
人間は本来無辜なる存在であると中山みきは語ったはずである。
だから人々は救われたと感じたのだ。
これが覚りによって到達する人間の姿である。
中山みきの教えに連なる私たちの最も大事なことは、その教えの真実はなんであったのかを知り、実践することである。
無闇にありがたがったり、申し訳ないと思ったりすることは事の本質ではない。
「貧に落ちきれ」
と言うのは荒業のようなもので、中山みきがマスターとして覚醒するために必要なプロセスであった。
現代を生きる私たちには求められていない。
ひながたというのは中山みきの覚りのプロセスである。
天保九年に神のスピーカーになったのではない。
それは「おびやゆるし」まで天保九年から16年の歳月がかかっていることが証明している。
もし、あの天保九年の寄せ加持によって神そのものになったのならそのような時間は必要なかっただろう。
宮池に身を投げようとしたりもしなかっただろう。
おふでさきは明治二年から書かれている。
天保九年から31年後である。
元始まりの話である「こふき」が弟子たちによって書き記されたのは明治十四年以降であった。
霊的世界から真実を紐解くのには長い時間がかかったである。
天保九年に神のやしろとなった、というのは神そのものになったわけではなかった。
それは組織宗教『天理教』の解釈に過ぎない。
天保九年のあの時以降、中山みきは神そのものになったという解釈を裁定したのは天理教の二代真柱である。
だが、その裁定には納得できなかった本部の役員たちもいた。
だから教祖伝には今も『稿本』の文字が付けられているのである。
稿本とは原稿本のことである。
いかにカリスマといえどもそうしなければ収まらなかったのだ。
天理教教典も教祖伝も昭和になってから仕立てられたもの。
『中山みき』は、教えもその人生も残念ながらありのままの姿では伝えられず今に至っている。
元を辿るには霊的な視点を持つしかない。
病気の原因が「たたり」や「憑き物」だと信じられていた時代に人間が神によって創造された物語を語った偉大な人、中山みき。
「神人和楽の陽気遊山」という明るい世界観が、生きることに苦しむ人びとの心を照らした。
あの頃、確かに大和地方を中心に人びとの覚醒が一気に進んだのだ。
だがそれはしぼんでいった。
今もしぼみ続けている。
真実が語られなくなったからである。
現世利益と結びつけたから「語れなく」なったのである。
人間の真の姿を理解し、心の救済を実現するという教えは形骸化した。
そもそも縦の組織は中山みきの教えに反する。
にもかかわらず天理教は縦社会である。
強固な縦社会である。
教会本部を中央とした教会組織は教団を巨大なものにしたが真実は見失なわれて行った。
教団内の政治的配慮もあったのかも知れないが、要は真実を理解していなかったのである。
教えの本質を理解していたらこのような本末転倒を行えるはずがない。
「そんなところに願い出るのやない」
認可の届けを出したい、その許可が欲しいと求める長男や初代真柱たちの願いを中山みきはずっと退けていたのである。
組織宗教「天理教」と中山みきは一体ではない。
というよりも本質において相容れないものがある。
天理教という教団を起こした人が中山みき、というのでは全くない。
そのような事実はない。
中山みきがこの世の身体を置いたのは明治二十年である。
およそ150年が経過した。
生身の感覚からすればあまりにも長い時間である。
私たちに今できることは何か。
それは真実を学ぶことである。
そして神の元の平等を理解し、この世に展開しようとつとめることである。
「心の成人が鈍い」
などと自分を卑下してはいけない。
人間は自らへの見方の延長で他者を見るからである。
自分を下げるということは、他者も下げるということにほかならない。
それぞれが神につながる存在だとすれば、皆が尊いのである。
自分を谷底に落とす必要もない。
そのような荒業はいらない。
幸せを追求していいのである。
中山みきは心について語ったのであって、この世での充足を否定したのではなかった。
この世の充足を否定するような正しい教えは存在しない。
この世の充足を否定すれば必ず執着を生む。
執着は覚りへの道を開かない。
「人間は生き通しである」
これは身体を越えた存在であることを教えている。
「貸し物・借り物」
の教えも同様である。
中山みきが教えた平等を理解するならば全ての人間は覚りへの道へ向かう。
それが平等の本質であるからである。
「人間は一列兄弟」
「他人と言うて、さらになし」
皆がつながる世界観を示してくれた私たちのおやさま。
中山みきには感謝を捧げるのがもっともふさわしい。
そしてその感謝の本当の姿は、教えの真実が何であったのかを求める心で現れる。
人間の真実の姿の探究である。
そのような理解の道を歩むのがこの世に生きる本当に意義あることである。