リトルハウス主宰者であるガクちゃんの
平日のお仕事は、てんぱくプレーパークのプレーリーダーです。
このプレーパークの考え方は、リトルハウスにももちろん影響しています。
プレーパークとは何か?どんな考え方で、
子どもとはどのように関わっているか、
どんな遊びがあるのかについては、
後述する各プレーパークのURLまた各プレーパークのブログを
ご覧になっていただくとおもしろいのですが、
とりあえずはガクちゃんの平日の仕事場である
てんぱくプレーパークがどんな所で、
ガクちゃん自身が常々
どのような思いを持って子どもと向き合っているかを
少しだけご紹介いたします。
平成22年11月23日、独立行政法人福祉医療機構 社会福祉振興助成事業
愛知プレーパークシンポジウム
『子どもの頃の体験は、その後の人生に影響する!?』 にて、
ガクちゃんによる「てんぱくプレーパーク紹介」です。
=========(シンポジウムでのガクちゃんのお話のメモを取り、
それを議事録として残したものより)===============
てんぱくプレーパークはどんな所にあるかというと、
名古屋市天白区の都市公園の中にある。
遊具も豊富にあり、裏山もあり自然に恵まれている。
(映像を交えながらの紹介)
自主運営されている。あそびを通じて自由な発想が生まれている。
午前中は幼児親子、午後からは小学生などが来る。
子どもに何かを体験させてあげるものではなく、子ども自身が自発的に体験する。
子ども自身が何をやろうか考えて自分でやる、
それが日々、プレーパークの中に日常にある。
プレーパークでは、大人が何かプログラムを用意するのではなく、
子どもがやりたいときにやりたいことをする。
たとえば、どんぐり。
自分で拾った苦いどんぐりを食べてマズイと顔をしかめている子がいるとする。
「苦いよ」と大人が言うのは簡単だけど、端折ちゃだめ。
苦いと大人が先回りして教えて手助けするのはラク。
誰かから教えてもらうことではなく、過程が大切。
プレーパークでの遊びの種類としては、
裏山があるので木登り、薪割り、火が使いたい…ベッコウ飴、
コマ、けん玉、ペットボトルいかだ。
ペットボトルいかだの作成にはとても時間がかかったけれど、
池に浮かべたらすぐに沈没。それでも作った本人達は満足そう。
(たぶんこの辺りのてんぱくプレーパークブログの日記 → http://tenpakupp.exblog.jp/9458680)
初めてプレーパークにやって来た子は
「あの子、(あんな危ないことやってるけど)注意しなくていいの?」と大人に尋ねる。
「どうぞ(やってもいいんだよ)」と答えると、目をキラキラさせてやり始める。
その時に、子ども達の日々の生活でいかに禁止事項が多いかということを感じる。
プレーパークに来て(まで)マンガを読む子もいる。
せっかく自然もある場所に来たのになんでマンガ読むのかと思うのは大人の考えで、
でもこれはこれでその子の楽しみ方。家で読むのとは違うよさがあるのかもしれない。
子どもがしようとしていること、することにたいして
見て見ぬ振りを敢えてする。
例えばカナヅチで釘を打っている子に、
持ち方など教えたほうが道具の扱い方に関する上達も早い。
でも「指導する=端折る(子どもが自分自身で体験して、
自分の知恵として積み重ねていく経験を奪う)」ということなのでは?
何か見て、子どもが「俺、これ知ってる。テレビで見たもん」と言うが、それでいいの?
テレビで見たからって本当に知ってるのか?やったことがあるのか?
それと、子どもがはじめたことに対して、
「(自分が)はじめたんだから、最後までやれ」(という風潮が世の中にはあるけれど)
途中で諦めてしまってもOK。だって遊びなのだから。
遊びの中ではそのプロセスが大事。
(てんぱくプレーパーク紹介の後に質疑応答で
「学校でも体験をベースにした授業(体験活動)がありますが、
(そのような)中途半端な体験でもよいのか?
学校教育の中でやってほしいことがあったら教えてください。」という質問が
教育大学の学生らしき人から挙げられたのに対して、
ガクちゃんの回答)
学校でやりきれないことを放課後やってもらえればOK。
学校では何事も集団で行なおうとする。多数決で決まる。
(集団行動などの要素も、教育には大切)
授業で個人個人選べる自由があるといいのでは?
そもそも教育と遊びは別物。どっちが良い悪いではない。
どちらも必要。
============(議事録メモより引用 終)================
ガクちゃんの応援者の1人である私について言うと、
私の子どももてんぱくプレーパークでもお世話になっています。
私自身がプレーパークで感じることは、
「名づけようがないささやかな遊び」が色々見つかるということです。
たとえば、ブルーシートを片付けようと引きずっていると、
勝手にブルーシートに乗りかかって来る幼稚園児とそれ以下の年齢の子たち。
芝の上だからとブルーシートを小学生が引っ張ってやると
ちびっ子達は落ちまいとしてしっかり乗って「魔法のじゅうたん」ごっこ?
引っ張るのに疲れた小学生はブルーシートを巻き寿司のように
ちびっ子達に巻きつけて、キャッキャッ。
鬼ごっこみたいにルールがある遊びではなくて、
何かおもしろい遊び。
そしてその遊びがどんどん変化していく様もおもしろい。
こんな遊び場が自分の住んでいる刈谷でも身近な所に作れたらなと
応援者の私自身も思っています。
平成22年11月23日のプレーパークシンポジウムに参加した団体のURL
◆たごっこプレーパーク
◆てんぱくプレーパーク
◆そうりプレーパーク
◆鞍が池プレーパーク(とよたプレーパークの会)
◆たかがみプレーパーク(シンポジウムの議事録?な日記が http://blog.goo.ne.jp/banbiblog2/e/fe9908210500932b3c1d89e50ac1e6c8 にあり。)
平日のお仕事は、てんぱくプレーパークのプレーリーダーです。
このプレーパークの考え方は、リトルハウスにももちろん影響しています。
プレーパークとは何か?どんな考え方で、
子どもとはどのように関わっているか、
どんな遊びがあるのかについては、
後述する各プレーパークのURLまた各プレーパークのブログを
ご覧になっていただくとおもしろいのですが、
とりあえずはガクちゃんの平日の仕事場である
てんぱくプレーパークがどんな所で、
ガクちゃん自身が常々
どのような思いを持って子どもと向き合っているかを
少しだけご紹介いたします。
平成22年11月23日、独立行政法人福祉医療機構 社会福祉振興助成事業
愛知プレーパークシンポジウム
『子どもの頃の体験は、その後の人生に影響する!?』 にて、
ガクちゃんによる「てんぱくプレーパーク紹介」です。
=========(シンポジウムでのガクちゃんのお話のメモを取り、
それを議事録として残したものより)===============
てんぱくプレーパークはどんな所にあるかというと、
名古屋市天白区の都市公園の中にある。
遊具も豊富にあり、裏山もあり自然に恵まれている。
(映像を交えながらの紹介)
自主運営されている。あそびを通じて自由な発想が生まれている。
午前中は幼児親子、午後からは小学生などが来る。
子どもに何かを体験させてあげるものではなく、子ども自身が自発的に体験する。
子ども自身が何をやろうか考えて自分でやる、
それが日々、プレーパークの中に日常にある。
プレーパークでは、大人が何かプログラムを用意するのではなく、
子どもがやりたいときにやりたいことをする。
たとえば、どんぐり。
自分で拾った苦いどんぐりを食べてマズイと顔をしかめている子がいるとする。
「苦いよ」と大人が言うのは簡単だけど、端折ちゃだめ。
苦いと大人が先回りして教えて手助けするのはラク。
誰かから教えてもらうことではなく、過程が大切。
プレーパークでの遊びの種類としては、
裏山があるので木登り、薪割り、火が使いたい…ベッコウ飴、
コマ、けん玉、ペットボトルいかだ。
ペットボトルいかだの作成にはとても時間がかかったけれど、
池に浮かべたらすぐに沈没。それでも作った本人達は満足そう。
(たぶんこの辺りのてんぱくプレーパークブログの日記 → http://tenpakupp.exblog.jp/9458680)
初めてプレーパークにやって来た子は
「あの子、(あんな危ないことやってるけど)注意しなくていいの?」と大人に尋ねる。
「どうぞ(やってもいいんだよ)」と答えると、目をキラキラさせてやり始める。
その時に、子ども達の日々の生活でいかに禁止事項が多いかということを感じる。
プレーパークに来て(まで)マンガを読む子もいる。
せっかく自然もある場所に来たのになんでマンガ読むのかと思うのは大人の考えで、
でもこれはこれでその子の楽しみ方。家で読むのとは違うよさがあるのかもしれない。
子どもがしようとしていること、することにたいして
見て見ぬ振りを敢えてする。
例えばカナヅチで釘を打っている子に、
持ち方など教えたほうが道具の扱い方に関する上達も早い。
でも「指導する=端折る(子どもが自分自身で体験して、
自分の知恵として積み重ねていく経験を奪う)」ということなのでは?
何か見て、子どもが「俺、これ知ってる。テレビで見たもん」と言うが、それでいいの?
テレビで見たからって本当に知ってるのか?やったことがあるのか?
それと、子どもがはじめたことに対して、
「(自分が)はじめたんだから、最後までやれ」(という風潮が世の中にはあるけれど)
途中で諦めてしまってもOK。だって遊びなのだから。
遊びの中ではそのプロセスが大事。
(てんぱくプレーパーク紹介の後に質疑応答で
「学校でも体験をベースにした授業(体験活動)がありますが、
(そのような)中途半端な体験でもよいのか?
学校教育の中でやってほしいことがあったら教えてください。」という質問が
教育大学の学生らしき人から挙げられたのに対して、
ガクちゃんの回答)
学校でやりきれないことを放課後やってもらえればOK。
学校では何事も集団で行なおうとする。多数決で決まる。
(集団行動などの要素も、教育には大切)
授業で個人個人選べる自由があるといいのでは?
そもそも教育と遊びは別物。どっちが良い悪いではない。
どちらも必要。
============(議事録メモより引用 終)================
ガクちゃんの応援者の1人である私について言うと、
私の子どももてんぱくプレーパークでもお世話になっています。
私自身がプレーパークで感じることは、
「名づけようがないささやかな遊び」が色々見つかるということです。
たとえば、ブルーシートを片付けようと引きずっていると、
勝手にブルーシートに乗りかかって来る幼稚園児とそれ以下の年齢の子たち。
芝の上だからとブルーシートを小学生が引っ張ってやると
ちびっ子達は落ちまいとしてしっかり乗って「魔法のじゅうたん」ごっこ?
引っ張るのに疲れた小学生はブルーシートを巻き寿司のように
ちびっ子達に巻きつけて、キャッキャッ。
鬼ごっこみたいにルールがある遊びではなくて、
何かおもしろい遊び。
そしてその遊びがどんどん変化していく様もおもしろい。
こんな遊び場が自分の住んでいる刈谷でも身近な所に作れたらなと
応援者の私自身も思っています。
平成22年11月23日のプレーパークシンポジウムに参加した団体のURL
◆たごっこプレーパーク
◆てんぱくプレーパーク
◆そうりプレーパーク
◆鞍が池プレーパーク(とよたプレーパークの会)
◆たかがみプレーパーク(シンポジウムの議事録?な日記が http://blog.goo.ne.jp/banbiblog2/e/fe9908210500932b3c1d89e50ac1e6c8 にあり。)