乳ガンを患ってからの私

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子供たちと…

2019-02-06 18:43:54 | 乳ガン患ってからの日々
溶ける糸だったから抜糸いらずだったけど、マメに病院通ってリハビリをしないといけなかった。外来で行った時に術前には聞いてなかった…と思うけど、この先放射線治療をすると言われて、腕が上がらないと、リンパのところに放射線当てられないから、しっかりリハビリするようにって。
聞いたかなぁ…まだ治療あるの?って、手術も腫瘍は取れたかもしれない。でも、腕上がらないだけじゃなく、ずっとしびれてる。元気だったころには、なかったことが色々出て来て。
だって、生理もなくなった。毎月面倒だったけど乳ガンは女性ホルモンをエサに増殖するからと、女性ホルモンなくしてくって。脱毛だって、頭だけじゃなくて、全身の毛がなくなった。眉毛描くのが、大変だった。おまたもツルツルになったし、鼻毛も全ての毛がなくなった。
何より、手術して2才の次女を抱っこ出来なくなった。だから、リハビリ頑張って少しの時間でも抱っこ出来るようになろうと思った。
退院して翌日から洗濯干してみた。実は私は小さい頃に強制で右利きに直されたので、お箸や鉛筆は右だけど、ボール投げたり運動系は左でこなす方だったから、竿にバスタオル干したりすることが、簡単に出来てて、意識的に右でハンガーかけたり、してたけど、最初は肩より上には上がらないし、傷がつっぱって痛いし、なかなか大変だった。仕事は休みをもらってたので、次女と歩いて保育所の送迎したあとは、リハビリしたりして過ごしてたけど、やっぱり家にいると旦那も休職中のままだったので、甘えて何もしない日もあったから、術後1週間休んで、仕事復帰もした。給湯器のボタン押すのも無理で、なかなか苦労したけど、気も紛れるし出来るかぎりのことはやった。休みがちで、迷惑かけてるから出勤したときは、ちゃんとやろって心がけた。
仕事行けるぐらいになった頃、毎日順番に子供たちとお風呂に入った。もうさすがに普段は一緒に入ってなかったけど、ガンに対する恐怖を取り除きたかったのもあった。なるべく普通を装って「こんなんになった。もう傷は痛くないんやけど、あんまり腕上がらないし、背中流して欲しいなぁって思って」口数はすくなかったけどちゃんと聞いてくれて
「人を見た目で判断しないことね。スーパー銭湯行って風呂で、すごい傷がある人いたら、たぶんずっと目で追ってしまうと思うけど、見られてる方は辛いと思うし、今は元気でいられるから、そういうところに行けるんだろうから、じっと見てたら失礼やからね。気持ち悪いとかそんな風に言うたらアカンよ」とか、子供は正直に言ってしまう事を、もう六年生だし社会勉強のつもりで、話した。
「痛かった?」って聞かれたけど「手術は寝てる間に終わったから、わからんけどやっぱり切ってるから傷は痛かったかな?今は上がらないのは、イラッとするけど痛みはあんまりないかな?」「母さん、ここまで頑張ってきたけどこれで終わりじゃなくて、これからまだ治療続くんやって。最後まで治療終わってもまた出来る可能性もあるんやて。でも諦めたらおしまいやから、頑張るわ。子供小さいから倒れてる場合ちゃうし」
とか話した。
長女とも同じような話をした。どこまで理解してくれたのかわからないけど、ちゃんと話は聞いてくれた。
次女とお風呂に入った時は、大爆笑(笑)
次女にも背中こすってもらった。でも術前一緒に入ってた時は、いつも洗いっこしてたから、背中終わったら「母さん、うーってして」首をこすってくれるときに、次女はいつもそう言った。そして胸の方にきて、左側ごしごしした後に
「ない!ないよ、どこ行ったかな?ちょっとおてて上げてみ」って、私の右胸を一生懸命持ち上げて、右乳探してる(笑)
「母さんのおっぱい一つないの」ちょっと切羽つまってる言い方。「そうやで、母さん最初からおっぱい一つやったやん?」って聞いたら「ちゃうわ。こっちもあったのにぃ…」ちゃゆとわかってるんだなぁって思った。
「母さんのおっぱい一つしかなかったら、母さん嫌い?」って聞いたら「母さん好き」って言ってくれたから「おっぱい一つやったら怖い?」「大丈夫、だって母さんやもん」
当時2才と3ヶ月ぐらいだったけど、2才になる前から日常会話は困らないぐらいおしゃべり上手だったから、本当にそんなこと言ってくれた。
きっと上の2人も、言わないけど、そう思ってくれてたらいいなぁって思った。