真衣のブログ

たまに入院しますが前向きに生きてます(╹◡╹)♡

歴史こぼれ話、、続き

2025-01-30 16:04:00 | 日記

体調も回復したので、、

歴史こぼれ話の続きですが、、、

あまりにも間が空いたので復習です。

先ずは吉良上野介の高家とは

旗本に属するけど

官位が高く将軍の名代として

天皇にも直に拝謁できる事を書きました。

浅野内匠頭の家は本家は

豊臣秀吉の妻の寧々さんの

養父の家で寧々さんの妹を

取り嫁取り婿で浅野長政は

秀吉の出世と共に栄えた家でしたよね

浅野内匠頭のお爺さんの代に

赤穂藩主として分家したのが

赤穂浅野家の始まりでしたよね

更に、江戸城松の廊下の事件前は

吉良上野介は京都で将軍代理として

天皇に年賀の挨拶や上皇にも会い

また、公家衆にも

ある事の根回しにかけずり回っていて

江戸に帰ったのが

松の廊下事件の2週間前でしたよね

で、勅使饗応役とは

主に勅使饗応にかかる費用を出すねが

役割だとも書きました🤭

では、続きは

吉良上野介と浅野内匠頭の

評判や人部像を書いていきますね

先ずは、、、

吉良さんって良い人では?

なんてコメントを頂きましたが、、、

個人的には私も良い人だと思いますが

客観的に書いていきますね

吉良上野介は真面目で

仕事人間だったんですよ

とにかく真面目に仕事をする

現在でも優秀な営業マンって

自腹でゴルフの練習をしたり

仕事に役に立つ事をするでしょう?

吉良上野介は公家衆と強いパイプを

築き上げるのに自腹で

京都で茶会や歌の会など開き

公家達を接待したりしてるんだよ

仕事一途だから

台所事情は火の車状態

石高4300石の石高では

全く足りない程に接待費を使い

徳川家の為に働いてたんだよ

その吉良家を支えてたのが

妻の実家の上杉家なんだよ

上杉家は上杉謙信の家系で

豊臣秀吉時代は100万石の

大名だったけど関ヶ原から

減俸され30万石に、、、更に減俸で

元禄時代には15万石

その15万石が傾く程

上杉家は吉良上野介を金銭的に

支えたんだから

人望もあったんだね

徳川家からの信頼が厚い所をみたら

仕事を任せて大丈夫な真面目人間だと

わかるよね

更に、、他の大名からも

頼られていた事もわかってるんだよ

では、浅野内匠頭、、ね

これは事件前に書かれた」

幕府が各藩の大名に対する

評判や噂話を書いた

土芥冦讎記や諫懲後正には

訳すると

浅野内匠頭が10代の頃には

若くして藩主になったが
(藩主になったのは満7歳)

家臣団は団結していて

良く藩主を支えて赤穂領内も安定していて

領民も豊かである、、

浅野内匠頭は重臣の事を良く聞くが

少々我儘で粗暴な所がある

こんな事が書いてあるんだよ

17歳の時には朝鮮使節団饗応役

18歳の時には勅使饗応役を

無事にこなしたのは

祖父は明君だったから

その頃の重臣達が上手くやっただろうね

指南役はどちらも吉良上野介だよ

更に松の廊下事件の少し前には

浅野内匠頭は学がなく

武芸を好む

大の女好きでもあり  

多くの側室を持ち

浅野内匠頭の好みの女性を

側室にあげた家臣が出世して

浅野内匠頭自身は粗暴で気が短く

気に入らない下女を切り殺した

先に何かやらかす不安がある

こんな事を幕府の正式文書に

記載されてるんだよ、、、

察するにおべっかを使い

好みの女性を紹介して

イエスマンしか周りに居なかったんだね

では、長くなるので続きにするね

次は江戸城松の廊下事件を

書いて行きますね(^.^)

真衣




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2025-01-30 18:24:50
忠臣蔵に関する話は、映画やテレビで何度も見ていますが、今日のお話は違う目線からのもので、興味深いですね。
次回が楽しみです。
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Unknown (luffy000616)
2025-01-30 18:32:32

長い文を読んで頂き
ありがとうございます😊
映画やテレビドラマの忠臣蔵は
私も楽しく見てますが
真実は別にあるんですね
例えば、、、戦国時代の
織田信長が今川義元を破った
桶狭間の戦いですが
織田信長は援軍を準備して
今川義元軍を待ち構えていたとか
本能寺には明智光秀は居なかったとか
関ヶ原の戦いは2時間で徳川家康が
フルボッコで勝利を収めたとかね
また、機会があれば忠臣蔵だけでなく
書いて行きたいと思いますので
よろしくお願いします。♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
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