ずっと行きたかったんですわ~
五山の送り火を鳥居型以外全貌できるという船岡山。
この山知らずして京都は語れない!という域まできてしまった。
そんなはずはないやろ
船岡山(全山史跡、風致地区)
船岡山は標高45m、周囲1300m、面積25000坪の優美な小山であり、その東南側は建勲神社境内で特にうっそうとした森に被われている。豊臣秀吉の頃より信長公の霊地として自然がそのまま残され、京都盆地特有の樹相がよく保たれている。樹種が極めて多く、帰化植物がほとんどはいりこんでいない京都市内で数少ない貴重な森とされている。
船岡山は聖徳太子の文献にもその名が出ており、又、京都に都が定められた時、来たの基点となり、船岡山の真南が大極殿、朱雀大路となった。平安朝の昔には清少納言が枕草子で「丘は船岡・・・」と讃え、又、大宮人の清遊の地として多くの和歌が残されている。
船岡の若菜つみつつ君がため
子の日の松の千代をおくらむ(清原元輔)
戦国時代の応仁の乱の際、この船岡山が西軍の陣地となり、以来船岡山周辺一体は西陣の名で呼ばれている。
ちょっと長々と連ねましたが、
コレは船岡山にある「建勲神社」の境内の看板に載っていた説明です。
平安京はこの船岡山を基点として作ったんですね。
風水やら八卦やらでこの場所が適してるかどうかも視るんです。
四神相応(しじんそうおう)の地っていうらしいですね。
「東に川あれば青龍、西に道あれば白虎、南に池あれば朱雀、北に山あれば玄武」
「ふしぎ遊戯」でもおなじみの四神ですな
鬼宿&美朱は朱雀七星士(思い切り余談)
この四神に相当する、東に川、西に道、南に湖、北に山のある土地ってこと。
まず東に川・・・鴨川、西に道・・・山陰道、
南に湖・・・巨椋池、そして北に山・・・船岡山
おぉぉぉぉぉ~すっげ~昔の人ってすごいな~
まず、船岡山公園から探索。
ココって駐車場がないのよね~周りは住宅街やし。
とりあえず、コインパーキングに駐車。
やたらと看板が多い。「自転車、バイク乗り入れ禁止」
「ゴミは持ち帰りましょう」「ボクたちは自分のトイレの始末が出来ません」
などなど、普通の公園でも見かける看板やけど、その数が多いのよ。
まぁそれもそのはず、この公園、国指定の史跡になるらしい。
それだけにこの公園の環境を守ろうとする住民の訴えかもね。
以前、マンション建設問題とかもあったらしいし。
てくてく歩いていくと、遊具の広場発見。
その奥にちょっとしたグラウンドがあった。
中学生らしき少年たちがキャッチボールで遊んでる。
犬の散歩をしてる人もたくさん見かける。
ウォーキング中の観光客、お年寄り、アベック。
老若男女、幅広い層が楽しめる公園。
なんと、小さな野外劇場まであるじゃんか
ヒーローショーのイベントが出来るサイズはないけど、
「ガラスの仮面」みたく「真夏の夜の夢」は出来そう(笑)
どんぐりやしいの木もたくさんあるらしい。
運が良ければ、ムササビや野うさぎに遭遇なんてこともあるとか?
森と言う名にふさわしい公園かもしれない
健杜がラジコンを持ってきて何やら堀っぽいところで遊んでる。
森の中に堀というか、溝のようなものを発見。
これは何ぞや???勝手に出来たにしては妙に深いぞ。
小川?でも水が流れてないやん・・・いちおう小さな橋もある。
何やろな~と覗き込んでいると、おじいさんが寄って来て、
「昔な、応仁の乱の時、山名宗前という人がここにコレを掘らしたんやで
合戦場やったからココに隠れてな」
いわゆる塹壕ってヤツやね。ほぉ~~~なるほど、それなら納得いく。
妙に深い溝やもん、自然に出来るにしてはなんか不自然やと思った。
しかし、このおじいさん何者じゃ???
私たちの横にぴったりひっつき、いろんな説明をしてくれる。
この上に展望台があって、そこに「平安京」をつくる基準とした岩があるねんで
とか、建勲神社の赤い柵を見て、
「あの赤い柵の中には誰のお墓があるか知ってる?」
キター物知り歴史じいさんや~
「織田信長ですよね?」
「そうや、ケタクソ悪い!この前通るときいつもプッって屁かまして歩いてるねん。
400まで数えたけど、もうナンボか忘れたわ~」
はぃ~~~~~
そんなにキライですか?信長ちゃん・・・
まぁ好き嫌いの激しいキャラではあるやろうけど
頂上の展望台に着いた。
さっそく例の岩(平安京の基点)が見えてきた。
祭祀の痕跡かもしれない磐座(いわくら)
へェ~結構デカイやんッ
早速、登る子供ら。私も登ってみたけどちょっとコワイわ。
そうか~ココから南の印である大極殿まで朱雀大路(現・千本通り)が延びてるわけやね。
(いまや大極殿もただの石碑だけになってるらしいけど)
お天気がよく、視界のイイ日には生駒山まで見えるらしいけど、
今日はお天気がスッキリしなくて、京都タワーでさえぼやけてた。
①が京都タワー、②が東寺
伸びた木や枝がなかったらもうちょっとよく見えるだろうな。
一部分、森になってるところが北野天満宮
三つ山が見えるのが双ヶ岡、そこから右に見える小さな塔が仁和寺(③)
物知りじいさんがイロイロ教えてくれた。
五山の送り火が4つ見えるらしいけど、周りを見渡すと
「左大文字」と「舟形」しか見えへんやん・・・
左大文字
舟形
すると物知りじいさん、「ここよりもうちょっと下の広場がようみえるねん」
なるほど、その広場は8月16日になると人でごったがえすらしい。
駐車場もないってのに凄いよね。。
来年の8月16日・・・来てみたいけどちょっと勇気がないな
他の文字も見える広場
頂上の展望台には三角点もちゃんとある。
へェ~実は初めて見たかも。計測されてる山にはみなコレがあるのよね。
突然、健杜がトイレトイレ~と騒ぎ出す。
さっき下にあったのに~もうちょっと早う言うてや・・・
すると物知りじいさん、「そこらの茂みでしてきたらいいねん」
ヒェ~霊源あらたかな地でそんなことしてイイんすかい?
バチ当たったりしませんかね・・・
見回すと、ヘンな塔のようなもの発見。一見、トイレのようにも見える。
まさか、トイレじゃないよね。小さいもん。
すると物知りじいさん、「アレは昔ラジオ塔やってん。アノ上から放送が流れて
みなココに集まって聞いたんや。今はもう中身のラジオはないけどな。
わざわざ壊す事もないやろうってそのまま残してあるねん」
三角点と後ろがラジオ塔
ほぉ~ラジオ塔って言うんですか。
いったいこのじいさん、何歳じゃ?
身なりはキレイやしちょっといい匂いもする。
年寄り臭い匂いはせんかったな。この辺のひとやろか?
このじいさんがいなかったら合戦場やったことも、ラジオ塔もしらんかった。
物知りじいさん、ありがとうございました。
船岡山と建勲神社②に続きます
五山の送り火を鳥居型以外全貌できるという船岡山。
この山知らずして京都は語れない!という域まできてしまった。
そんなはずはないやろ
船岡山(全山史跡、風致地区)
船岡山は標高45m、周囲1300m、面積25000坪の優美な小山であり、その東南側は建勲神社境内で特にうっそうとした森に被われている。豊臣秀吉の頃より信長公の霊地として自然がそのまま残され、京都盆地特有の樹相がよく保たれている。樹種が極めて多く、帰化植物がほとんどはいりこんでいない京都市内で数少ない貴重な森とされている。
船岡山は聖徳太子の文献にもその名が出ており、又、京都に都が定められた時、来たの基点となり、船岡山の真南が大極殿、朱雀大路となった。平安朝の昔には清少納言が枕草子で「丘は船岡・・・」と讃え、又、大宮人の清遊の地として多くの和歌が残されている。
船岡の若菜つみつつ君がため
子の日の松の千代をおくらむ(清原元輔)
戦国時代の応仁の乱の際、この船岡山が西軍の陣地となり、以来船岡山周辺一体は西陣の名で呼ばれている。
ちょっと長々と連ねましたが、
コレは船岡山にある「建勲神社」の境内の看板に載っていた説明です。
平安京はこの船岡山を基点として作ったんですね。
風水やら八卦やらでこの場所が適してるかどうかも視るんです。
四神相応(しじんそうおう)の地っていうらしいですね。
「東に川あれば青龍、西に道あれば白虎、南に池あれば朱雀、北に山あれば玄武」
「ふしぎ遊戯」でもおなじみの四神ですな
鬼宿&美朱は朱雀七星士(思い切り余談)
この四神に相当する、東に川、西に道、南に湖、北に山のある土地ってこと。
まず東に川・・・鴨川、西に道・・・山陰道、
南に湖・・・巨椋池、そして北に山・・・船岡山
おぉぉぉぉぉ~すっげ~昔の人ってすごいな~
まず、船岡山公園から探索。
ココって駐車場がないのよね~周りは住宅街やし。
とりあえず、コインパーキングに駐車。
やたらと看板が多い。「自転車、バイク乗り入れ禁止」
「ゴミは持ち帰りましょう」「ボクたちは自分のトイレの始末が出来ません」
などなど、普通の公園でも見かける看板やけど、その数が多いのよ。
まぁそれもそのはず、この公園、国指定の史跡になるらしい。
それだけにこの公園の環境を守ろうとする住民の訴えかもね。
以前、マンション建設問題とかもあったらしいし。
てくてく歩いていくと、遊具の広場発見。
その奥にちょっとしたグラウンドがあった。
中学生らしき少年たちがキャッチボールで遊んでる。
犬の散歩をしてる人もたくさん見かける。
ウォーキング中の観光客、お年寄り、アベック。
老若男女、幅広い層が楽しめる公園。
なんと、小さな野外劇場まであるじゃんか
ヒーローショーのイベントが出来るサイズはないけど、
「ガラスの仮面」みたく「真夏の夜の夢」は出来そう(笑)
どんぐりやしいの木もたくさんあるらしい。
運が良ければ、ムササビや野うさぎに遭遇なんてこともあるとか?
森と言う名にふさわしい公園かもしれない
健杜がラジコンを持ってきて何やら堀っぽいところで遊んでる。
森の中に堀というか、溝のようなものを発見。
これは何ぞや???勝手に出来たにしては妙に深いぞ。
小川?でも水が流れてないやん・・・いちおう小さな橋もある。
何やろな~と覗き込んでいると、おじいさんが寄って来て、
「昔な、応仁の乱の時、山名宗前という人がここにコレを掘らしたんやで
合戦場やったからココに隠れてな」
いわゆる塹壕ってヤツやね。ほぉ~~~なるほど、それなら納得いく。
妙に深い溝やもん、自然に出来るにしてはなんか不自然やと思った。
しかし、このおじいさん何者じゃ???
私たちの横にぴったりひっつき、いろんな説明をしてくれる。
この上に展望台があって、そこに「平安京」をつくる基準とした岩があるねんで
とか、建勲神社の赤い柵を見て、
「あの赤い柵の中には誰のお墓があるか知ってる?」
キター物知り歴史じいさんや~
「織田信長ですよね?」
「そうや、ケタクソ悪い!この前通るときいつもプッって屁かまして歩いてるねん。
400まで数えたけど、もうナンボか忘れたわ~」
はぃ~~~~~
そんなにキライですか?信長ちゃん・・・
まぁ好き嫌いの激しいキャラではあるやろうけど
頂上の展望台に着いた。
さっそく例の岩(平安京の基点)が見えてきた。
祭祀の痕跡かもしれない磐座(いわくら)
へェ~結構デカイやんッ
早速、登る子供ら。私も登ってみたけどちょっとコワイわ。
そうか~ココから南の印である大極殿まで朱雀大路(現・千本通り)が延びてるわけやね。
(いまや大極殿もただの石碑だけになってるらしいけど)
お天気がよく、視界のイイ日には生駒山まで見えるらしいけど、
今日はお天気がスッキリしなくて、京都タワーでさえぼやけてた。
①が京都タワー、②が東寺
伸びた木や枝がなかったらもうちょっとよく見えるだろうな。
一部分、森になってるところが北野天満宮
三つ山が見えるのが双ヶ岡、そこから右に見える小さな塔が仁和寺(③)
物知りじいさんがイロイロ教えてくれた。
五山の送り火が4つ見えるらしいけど、周りを見渡すと
「左大文字」と「舟形」しか見えへんやん・・・
左大文字
舟形
すると物知りじいさん、「ここよりもうちょっと下の広場がようみえるねん」
なるほど、その広場は8月16日になると人でごったがえすらしい。
駐車場もないってのに凄いよね。。
来年の8月16日・・・来てみたいけどちょっと勇気がないな
他の文字も見える広場
頂上の展望台には三角点もちゃんとある。
へェ~実は初めて見たかも。計測されてる山にはみなコレがあるのよね。
突然、健杜がトイレトイレ~と騒ぎ出す。
さっき下にあったのに~もうちょっと早う言うてや・・・
すると物知りじいさん、「そこらの茂みでしてきたらいいねん」
ヒェ~霊源あらたかな地でそんなことしてイイんすかい?
バチ当たったりしませんかね・・・
見回すと、ヘンな塔のようなもの発見。一見、トイレのようにも見える。
まさか、トイレじゃないよね。小さいもん。
すると物知りじいさん、「アレは昔ラジオ塔やってん。アノ上から放送が流れて
みなココに集まって聞いたんや。今はもう中身のラジオはないけどな。
わざわざ壊す事もないやろうってそのまま残してあるねん」
三角点と後ろがラジオ塔
ほぉ~ラジオ塔って言うんですか。
いったいこのじいさん、何歳じゃ?
身なりはキレイやしちょっといい匂いもする。
年寄り臭い匂いはせんかったな。この辺のひとやろか?
このじいさんがいなかったら合戦場やったことも、ラジオ塔もしらんかった。
物知りじいさん、ありがとうございました。
船岡山と建勲神社②に続きます
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