CMソングの話題をもう少し引っ張ります。
高校生時代の懐かしい思い出とともに・・・。
関西でCMソングといえば「浪花のモーツァルト」キダ・タロー氏です。
関西企業のCMだけではなく、関西発信のテレビ番組のテーマ音楽の多くをキダ・タロー氏が作曲されています。
奈良県とのゆかりを調べてみると、葛城市、広陵町、山添村の三自治体のそれぞれの市町村歌を作曲されておられるそうです。
ご高齢のはずですが、京阪電車の"おけいはん"に向かって「モーツァルト北浜」を名乗ったり、「フェニックスプラザ摩耶」のモアイ像で通行人を驚かせたり、「探偵ナイトスクープ」の最高顧問を務められるなど、現在もお元気に活躍されています。
キダ・タロー メドレー
私は高校一年生か二年生のときに、「ABCヤングリクエスト」という朝日放送ラジオの深夜番組の「ミキサー完備 ! スタジオ貸します」というコーナーに出演したことがあります。
アマチュアバンドがスタジオでプロの録音技師に演奏を録音してもらって、演奏内容をキダ・タロー氏が批評してくれるというもので、当時の大学生を中心としたアマチュアミュージシャンの憧れの番組でした。
少し話が長くなりますが、「ヤンリク」と呼ばれていたその番組への出演の前に、同じく当時人気のあった深夜放送で「ヤンタン」と呼ばれていた「MBSヤングタウン」(毎日放送ラジオ)に2回出演していました。
大きなスタジオに観客を入れて桂三枝さんとアナウンサーの斎藤努さんが交代で司会を務める公開録音の番組で、それにもアマチュアバンドの演奏コーナーがあったのです。
いきさつがどうしても思い出せないのですが、急遽、高校の同級生5人でバンドを編成して、当時大阪の千里山にあった放送局へ公開オーディションを受けに行って合格しました。
編成は、リーダーのアルトサックスにピアノ、ギター、ベース、ドラムスの5人でした。ピアノは女の子で、私はギターとフルートを担当しました。
当時のアマチュアバンドといえばフォークソング全盛だったのですが、私たちはジャズロックやボサノバなどの少々ませた音楽を演奏していました。にわか作りのバンドでしたが、5人とも高校生にしては演奏が達者でした。
公開オーディションでは、大学生のフォークグループが入れ替わり立ち代り「愛だ、平和だ」と同じような歌を唄っていく中で、突然高校生が出てきて、歌も唄わずモダンジャズを演奏するのですから物珍しかったのだと思います。
その「ヤンタン」で演奏した後、毎日放送の人にもう一回別の曲で来るように言われて2回出たのです。
キダ・タローさんの「ヤンリク」は、その後に朝日放送の人から声が掛かったと思います。
なんでそのメンバーでバンドを組むことになったのか、曲のアレンジは誰がやったのか、とくに、ピアノの女の子は誰だったのか、忘れてしまったことが多いのですが、高校生の一時期、そうやって仲間と音楽を楽しんだのは懐かしい思い出として残っています。
おけいはんと「モーツァルト北浜」のキダ・タローさんを見るたび、その時のことを思い出します。
高校生時代の懐かしい思い出とともに・・・。
関西でCMソングといえば「浪花のモーツァルト」キダ・タロー氏です。
関西企業のCMだけではなく、関西発信のテレビ番組のテーマ音楽の多くをキダ・タロー氏が作曲されています。
奈良県とのゆかりを調べてみると、葛城市、広陵町、山添村の三自治体のそれぞれの市町村歌を作曲されておられるそうです。
ご高齢のはずですが、京阪電車の"おけいはん"に向かって「モーツァルト北浜」を名乗ったり、「フェニックスプラザ摩耶」のモアイ像で通行人を驚かせたり、「探偵ナイトスクープ」の最高顧問を務められるなど、現在もお元気に活躍されています。
私は高校一年生か二年生のときに、「ABCヤングリクエスト」という朝日放送ラジオの深夜番組の「ミキサー完備 ! スタジオ貸します」というコーナーに出演したことがあります。
アマチュアバンドがスタジオでプロの録音技師に演奏を録音してもらって、演奏内容をキダ・タロー氏が批評してくれるというもので、当時の大学生を中心としたアマチュアミュージシャンの憧れの番組でした。
少し話が長くなりますが、「ヤンリク」と呼ばれていたその番組への出演の前に、同じく当時人気のあった深夜放送で「ヤンタン」と呼ばれていた「MBSヤングタウン」(毎日放送ラジオ)に2回出演していました。
大きなスタジオに観客を入れて桂三枝さんとアナウンサーの斎藤努さんが交代で司会を務める公開録音の番組で、それにもアマチュアバンドの演奏コーナーがあったのです。
いきさつがどうしても思い出せないのですが、急遽、高校の同級生5人でバンドを編成して、当時大阪の千里山にあった放送局へ公開オーディションを受けに行って合格しました。
編成は、リーダーのアルトサックスにピアノ、ギター、ベース、ドラムスの5人でした。ピアノは女の子で、私はギターとフルートを担当しました。
当時のアマチュアバンドといえばフォークソング全盛だったのですが、私たちはジャズロックやボサノバなどの少々ませた音楽を演奏していました。にわか作りのバンドでしたが、5人とも高校生にしては演奏が達者でした。
公開オーディションでは、大学生のフォークグループが入れ替わり立ち代り「愛だ、平和だ」と同じような歌を唄っていく中で、突然高校生が出てきて、歌も唄わずモダンジャズを演奏するのですから物珍しかったのだと思います。
その「ヤンタン」で演奏した後、毎日放送の人にもう一回別の曲で来るように言われて2回出たのです。
キダ・タローさんの「ヤンリク」は、その後に朝日放送の人から声が掛かったと思います。
なんでそのメンバーでバンドを組むことになったのか、曲のアレンジは誰がやったのか、とくに、ピアノの女の子は誰だったのか、忘れてしまったことが多いのですが、高校生の一時期、そうやって仲間と音楽を楽しんだのは懐かしい思い出として残っています。
おけいはんと「モーツァルト北浜」のキダ・タローさんを見るたび、その時のことを思い出します。
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