気の向くままに

- 自分の生き方 -

迷い、彷徨い、どこへたどり着く
のか・・・

ダン・シャ・リィ

2014年01月04日 | 日記
 常々気になっていた自分の家の整理、整頓を兼ね、年末から一部屋づつ大掃除を実行。
 小さい家ながらも納戸や空き部屋にそれなりにあった小物から大物までを整理する。
 
 まぁ出るわ出るわ出羽の海って感じ。
 2日の有休は、粗大ごみ運びであっけなく終わってしまった。
 その後大晦日まで、子供部屋、押し入れ(複数)、洗面所、台所と小さい家の各コーナーを順番に整理していく。

 それでも、自分のものではない共有のもの、家族の占有物には手をつけられず、見違えるほどすっきりとはしなかったが、ごみ袋もありえないぐらいに放出。(6袋ほど)
 いやー、いかに物に縛られ、物に振り回され、物に執着しているかが痛切に分かる。

 家族とはいえ、ほかの人の物は、すべてガラクタに見え、逆に自分のものは捨てきれない心境になるところが恐ろしい。
 自分大事なのか、自分の物は良いと言わんばかりの身勝手な心根である。

 でも捨てた。結構に捨てた。
 捨てて後悔するようなものまで捨てた。
 ネットオークションで売ることも考えたが、それでも自分にとっては不要であると思い切って欲とともに捨てた。
 当然、一度も使っていないような物も捨てており、お金を捨てたのと同じである。
 家族の物は、自分の本意と違うが、勝手に捨てるわけにもいかず、助言にとどめ、そこにジレンマと諦めが交錯しているが。
 ここまでは、自世帯の話
 であるが、実は隣に親の家、倉庫がある。
 こちらはすごいにもかかわらず、手を付けられない。
 理由は、親が住む家だからである。

 これは手強い。
 整理しようにも手をつけさせてくれない。
 「これを捨てるということは(整理する意味なのに)、親を捨てるということ」というように意味不明なことを言う。
 そのくせ、「親の始末は子どもがするに決まっている」「親もそうしてきたんだ」と。
 
 いずれ、親も超高齢者になり、自分も高齢者になるというのに、体力的に整理が億劫になるような気がする。
 とんでもない整理が必要であり、広い家には、箪笥が何本もひしめき合い、洋服、食器などはちょとした旅館コーナーぐらいにワンサカである。

 自分がすることになるとしか思えない状況。
 5年、10年かけてゆっくりとでもいいから整理したいのに、整理させてくれないのである。

 親の家の片づけは、大変な苦労をするということも本で見た。
 もちろんネットでも。
 物を大事にする世代とはいえ、拾ってきたようなものまで押し入れ、食器棚、布団、農具、ありとあらゆるレパートリーが乱雑に至る所にびっしりである。
 
 実際に、整理しろと言われても困るけれど、いざという時に自分でできる心境になるのだろうか?
 お金で解決といっても、相続では負の財産となり、取り壊しなどをすれば莫大な費用がかかるのは必至である。

 自分の物はダンシャリしても、家族なのにダンシャリを強要できない。
 説得も無理。

 子供に押し付けるのか?
 このジレンマ、もどかしさが新春のテンションを下げる。(時間があるから焦るんだよねー)
 できることからコツコツと。

 足元を固めて、まずは自分の物からである。
 今年は、自分から強い信念で変えていこう。

 

2014

2014年01月01日 | 日記

新年あけましておめでとうございます

一昨年、昨年と激変した年でありました

振り返ればそれはそれで感謝の年です。

今年は、その経験を活かし飛躍的な人間的成長戦略の年としたいものです。

新たな気持ちで健やかなる年となりますように