3・11より13年目 そんなになるのかあ、東北地方太平洋沖大震災 あの大震災より13年目の春
つれあいと、市の献花場に行って数多くの犠牲者の御霊に手を合わせて参りました。
数年前ですと、その時間に街中で街頭案内があり、街ゆく人々も立ち止まって手を合わせていましたけれどもね。
時が変われば、この大震災も人々の記憶からやがて忘れられることになるのでしょうか。
東日本大震災、という名称がそもそもこの大震災を語り伝えるには十分ではないと考えますものですが、その根拠を申せば、気象庁のホームページに、はっきりと「東北地方太平洋沖大震災」という名称が使われております。
賢治という人は、…いや、せめてぼくが生きている間だけは、この震災名にこだわり発言をしてゆくだけです。
Photo.Masao.Ishigooka
アルバム名が、「はっぴいえんど」で、そのバンドのメンバー、細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂の各氏による歴史的なバンドの第1作の最初の曲が、「春よ来い」なんだけれど、この曲がぼくは大好きなんですねえ。1970年8月発表の同アルバムは、日本語で歌うロックとしてつとに有名なぼくにとって最高のアルバムなんですね。
音楽と言えば演歌もジャズも大好きであまりロックは好んで聴いてこなかったぼくですが、このバンドのこのアルバムにはハマりましたねえ。
何故心に訴えるんだろう、「はっぴいえんど」の音楽は。
1970年といえば、確かつげ義春の分厚い全一冊の本を買った頃ではなかったかなあ。版元は、もちろん青林堂。
今でも読むたびに感心するつげ氏の漫画作品だけれども、50年余も決して古臭く思えない本や音楽、そのことにぼくは驚くのでありますねえ。
あれから50年余も、ぼくは年をとってしまったけれども、作品は古びずにしっかり心の中に生きている・・・凄いことよなあと一人思う春でありました。
大瀧さーん、安らかにお眠りくださいね。
つげさーん、嗚呼、つげさんはおげんきでいきていらっしゃるのでありましたね。
文・フォト masao.ishigooka
3月に入って春に、そう甘く夢見たぼくはバカでした。雪がうっすら降り、寒い。
遠くの山々は白化粧。
この20年余、冬の季節をぼくは生きてきたんだなあと・・・
皆さんは如何お過ごしでしょうか?
photo.masao.ishigooka
遠くの山々は白化粧。
この20年余、冬の季節をぼくは生きてきたんだなあと・・・
皆さんは如何お過ごしでしょうか?
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