ただいま、クルマを車検に出しているので、最近は原チャリで移動しています。先週乗っていたらブレーキランプがつかなくなってしまったので急遽購入した自動車工場へ~電球交換のみで終わると思っていたんですが、なんだか接触不良ヵ所があるみたいなので1時間程かかりました。ちょうどお昼頃になり、天気もいいし、観光して帰ることにしました。ここからハウステンボスまではバイクで5分ほど。写真撮りに行ってきましたよ~
中までは入場せずに、全日空ホテルに沿った川沿いの道路をまっすぐ進むと別荘街があります。原チャリを停めて、ちょっと休憩~。現在、ハウステンボスでは、花の芸術祭が開催されています。「世界一の花のリゾート」として歩み続ける秋のハウステンボスから、花の文化を発信します。【期間】2006年9月16日(土)~2006年11月2日(木)まで。
ここはハウステンボスからバイクで15分ほどにある、隣町川棚町にあります。
太平洋戦争末期、我が国は絶望的な戦局を挽回しようとして、「神風特別攻撃隊」や人間魚雷・回天などの特攻作戦を展開したことは余りにも有名ですが、ここ長崎において特攻訓練所・基地が設けられていたことはあまり知られていません。この特攻殉国の碑がある川棚魚雷艇訓練所跡では、全国からの志願者によって震洋特別攻撃隊というものが結成されました。全長5m程の木造船(俗に言うベニア板)の船首に250kgの爆薬を積み込み、敵艦に突っ込んで行く特攻隊です。震洋艇には、1人乗りの1号艇と2人乗りの5号艇の2種があったようです。合計6197艇生産。訓練所跡地奥中央部に建つ「特攻殉国の碑」(1967年建立・写真右側)には、3498名(1989年)の殉職者の銘が印刻されています。
上の写真の塔は魚雷発射監視所跡です。右側は内部。ただ朽ち果てるのを待つだけのようです。発射実験がされていたぐらい、水深は深く、釣り客も多いようです。この場所で何発もの試験が極秘に行なわれていたんでしょう。今となっては負の遺産としての戦争の恐ろしさを肌で感じることができるような気がします。
上の写真は「魚雷収蔵施設」。いまは朽ち果てて屋根もありません。そこからさらに沖合いに道が伸びて岬の右手の「もうひとつの発射試験場(写真中央)」へと続いています。丘の上には軌道を測定するための望楼跡もあるようです。
佐世保海軍工廠で製造された魚雷を実地で試験発射するための極秘施設として、ここ川棚町の一画に「魚形水雷発射試験場」が開設されました。この試験場から西彼半島北岸の小さな二つの島の中間を発射目標として発射試験が繰り返されたと言われていますが、町民はもとより軍人にさえもその存在はひた隠しにされていたことから詳しい資料はほとんど残っていないそうです。
ここは先ほどの魚雷発射試験場から5分ほど移動したところにあるレストランです。外壁はコンクリートのシンプルな建物。
大きな窓側の席に座ることができました。夕方とかきれいでしょうね~。パノラマです。
店内は、木に囲まれたウッディーな感じ。のんびり落ち着きます。ちょうどお昼頃だったのですが私が行ったときはお客さんは少なめ。しかしその後でぞろぞろと増え、満席に近くなりました。今回は『おすすめランチ』を注文です。日替わりみたいですが、この日はチキンフライに煮物、ご飯、みそ汁、漬け物、デザート、お茶。和風です。オーナー自ら、レストランで使用する米や野菜を手作りしているので、安心・安全でおいしい食事を楽しむことが出来ます。
長年修行を積んできたシェフが作る洋食は、一切の妥協を許さない本格的なもの。人気のハンバーグやカレーもいちからの手作りです。トロトロの卵が乗ったオムライス(トロトロオムライス)やトロトロスパゲティなど人気メニューがあります。以前行ったときに飲んだ水だしコーヒー(何時間もかけて抽出してる)も美味しかったなあ。自然でほっとした味です。
今回は、陰と陽といえるような場所を一度に巡ったせいか、とても考えさせられる一日でした。同じ海岸線、それも10キロ程のなかに濃縮された時代の流れ。川棚湾は、よくキス釣りにでかけますが、ふだんは荒れることがない、静かな水面を漂わせている海。ゆったりとした時間が流れ、とても平和な場所。こんなところでさえも戦争の傷跡が現在も生々しく残っているのです。二度と争い事が起こらないように願いたいものです。
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