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8,800Kmの距離と父との別れ

2011年08月06日 | 日記
無事に日本に帰国、日本は思ったより暑くなく楽でした(私が渡米してからずっと涼しかったとか)。

テネシーの友人からは、現地は華氏100度を越えたと連絡があり、貴女がここにいなくて良かったと言ってきました。華氏100度は37~38℃にあたります。暑いのですね。エアコンを至急直さなくちゃと言ってました。

ロサンゼルスは日差しは強いもののドライですから、過ごしやすく、風が吹けば寒いと感じるほど。一番楽でした。

サンフランシスコは(気持ちも曇っていたのでしょう)ただただ寒かったです。(ただし海の近くにいたからかも)パルアルトではそんなに震えてはいませんでしたから。

東京はこれから酷暑になるのでしょうかしら・・・


さて、父の葬儀は無事終了。お通夜も告別式も参加でき、骨も拾えて、やはり良かったと心から思いました。

昨年9月に4カ月の余命を言い渡されてから約10カ月、本当によく頑張りました。

父はパーキンソンを煩い、次第に筋肉が衰えて行きます。5月の連休明けに危篤になった時からもう自分では食事を取ることが出来なくなっていました。

それに加え、肝臓癌、大腸癌、糖尿病、おまけに人工透析と病名のオンパレードです。

しかし、一度も「痛い」「苦しい」とは言わず、どこか痛い所はないかの質問にいつも「無い」と指でOKのマルを作っていました。

本当に無かったのか、我慢していたのかは分かりませんが、苦しんだ様子は見うけられなかったので周りも幸せでした。

最後も苦しまずに安らかに行ったそうです。

この報告を聞いた時、私はホテルのベッドで大泣きしました。8,800kmの距離はどうにもならないと。

私のメールに「おじいちゃん危篤」の連絡が入ったのは会議も終了した頃でした。至急電話をすれば、今から全員で病院へ行くとのこと。

「一週間もちますように!」との願いもむなしく、その30分後でした。

今回は覚悟で日本を出てきていましたから・・・。途中何かあっても帰国はしないと。

しかし、大体の用事も終了、葬儀に間に合うのなら至急帰国する。
日本では帰国するつもりなら葬儀を延ばすと。
この折り合いを時差のあるアメリカと日本でするのは結構大変です。

結局サンフランシスコへ飛んだ次の日の便で帰国しても間に合うことになり、すべての用事を済ませることが出来ました。

成田からは葬儀場へ直行。お通夜の席にぎりぎりセーフで座れたのは何よりでした。

やはり最後の別れが出来て本当に良かったと思いました。

こうしてアメリカ旅行も父との人生もすべて終了。

来週からは元気に社会復帰致します!


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