昨日は母の日。
街ではカーネーションを手にした家族連れ、若い女性と、「あ、お母さんを訪ねるのね」と云う光景をいっぱい目にしました。
実は私はそんな母の日を前にした土曜日に、妹と母との三者会談をしてかなり激しく母と衝突してしまいました。
母(実母)と同居の私は、どうも一緒に暮らすようになってから相性が良くありません。
優しくしなければと頭では分かっていても、心が素直にならないのです。
それでも昔に比べて最近はだいぶ良くはなって来たのですが・・・。
完璧二世帯住宅の我が家では食事もお風呂もすべて別。だから出掛けに「行ってきます」と声をかける程度。
ところが、2週間前、一人で料理をしていた母がお鍋ををつけっぱなしにして、火事になりそうなところと二回も遭遇してしまったのです。
「家がなくなる」と鳥肌が立ちました。それで今後どうするかの三者会談だった訳です。(取りあえず主人たちを除いての身内で)
ところが、その席で、言葉のキャッチボールがだんだん激しくなり、私は母に向かって、直球、ストライク、それも高速の球を何発も投げていたのでした。
母からの球もかなり年の割には剛球で、その事を指摘した時、妹から「あなたの球が直球だから返って来る球も勢いがあるに決まっている、テニスの場合を考えてごらん」と言われてしまったのです。
言われてハッとしました。
前回このブログで「誰の心にもDVになる要素がある」と言ったばかり。
言葉の暴力。
これって私のことだったんだ!と。
80歳近い親に向かって、「あなたのこの性格が嫌いだ」と強く言っても今更直らないのに。
悲しませるだけなのに。
母は結核を患った後、「子供を産むのは死に至る」と言われたにも拘らず、死を覚悟で私を出産してくれたそうなのに。
そんな思いで産んだ子に、この歳になって「嫌いだ」と言われ、どれほど傷ついたことか。
私も娘を持つ親。自分をその立場に置き換えれば、心がつぶれました。
どうして母にだけ(家族からブーイング、どうも母にだけでもなさそう)こんなにきつくなるのだろう。
悲しい母の日にさせてしまいました。
昨夜の夕食は母も含め家族全員で。その間にそっと母の部屋へカーネーションと手紙を置いてきた私です。
「産んでくれてありがとう。本当は愛しているよ」と。
来年の母の日にはもっと素直に心から「ありがとう」と言える自分になっていたいな。
「素敵な私になるために」これは私の課題です。
ハッ!と気がつく貴女はまだまだ捨てたモノ
ではありません。
反省文を日記に書ける素直さが、又、素敵!
私なぞは、まだ意地を張っているわ(笑)
この日記を読んで・・・素直になりましょう・・・私も素敵になりたいと思います。
励ましのコメントをありがとうございます。
母と娘の日常茶飯事と聞いて、少しホッとしました。私だけじゃないのですね。
書いたからこそ、こうしてコメントを頂けて嬉しいです。
ありがとう!エルムさん。
親の土地に二世帯住宅?
共有で二世帯住宅?
自分の資金で二世帯住宅?
親はスープの冷めない距離で、行ったり来たりがいいですね。
私は東京の一等地を父の事業の失敗で手放し、母は賃貸で一人暮らしです。スープの冷めぬ距離で我が家も賃貸。
あの土地があったら…と、東京は土地が高い。
母と一緒に暮らしたいが、東京で家を買う時期を子供たちの教育費に充当して、いまだ賃貸。
東京で戸建てに住むということは、非常に難しいですよ?
高齢になって、娘に非難されるって、屈辱的でしょう。
でも、小さくなってしぼんでしまったお母様の心、貴女の優しいメッセージで回復されたでしょう!
なにはともあれ、今後ますます高齢になっていくお母様は子供から幼児に帰ると思って同居してください。
私は、新宿という大都会の中で、気位の高い
一人暮らしの高齢者30人のお食事を作るボランティアをしています。
一人で生きることは不安で、脳と体が鈍くなって、去年できたことも今年は忘れてくる。
何でも共有してきた夫がいない不安。
一人暮らしは一人なんです。
私たち夫や子どもがいること自体、母よりどこかに安堵感、安心感があるんですね。
やがて一人になっていく女性、女性が女性をなぶらないように私の自分を戒めています。
人生晴れのち曇り、そして雨 ときどき台風
皐月晴れもあれば、快晴もある。
喧嘩も仲よしも、人生ゲーム ゴールで万歳かな?
優しいあなたへ…
sakikoさん、ありがとうございます。
確かに私には家族がある。きっと一人暮らしの母の孤独、寂しさ、年々歳を取り出来ることが出来なくなって行く不安、諸々を私は理解することなどできなかったのでしょうね。(今でもまだ出来ないでいますが)
その後母には綺麗な一週間毎のダイヤリーをプレゼントして、そこに毎日自分を褒める言葉を3つでも4つでも書いてみてと頼みました。
「もう誰の役にも立っていないから、生きている甲斐がないから早く死にたい」とネガティブに生きている母に何とかそこから抜け出してほしいとの思いからです。
自分の足元が救えなくてどうする、との反省からでした。
貴女の励ましに感謝です。