ムーミンパパの気まぐれ日記

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みーん、みーん、みーん

2006-08-07 | column
 高校野球の甲子園大会も始まり、いよいよ夏も本番という状況になってきた。学生が夏休みに入ったので少しは電車も空いているとはいえ、ネクタイを締めてラッシュ時に通勤るすのはお世辞にも快適とは言いがたいものである。サラリーマンというのは実は現代の修行僧なのかもしれないなんて下らないことを考えたりしてしまう。そんなこんなで駅を出て地上に出ると蝉の声が聞こえてくる。

 イソップ物語に「アリとキリギリス」というのがある。子供の頃に聞いたのは、キリギリスは夏を謳歌して遊んでいたために冬になって食料がなくなって死んでしまい、暑い中でもせっせと働いていたアリは家の中で楽しく過ごすことができたという内容だった。だからこつこつと毎日努力することが大事なんだというとても説教くさいお話なのだが、8月31日になっても真っ白な絵日記帳を見ながら親のいうことを聞いとけばよかったなあとため息をついて思い出していたお話でもある。お陰で、子供心に「アリも薄情だよなあ。知り合いだったら、少しくらい食料を分けてやればいいのに。」とか「大体キリギリスなんて一年くらいしか寿命がないんじゃないか。」なんて、お話に八つ当たりをしていたものである。ところが、大きくなってから聞いてみると、このお話はそもそもがギリシアの寓話で「セミとアリ」だったらしいと知って驚いた。しかも、アリが食料を乞い求めにきたセミに対して「あなたは夏中歌ってくらしていたんだから、冬は踊っていればいい。」と言って追い返したというのだ。私の聞いた話では「あなたが歌を歌って遊んでいた夏に我々がせっせと集めた食料で、分け与えるような余裕はありません。」とアリが言ったという話だったから、それに比べると原作のアリは比べようもないくらい冷酷非情である。しかも、セミなんか何年も地中で暮らした上に7日間しか地上で生きられないんだから、その苦労を思えば歌って過ごしたって仕方ない―そもそもセミは冬まで生きられないっていうのはこの際置いといてね。―ではないだろうか。ともあれ、子供への教訓として語られるにしては、ちょっとセミにとって厳し過ぎるし、アリだってもう少し人情というものがあっていんじゃないかと思うのである。もっとも日本の童話の中にはキリギリスを可愛そうに思ったアリが食料を分け与えて、それに感動したキリギリスは心を入れ替えて働くようになったというのもあるらしい。それはそれで「そんな甘っちょろいことでいいのか!働かざる者食うべからずだろうが~!」などと突っ込みを入れそうではある。

 そして今日もまた働きアリはいつものように会社へと向かうのである。

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