新年度明けましておめでとうございます!
なんて、ブログもしばらく更新していないと、なんとなく投稿しづらく、なにかしら言い訳が欲しくなるものなんですよねえ。
その言い訳も4月30日とは…トホホ
「〇活」って言葉があれこれと使われている。たぶん就職活動を略して「就活」って使われるようになったのが、この種のブーム(?)の最初だと思うけれど、ホームルームなどの学級活動が「学活」と言われていたのが原点なのかな(違ってたら訂正してくださいね。)。ともあれ、不妊治療など、妊娠を目指した活動が「妊活」、保育園を探す活動が「保活」、学校では「学活」と、それこそ揺りかごから墓場まで〇活ばやりなのである。そしてその「墓場」を目指すのが「終活」。
今や総合週刊誌では毎号必ずこの終活の話題が載っている。これは終活に対する中高年の関心が高いということが基本にあるのだろうが、若者の活字離れが進み、週刊誌を買って読むのは中高年ばかりだというのも大きいのではないだろうか。なにせグラビアページまで、アグネスラムや水沢アキなどのかつてのアイドルの水着が載っている。なかには既に他界している女優の未公開ヌードなどと見出しに踊っているのには、どうだかなあと思ってみたりもするのである。ちょっと見てみたいと思ってしまうのが、ちょっと悲しいが(笑)。
話は寄り道にそれましたが、この終活というのは人生の終り、端的に言えば、自分の死に向かってやるべきことや準備しておくべきこと全体を指している。これまでは、まあそういうことも必要だよなあっていうくらいの感覚だったのだが、最近は少しは自分もやっておかなくてはと思うようになった。そもそものきっかけは父が亡くなった時の手続である。まずは、葬儀に当たって、どこに連絡をしたらいいのかが分からない。だいたい男の子と父親なんていうのは、基本的に没交渉なので父の交友関係などというものはほぼ不明である。母はとっくの昔に天国に旅立っているので、そっちに聞くこともできない。聞いてみても、うるさい父をこっちに寄こすんじゃないって怒られるのが関の山である。ともあれ、親戚、町会と昔の職場に連絡を済ませ、年賀状を頼りに失礼を承知で学生時代の旧友と思われるような方に連絡をしてみたら、ありがたいことにその方が同窓の方々に連絡をしてくれた。それはまあ幸運ではiあったが、自分が死んだ後はどうするのか、やっぱり少しは準備しておかなくてはならないと実感したのであった。それから何年も経ち、そろそろ思っているだけでなく、実行に移さなくてはならない年齢になってきた。人生百年時代なんて言うものの、人間いつ死ぬかなんて分からないし、死なないわけにもいかない。とは言え、エンディングノートみたいなものを買って記入していくというのも性に合わない。かくして、あっちの書類を見てみたり、パソコンの前で唸ったりしていくうちに時は過ぎていくのである。
まあ、身内に見られたら恥ずかしいような動画ファイルやら画像だけは消去しておくかな。名残惜しいけど。
なんて、ブログもしばらく更新していないと、なんとなく投稿しづらく、なにかしら言い訳が欲しくなるものなんですよねえ。
その言い訳も4月30日とは…トホホ
「〇活」って言葉があれこれと使われている。たぶん就職活動を略して「就活」って使われるようになったのが、この種のブーム(?)の最初だと思うけれど、ホームルームなどの学級活動が「学活」と言われていたのが原点なのかな(違ってたら訂正してくださいね。)。ともあれ、不妊治療など、妊娠を目指した活動が「妊活」、保育園を探す活動が「保活」、学校では「学活」と、それこそ揺りかごから墓場まで〇活ばやりなのである。そしてその「墓場」を目指すのが「終活」。
今や総合週刊誌では毎号必ずこの終活の話題が載っている。これは終活に対する中高年の関心が高いということが基本にあるのだろうが、若者の活字離れが進み、週刊誌を買って読むのは中高年ばかりだというのも大きいのではないだろうか。なにせグラビアページまで、アグネスラムや水沢アキなどのかつてのアイドルの水着が載っている。なかには既に他界している女優の未公開ヌードなどと見出しに踊っているのには、どうだかなあと思ってみたりもするのである。ちょっと見てみたいと思ってしまうのが、ちょっと悲しいが(笑)。
話は寄り道にそれましたが、この終活というのは人生の終り、端的に言えば、自分の死に向かってやるべきことや準備しておくべきこと全体を指している。これまでは、まあそういうことも必要だよなあっていうくらいの感覚だったのだが、最近は少しは自分もやっておかなくてはと思うようになった。そもそものきっかけは父が亡くなった時の手続である。まずは、葬儀に当たって、どこに連絡をしたらいいのかが分からない。だいたい男の子と父親なんていうのは、基本的に没交渉なので父の交友関係などというものはほぼ不明である。母はとっくの昔に天国に旅立っているので、そっちに聞くこともできない。聞いてみても、うるさい父をこっちに寄こすんじゃないって怒られるのが関の山である。ともあれ、親戚、町会と昔の職場に連絡を済ませ、年賀状を頼りに失礼を承知で学生時代の旧友と思われるような方に連絡をしてみたら、ありがたいことにその方が同窓の方々に連絡をしてくれた。それはまあ幸運ではiあったが、自分が死んだ後はどうするのか、やっぱり少しは準備しておかなくてはならないと実感したのであった。それから何年も経ち、そろそろ思っているだけでなく、実行に移さなくてはならない年齢になってきた。人生百年時代なんて言うものの、人間いつ死ぬかなんて分からないし、死なないわけにもいかない。とは言え、エンディングノートみたいなものを買って記入していくというのも性に合わない。かくして、あっちの書類を見てみたり、パソコンの前で唸ったりしていくうちに時は過ぎていくのである。
まあ、身内に見られたら恥ずかしいような動画ファイルやら画像だけは消去しておくかな。名残惜しいけど。
私はエンディングノートを買いました。
まだ、記入途中ですけど。早く完成させねば^^;
年に一度の見直しも必要と思っています。
それと、相続税対策として、毎年子供たちに非課税の範囲で少しづつ贈与しています。
ただし、このお金はお母さんが生きているうちは使っちゃいけないと釘を刺しています。
パパさん、また気まぐれに更新してくださいね。
こんな四季報みたいなブログを読んでくれるのは、もうチエちゃんだけです。感謝、感謝。
で、チエちゃんは具体的に行動しているのですね。
相続税対策までしているとはさすがです。
私も金の延べ棒でも買って、どこかに埋めておくかなあ(笑)