
北京オリンピックの開幕が近付いて来た。テレビや新聞などにも、これにまつわる話題が増えてきているし、私の知り合いの記者も何人か既に中国で活動を始めている。そんなことを考えながら林花のことを思い出した。私がこのブログを始めるきっかけとなった女性の名前である。みんなで「花ちゃん」と読んでいたけれど、中国吉林省延辺市出身だから正しくはリン・フアという。今は結婚してソウルに移り住み、先日男の子を出産したという報告があったばかりである。当時、行きつけの居酒屋でアルバイトをしていた彼女とはよく話をした。もちろん日本語で。彼女は中国語、韓国語、日本語の3つを操れるのだが、さらに学校に通って英語の勉強もしていた。いつかはマスコミ関係の仕事について、北京オリンピックの取材をしたいという夢を語ってくれていた。そんな話を聞きながら、中国と中国国民にとってこのオリンピックはとてつもない意味を持っているんだなあというのを感じたものである。たぶん戦後復興から立ち上がった1964年に開かれた東京オリンピックの時の日本も同じようなものだったのだろう。ともかく、日本から遊びに来てくれれば私が案内してあげるからと言う彼女に対して、そんな遠い未来のことは分からないよなあなんて笑いながら、その時にはよろしくねなんて答えていた。そんなオリンピックがもうすぐ始まる。
今回彼女と北京で会うことはないだろうけれど、もし2016年の東京オリンピックが実現したら、再び東京で会うことができるかもしれない。その時は彼女の子供ももう中学生。きっと一緒に来日することだろう。ただ、彼女が日本語を忘れていなければいいのだけど。。。
今はもうほとんど連絡も取っていないけれど、昔の友人というのは本当にいいものである。
有朋自遠方来 不亦楽(朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや。)
その時はこう論語の一説を引用しながら、酒を酌み交わすことにしよう。そんな想像だけでもう楽しいのである。
今回彼女と北京で会うことはないだろうけれど、もし2016年の東京オリンピックが実現したら、再び東京で会うことができるかもしれない。その時は彼女の子供ももう中学生。きっと一緒に来日することだろう。ただ、彼女が日本語を忘れていなければいいのだけど。。。
今はもうほとんど連絡も取っていないけれど、昔の友人というのは本当にいいものである。
有朋自遠方来 不亦楽(朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや。)
その時はこう論語の一説を引用しながら、酒を酌み交わすことにしよう。そんな想像だけでもう楽しいのである。
日本語の勉強のためにパパさんが、一肌脱いだと言うわけですか?
ニュースで、北京のオリンピックに向けての建設ラッシュなどの様子を見ていると、日本も同じだったのだろうと思います。
三種の神器などが普及して、庶民の生活も豊かになりました。
1964年の東京オリンピックはほとんど記憶にないけれど、あの頃から急速にモノがあふれてきたような実感はありますよねえ。