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食玩収集のきっかけとなったタイムスリップグリコの新しいシリーズの販売が東京でも始まった。今度は大阪万博を題材にしたフィギュアがおまけである。全部で13種類+シークレットなのだが、現時点で20個買って、11種類+シークレット1種までこぎつけている。このシリーズは関西地区で先行的に販売されたのだが、瞬く間に売り切れてしまったという。そのせいかどうかは分からないが東京での販売はこちらの予想よりかなり遅くなり、もしかしてこのまま関西限定販売で終わってしまうのではないかとやきもきしていたので、こちらとしても意欲満々で買い集めているところである。(写真は、いわずと知れた太陽の塔のフィギュア。かの岡本太郎さんの作品です。)
「人類の進歩と調和」をテーマに1970年に大阪で開催された万国博覧会は、日本の高度成長時代を締めくくるにふさわしいイベントとして、たくさんの入場者を集めた。小学生だった私は少年向け雑誌に載っている万博ガイドなどを読みふけり、もし行くことになったらどことどこを見ようかなどと綿密な計画を立てていた。開会式はいつだったのか覚えていないが、土曜日の午後、授業が終わった後に教室のテレビをみんなで見た記憶が鮮明に残っている。まだテレビは白黒だった時代である。当時はみんなそんなに裕福ではなかったし、家族揃って旅行に行くなんていう習慣も一般的ではなかったのだが、母の実家が関西だったので、夏休みを利用して万博を見に行くことができた。新幹線に乗ったことがあるというだけで友達に自慢できたくらいだから、万博を見に行くなんていうのはクラスに一人か二人くらいしかいなかったので、私は相当に鼻高々だった。しかしながら、実際に会場に出かけてみると、月の石が展示してあったアメリカ館など、人気のパビリオンは5~6時間待ちの大行列ができており、並んでいる間に熱中症(当時は日射病って言ってたが)で倒れた人が救急車で搬送される始末であった。子供の私が立てた計画どおりになんか回れるわけもなく、未来的な建物の中をランニングシャツと麦藁帽子という、何とも絵に描いたような姿の日本少年はただひたすら会場をうろうろしていたのである。今となっては、何を見たのかあまりよく覚えていないが、ただ日本政府館にアメリカから寄贈された月の石のかけらというか砂粒が5~6個あり、アメリカ館に行かなくても月の石が見られてラッキー!と思うとともに、こんなかけらを寄越したアメリカになんだか馬鹿にされているような気がして妙に悔しかった思い出だけが残っている。東京に戻ってからは、今度行った時には絶対に三菱みらい館だけは見たいなどと思っていたが、もちろんそんな機会が訪れることは2度となかった。
その後、○○博覧会とつくものはいくつもあったし、今も愛・地球博が行われているが、私にとって万博はあの大阪万博以外にはありえないものなので、そのどれにも行ってみようという気がおきない。三波春夫が何のくったくもない笑顔で”こんにちは~♪こんにちは~♪世界の国から~”と歌い、日本人みんなが未来=進歩だと単純に信じていた時代はもう戻ってこないのかと思うと、少し寂しい気がする。
そうそう。もし、よければクレヨンしんちゃんの劇場映画「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」のDVDを見てください。冒頭万博のシーンから始まるのですが、子供より大人の方が必死に見てしまう傑作ですよ。だまされたと思って見てください。
「人類の進歩と調和」をテーマに1970年に大阪で開催された万国博覧会は、日本の高度成長時代を締めくくるにふさわしいイベントとして、たくさんの入場者を集めた。小学生だった私は少年向け雑誌に載っている万博ガイドなどを読みふけり、もし行くことになったらどことどこを見ようかなどと綿密な計画を立てていた。開会式はいつだったのか覚えていないが、土曜日の午後、授業が終わった後に教室のテレビをみんなで見た記憶が鮮明に残っている。まだテレビは白黒だった時代である。当時はみんなそんなに裕福ではなかったし、家族揃って旅行に行くなんていう習慣も一般的ではなかったのだが、母の実家が関西だったので、夏休みを利用して万博を見に行くことができた。新幹線に乗ったことがあるというだけで友達に自慢できたくらいだから、万博を見に行くなんていうのはクラスに一人か二人くらいしかいなかったので、私は相当に鼻高々だった。しかしながら、実際に会場に出かけてみると、月の石が展示してあったアメリカ館など、人気のパビリオンは5~6時間待ちの大行列ができており、並んでいる間に熱中症(当時は日射病って言ってたが)で倒れた人が救急車で搬送される始末であった。子供の私が立てた計画どおりになんか回れるわけもなく、未来的な建物の中をランニングシャツと麦藁帽子という、何とも絵に描いたような姿の日本少年はただひたすら会場をうろうろしていたのである。今となっては、何を見たのかあまりよく覚えていないが、ただ日本政府館にアメリカから寄贈された月の石のかけらというか砂粒が5~6個あり、アメリカ館に行かなくても月の石が見られてラッキー!と思うとともに、こんなかけらを寄越したアメリカになんだか馬鹿にされているような気がして妙に悔しかった思い出だけが残っている。東京に戻ってからは、今度行った時には絶対に三菱みらい館だけは見たいなどと思っていたが、もちろんそんな機会が訪れることは2度となかった。
その後、○○博覧会とつくものはいくつもあったし、今も愛・地球博が行われているが、私にとって万博はあの大阪万博以外にはありえないものなので、そのどれにも行ってみようという気がおきない。三波春夫が何のくったくもない笑顔で”こんにちは~♪こんにちは~♪世界の国から~”と歌い、日本人みんなが未来=進歩だと単純に信じていた時代はもう戻ってこないのかと思うと、少し寂しい気がする。
そうそう。もし、よければクレヨンしんちゃんの劇場映画「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」のDVDを見てください。冒頭万博のシーンから始まるのですが、子供より大人の方が必死に見てしまう傑作ですよ。だまされたと思って見てください。
大阪万博には、両親と兄が行ったそうで、ひさは…母上のおなかの中。一応、同行??
私自身の思い出はつくば万博です。コスタリカ館で飲んだコーヒーの味が忘れられません。
いかんせん1枚しかアップできないのよねえ。
ともあれ、計算上は胎児ですらなかったのではない?
ギリギリかな。
・・・どこかでよく聞くセリフだな