ムーミンパパの気まぐれ日記

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タイムカプセル

2019-11-03 | column
 ブログの再起動をしたのはいいけれど、何を書こうか悩ましい。これまでどんな感じで書いていたんだったけかなあとか、本当に読む人いるのかなあなんて、うだうだ考えているうちに半月経ってしまった。なにが再起動だよ、という諸姉諸兄のお叱りの声が聞こえてくるような気がします。とはいえ、6年間も放置していたので、それなりに色々なことがあったし、しばらくはそんなプチ思い出話を書いていこうと思っている。

 先日、福島県の帰還困難区域を視察する機会があった。ご存じのように、福島第一原子力発電所の事故により放射能汚染が原因で未だに住民の方々が帰宅をできない地域である。国道6号線をバスに乗って進むと、ここから帰還困難区域に入るとの案内を受ける。現在、道路上は車の通行は制限されていないが、道路の両サイドは柵でがっちりとガードされている。窓越しに見えるロードサイドの店舗は、地震によるものなのか、9年近い月日のせいなのか、天井が落ちたり、壁がはがれたりしている。それは廃墟という言葉がぴったりする風景である。重苦しいとまでは言わないけれど、車内は徐々に静かになってくる。少しは気の利いたジョークでも飛ばして場の雰囲気をなごませようかとも思ったりもするけれど、そんな無謀なことにチャレンジすることなど到底できる感じではない。しばらく走ると、一時立ち入りのためのゲート、いわば検問所みたいな所でバスが止まる。ここから先は事前に登録した人以外の立ち入りはできない。係員の方がバスに乗り込んできて、一人ひとり身分証明書を確認しながら、名簿との照合をする。再出発したバスは、一見すると日本中どこにもあるような住宅地を走っていく。立ち並ぶ戸建住宅の中には、新築されたばかりだったんだろうなあと思うものがいくつもある。玄関先の自動車はタイヤの空気が抜け、ペタンと腰を抜かしているかのように駐車している。住民の方たちはどんな気持ちで家を去っていったんだろうか。そんなことに思いを巡らすよりも先に、住宅ローンはどうなったんだろうなんて考えている自分が嫌になったりもする。でも、被災者のリアルに寄り添わなければ復興なんてできないよなあ、と言い訳しながら自分を慰める。そんな取っ散らかった感情が行ったり来たりしている間にもバスは進んでいく。
 旧大熊町役場近くにある常磐線大野駅の前でバスは停まり、少し歩くことになった。靴にはビニールカバーをし、使い捨ての手袋とマスクを装着してバスを降りる。駅には足場が組まれ、改修工事を行っている。2020年の春には営業を再開する予定だと聞いて、少しホッとしながら駅前の商店街へと歩く。そこに広がっていたのは、あの日から時間を止めてしまった街の姿だった。調味料や紙ナプキンがきちんとテーブルの上にセットされているレストランのテーブル。半開きのシャッターの奥にハンガーにぶら下がったブラウスやスカートが陳列されている婦人服店。街全体がタイムカプセルに入れられたような光景がそこにはあった。そう言えば、遠い昔、かつてヴェスヴィオ山の噴火により紀元79年で全てが火山灰に埋もれてしまったポンペイ遺跡の展示会に行ったことを思い出した。その時は、食事の途中のままのテーブルや子供をかばったまま息絶えた母親らしい痕跡などの展示を見て、人々の営みが2千年後までそのまま残っている生々しさに奇妙に興奮したものだが、今回はそんな気分とは程遠い感覚である。あちこち写真を撮る若者を少し腹立たしく思いながら、自分も街並みだけを何枚か撮影してみた。きっとあおの若者も単なる好奇心や興味だけで撮影しているわけではあるまい。ここにあるのは空間だけでなく、時間も存在しているのだから。それも2011年3月のまま。

 このブログで原発問題の是非や復興事業などを議論する気はない。ただ、見たまま感じたままを書き散らしただけである。その先のことはそれに相応しい場を選んで語ってもらえれば、それでいいと思う。ただ、この時の心の揺れが止まっていたこのブログをまた動かしてみようと思うきっかけの一つになったことは確かである。
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