今日から7月。陰暦7月は文月と称されている。その由来には色々な説があるようだけれど、やっぱり七夕の行事の一つとして、短冊に和歌などを書いて書道の上達を願ったことから「文披月(ふみひらきづき)」といわれていたのが縮まって「文月(ふづき・ふみづき)」といわれるようになったという説がしっくりくるような気がする。
子供の頃にはいろいろな行事があって、好きなものも嫌いなものもあったけど、七夕と言うのはどっちでもない何となく地味な行事だったような気がする。笹の葉飾りとして色紙を切っただけの短冊に願い事を書いたり、折り紙をわっかにしてつなげたものをみんなでつけたりしたけれど、考えてみればそれだけのことで、クリスマスのようにプレゼントがもらえる日でもなければ、何かご馳走が出てくるような日でもなかった。みんなで作った笹の葉飾りも、時期が過ぎればいつの間にかだれかに片付けられてしまっているのだが、大概の場合、なくなったことにすら気がつかないくらいである。多少大きくなってから、仙台や平塚の七夕祭りっていうのはかなり盛大らしいというのを聞いて、そういうのもあるのかなとは思ったけれど、ブラウン管を通して映し出されるのは、どう贔屓目に見てもちょっと派手な商店街の大売出しにしか見えない。もちろん、毎年たくさんの人出があるようだし、実際に行ってみたわけでもないので、ただの思い込みにしか過ぎないのかもしれない(関係者の方、気を悪くされたらごめんなさい。)が、どっちにしても私にとっての七夕はそんな印象しかない行事であった。
子供の頃にいったいどんな願いことをしていたのだろうかということすら思い出せないけれど、まあそこそこの人生を送っているのだから、彦星と織女星には感謝をしなければいけないのかもしれない。
でもまあ、レッズサポがベガとアルタイルに感謝するっていうのもなあ・・・って、サッカー好きの人にしか意味分からないだろうな。
子供の頃にはいろいろな行事があって、好きなものも嫌いなものもあったけど、七夕と言うのはどっちでもない何となく地味な行事だったような気がする。笹の葉飾りとして色紙を切っただけの短冊に願い事を書いたり、折り紙をわっかにしてつなげたものをみんなでつけたりしたけれど、考えてみればそれだけのことで、クリスマスのようにプレゼントがもらえる日でもなければ、何かご馳走が出てくるような日でもなかった。みんなで作った笹の葉飾りも、時期が過ぎればいつの間にかだれかに片付けられてしまっているのだが、大概の場合、なくなったことにすら気がつかないくらいである。多少大きくなってから、仙台や平塚の七夕祭りっていうのはかなり盛大らしいというのを聞いて、そういうのもあるのかなとは思ったけれど、ブラウン管を通して映し出されるのは、どう贔屓目に見てもちょっと派手な商店街の大売出しにしか見えない。もちろん、毎年たくさんの人出があるようだし、実際に行ってみたわけでもないので、ただの思い込みにしか過ぎないのかもしれない(関係者の方、気を悪くされたらごめんなさい。)が、どっちにしても私にとっての七夕はそんな印象しかない行事であった。
子供の頃にいったいどんな願いことをしていたのだろうかということすら思い出せないけれど、まあそこそこの人生を送っているのだから、彦星と織女星には感謝をしなければいけないのかもしれない。
でもまあ、レッズサポがベガとアルタイルに感謝するっていうのもなあ・・・って、サッカー好きの人にしか意味分からないだろうな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます