ムーミンパパの気まぐれ日記

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白い雲

2008-08-20 | column
 それぞれの季節にそれぞれの雲があるような気がする。多分科学的にというか、気象学的には思い違いでしかなくて、条件が揃えばどんな季節だろうが同じような雲が発生するのだろうけれど、それでもやっぱり入道雲を見れば夏だと思うし、いわし雲を見ればそろそろ秋だなあと思うものである。イメージの違いでしかないとは分かっていても、やっぱり積乱雲とか巻積雲とか呼ばれる雲とはちょっと違うような気がするのである。季節感というのは、そんな言葉の端々に現れてくるものなのかもしれない。そして私にとって最も印象的なのは夏の雲である。一番空を見上げることが多い季節だからなのか、空の青さと雲の白さのコントラストが強烈なせいなのか、なぜか毎年夏の終わり頃になるとこうやって雲のことを話題にしている。「単純な性格なのさ」と言われれば、それだけのことかもしれないけれど、終わりかけの夏と白い雲というのは私にとっては切り離せないものなのだろう。こういう感性というか季節感というか、そんな想いはきっとこの世からいなくなるまで変わらないものであろう。
 どこか遠い所に行ってのんびりと空を見上げてみたいと思う。東京の街角から見上げる空だって、それほど捨てたものではないけれど、それでもやっぱり少し狭いのである。どこかの小島の山の中腹に座って、蝉の鳴き声を聞きながら、頭の上にある青い空を流れていく白い雲をぼんやりと見上げる。昼寝でもしようと思うけれど暑くて寝られたものではない。つくづく損な性格だなあと思いながら、冷たい麦茶を口に含みながら目を下に向けると、決して広くはない海におだやかな波を立てながら行きかう船が見える。停泊している小さな船はきっと釣りでもしているのに違いない。太陽光が空気中で散乱するから空は青くなり、海は空の色を映しているから青く見える。そんな解説はどうでもいい。空だって海だって、機嫌のいい時は青くきれいだし、機嫌が悪いときにはどす黒くなる。そうやって説明してくれる人の方が頭の切れそうな学者よりも信用できるってものである。しばらくそうやって雲と一緒に時が流れていくのを体で感じてみたい。夏が始まる前にはいつだってそんなことを考えているのだけれど、そんな時間を過ごせる機会はめったに訪れやしない。ニューヨークのシックな街並みも北京の喧騒も、それはそれで悪くはないけれど、自分が本当に欲しい時間は、そんな雲と一緒に流れる時間である。
 坂の上の雲をつかむなんてことはちっとも思わない。ただただぼんやりと流れる雲を眺めていたい。それがひたすらに文弱な私の儚い夢である。

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