ここ2、3日、東京では細かい霧のような雨が降っている。雨粒と言うのもはばかれるような小さな水滴が大気の中を踊っているかのようである。傘を差すほどではないけれど、差さずにいればしっとりと髪の毛が濡れてくる。どうせ傘を差したところで、風に舞った雨が全身を濡らしてしまうのだから、月形半平太よろしく「春雨じゃ濡れて行こう。」などとシャレてみたくなったりもする。もちろん蛇の目傘の脇にそっと寄り添ってくれるような芸妓さんがいるわけでもないし、「死して護国の鬼になる」ような望み高き志士でもないが、「春雨かあ。鍋に入れるとうまいんだよなあ。」というほど不粋でもない。ただまあ、中途半端に風情を感じたりするのがせいぜいである。俳句の歳時記では春雨というのは文字どおり春の雨のことであるが、春雨と言う時には「春も後半で暖かくなって静かにしとしとと降る風情のある雨」をさすらしい。月形半平太の名セリフも京都を舞台にした芝居の中で出てくるものであるが、そんな雨は確かに京都の街並みに似合いそうではある。東京のそれも高層ビルが林立する新宿の街中で着流し姿に蛇の目傘なんか差そうものなら、たちどころにチンドン屋に間違われることは確実である。それでも細かい雨が景色を薄墨色のぼんやりとしたものに変えてくれるし、雨が都会の喧騒を少しだけ抑えてくれる。
そんなことをぼ~っと考えながらゆっくりと出勤するのも早出の特権である。行き着く先のことしか考えなかった若い頃とどっちが幸せなんだろうか。そんなことを考えるにはまだ百年早いなどと先輩達に叱られそうではあるが、時は今もゆっくりと刻まれていることを実感させてくれるような春の雨である。
そんなことをぼ~っと考えながらゆっくりと出勤するのも早出の特権である。行き着く先のことしか考えなかった若い頃とどっちが幸せなんだろうか。そんなことを考えるにはまだ百年早いなどと先輩達に叱られそうではあるが、時は今もゆっくりと刻まれていることを実感させてくれるような春の雨である。
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