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冒頭の写真はラガーディア空港に着陸する直前のニューヨークを撮影したものである。真ん中に見える橋をメインに撮影したものだが、それがなんという名前の橋なのかは分からないし、ただ何となく構図を決めて撮っただけである。
当たり前の話だが、飛行機の上から見ているとたくさんの家や建築物が豆粒のように見える。高度が低くなってくると、整然と並ぶ住宅一つひとつがはっきりと見えてきて、野球場のマウンドやフットボールパークのヤード表示ラインまで分かるようになってくる。そこでプレーをしている人たちの顔や表情までは分からないけれど、なんとなく息遣いが聞こえてくるようである。街や林の中をくねくねと続いていく道を何台もの自動車が走っていく。大きなスーパーマーケットやホテルも見えるし、ともすると墓場のようなものも見えてきたりする。まるでゲームのシムシティのようだなあとも思うが、これは間違いなくリアルワールドの景色である。爆音を撒き散らしながら航行していく飛行機の影が街中を横切っていくのを、下にいる人達は見上げたりしているのだろうか。だれか一人くらいはあの飛行機の中には日本人も乗っているんだだろうかなんて考えてくれたりするのだろうか。そんな天文学的に低い確率のようなことを考えたりする自分に思わず苦笑したりする。
目の前に広がる景色の中に、いったいどれだけの人がいて泣いたり笑ったりしているんだろうか。これまで何人の人達がこの土地で生まれ、地下で眠っているのだろうか。病と闘う人もいれば、体型を気にしながらランニングをしている人もいるのだろう。学校で一生懸命勉強している子もいれば、親の目を盗んでつまみ食いをしているやんちゃ坊主もいるかもしれない。神様だって目が届かないんじゃないかと思うくらい、そこには多くの人たちの生活があるはずである。それは数字としてはまったく分からないものであるけれど、一人ひとりがこの瞬間に限りある生命を使って日々の営みを続けている。それだけは確かな事実なんだろうと思う。
みんな頑張れよおなんて声をかけたって聞こえるわけもないし、世界中のみんなにそんな声をかけるわけにもいかない。みんな私のことなんか気にもしないで、ただそれぞれに生きている。
飛行機の窓側の席に乗るたびに、眼下を眺めてはそんなことをぼんやりと考える。旅する者の感傷だけなのかもしれないが、複雑な想いにちょっと泣きそうになったりして分厚いアクリルの窓に額を押し付けて下を見続けるのである。
地上に降りて歩き始めると、そこはもう自分を中心とした半径数メートルの世界でしかない。ただひたすらに自分の生活を続けていくだけのちっぽけな存在に逆戻りである。それでもまあ、みんなそうやって生きて死んでいく。永遠の命を手に入れたいと思わないこともないけれど、それもまあいいのかなあと納得しながら、私もまた日々の暮らしに埋もれていくのである。
当たり前の話だが、飛行機の上から見ているとたくさんの家や建築物が豆粒のように見える。高度が低くなってくると、整然と並ぶ住宅一つひとつがはっきりと見えてきて、野球場のマウンドやフットボールパークのヤード表示ラインまで分かるようになってくる。そこでプレーをしている人たちの顔や表情までは分からないけれど、なんとなく息遣いが聞こえてくるようである。街や林の中をくねくねと続いていく道を何台もの自動車が走っていく。大きなスーパーマーケットやホテルも見えるし、ともすると墓場のようなものも見えてきたりする。まるでゲームのシムシティのようだなあとも思うが、これは間違いなくリアルワールドの景色である。爆音を撒き散らしながら航行していく飛行機の影が街中を横切っていくのを、下にいる人達は見上げたりしているのだろうか。だれか一人くらいはあの飛行機の中には日本人も乗っているんだだろうかなんて考えてくれたりするのだろうか。そんな天文学的に低い確率のようなことを考えたりする自分に思わず苦笑したりする。
目の前に広がる景色の中に、いったいどれだけの人がいて泣いたり笑ったりしているんだろうか。これまで何人の人達がこの土地で生まれ、地下で眠っているのだろうか。病と闘う人もいれば、体型を気にしながらランニングをしている人もいるのだろう。学校で一生懸命勉強している子もいれば、親の目を盗んでつまみ食いをしているやんちゃ坊主もいるかもしれない。神様だって目が届かないんじゃないかと思うくらい、そこには多くの人たちの生活があるはずである。それは数字としてはまったく分からないものであるけれど、一人ひとりがこの瞬間に限りある生命を使って日々の営みを続けている。それだけは確かな事実なんだろうと思う。
みんな頑張れよおなんて声をかけたって聞こえるわけもないし、世界中のみんなにそんな声をかけるわけにもいかない。みんな私のことなんか気にもしないで、ただそれぞれに生きている。
飛行機の窓側の席に乗るたびに、眼下を眺めてはそんなことをぼんやりと考える。旅する者の感傷だけなのかもしれないが、複雑な想いにちょっと泣きそうになったりして分厚いアクリルの窓に額を押し付けて下を見続けるのである。
地上に降りて歩き始めると、そこはもう自分を中心とした半径数メートルの世界でしかない。ただひたすらに自分の生活を続けていくだけのちっぽけな存在に逆戻りである。それでもまあ、みんなそうやって生きて死んでいく。永遠の命を手に入れたいと思わないこともないけれど、それもまあいいのかなあと納得しながら、私もまた日々の暮らしに埋もれていくのである。
旅先で、ちょっとセンチメンタルですか。
誰でも、こんな想いに囚われるときありますよね。自分がちっぽけな存在に思えて・・・
でもね、日本にいる時もたまにたくさんの人が渡っている交差点を見て
ああ、なんて不思議にたくさんの人が生きているんだろう。
なんて思うんですよ。