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やや矢野屋の棚上げ棚卸し

アニメの感想と二次創作小説・イラスト掲載のブログ
「宇宙戦艦ヤマト」がメイン 他に「マイマイ新子と千年の魔法」など

主題歌考察

2013年08月13日 16時09分00秒 | ヤマト2l99
あまりの暑さに久々更新です(汗)
とはいえ暑いので大したことは書けません。
以前Twitterでボソボソ言っていた話をまとめたものです。

先月来、喧しく議論されていたヤマト2l99の主題歌ですが、私は変更されて良かったと思います。
というか、最初からオリジナルとは別の歌を準備すべきだったと思っています。
なぜならば、オリジナル主題歌と2l99の内容の乖離があまりにも甚だしいからです。

オリジナル主題歌を、大雑把ですが三つの部分に分けてみましょう。
冒頭から「今飛び立つ」まで、「銀河を離れ」から先の、アタマとオワリの部分は「このヤマトというフネはどんな目的でどこへ向かうのか」という状況説明ですね。
これは基本的に2l99でも変わっていません。

しかし、問題なのは真ん中のパートです。
ここには歌の真髄である「心情」が述べられていますが、これが2l99には描かれていない場面を想定した決意なのです。
「必ずここへ帰ってくる」と「手を振る人に笑顔で応え」ていないのに、その言葉を毎回オープニングで聞くことは、なんだか大事なところを誤魔化されたまま丸め込まれているような、とても複雑な気持ちを抱いてしまいます。

「必ずここへ帰ってくる」、この言葉を沖田艦長は何度も心に誓います。
特に印象的なのは、第2話の「行って、帰ってくるのだ!」、第10話の「さよーならぁー!」からの流れでしょうか。
沖田十三という人にとって、ヤマトの旅はこのシンプルな決意に全て集約されています。
そして、「行って、帰ってくること」が有する大きな意味は、物語の中で何度も繰り返し強調され、最終話では「地球で待つ皆と心が通じている」「自分は孤独ではない」「だからこそ地球を一目見るまでは死ねない」という、沖田の「生」そのものとなって、あの胸を打つラストに繋がっているのです。
(ここでの「皆」には、亡くなった沖田の息子も含まれているのでしょうね)
その印象的な場面、二つとも、2l99では描かれていません。
でもまあ、これは私だけの小さなこだわりに過ぎません。

問題は、「手を振る人に笑顔で応え」です。
出発の行進をオミットした真意は、制作者に尋ねてみないことには分かりませんが、主題歌に謳われているシーンを外した以上、オリジナル主題歌が2l99の物語世界を象徴するものと見なされることはありません。

「そんなの大した問題じゃない」とお思いですか?
でも、歌っていうのは「こころ」を乗せているからこそ歌なんじゃないかと、私は考えるんです。

「鉄腕アトム」や「ゲゲゲの鬼太郎」がリメイク作でもオリジナル主題歌を使うことには、何の問題もありません。
アトムや鬼太郎の場合、歌とキャラクター・物語には何の齟齬もありませんから。
しかし、「ヤマト」と「ヤマト2l99」には、歌われている心情に於いて、真逆と言っていいほどの違いがある。
ならばやはり、2l99はその物語にふさわしい主題歌を作ってもらうべきだったと思うのです。

で、「Fight For Liberty」。
まずは良い曲だと思います。
そして、2l99後半の「気分」にはとても合った曲だとも思います。
2l99は、地球側もガミラス側も「男女の愛」が物語の大きな部分を占めていますから。
「君を思えば」「超えられないものなんてない」だから戦う、そういう話だよと言われれば、「うん、たしかにそうですね」と答えるしかありません。
そういう意味で、とても似つかわしい曲です。
でも一番合ってるのは「進撃の巨人」だよなあ、とも思っちゃうんですけどね。

ある意味、2l99はとても不幸です。
物語にピッタリとマッチした主題歌を得ることができなかった、という意味で。
しかし、それはアーティストのみに責任を求めることが出来る話でもないと感じます。
そのために、総監督氏はアーティストとどれだけの話し合いを重ね、ストーリーとテーマをきちんと理解してもらう努力をしたのかなあ、と。

オリジナル主題歌を作詞した阿久悠さんは、依頼にやってきた西崎プロデューサーの並々ならぬ情熱に驚き、その熱に浮かされるようにあの歌詞を書き上げたと述懐しています。
それほどの情熱と思いが込められた歌詞は、やはりオリジナルのヤマトだけに与えられた冠であろうと、私は思います。

2l99第4章

2013年01月27日 03時22分00秒 | ヤマト2l99
2l99は、オリジナルの宇宙戦艦ヤマトとは全く違う物語である。

当たり前と言えば当たり前のことなのだけど、それが誰の目にもはっきりわかるようになった第4章でした。
オリジナルヤマトが「鋼鉄で出来た男の船」ならば、2l99ヤマトは「SFガジェットが随所にちりばめられた女神の船」。
オリジナルには超能力やオカルトの要素は無く、物理法則の範囲内で物語が推移するが、2l99はテレパシーによる攻撃やそれを打ち破る特異な力を持つ精神、生き霊の憑依(と呼ぶしかない…)等、オカルティックな要素が物語を動かしている。
(この場合「オリジナル」とはテレビシリーズ第一作26話のことを指し、「永遠のジュラ」は入っていません。発表年の隔たり、アニメと漫画というメディアの違いもありますが、第一作とはあまりにも作風が異なっていますので、喩えて言えば「石津嵐版小説」のような異説として認識しています)
しかし、何よりも大きかったのは、「戦端を開いたのは地球側だった」「しかも沖田十三は提督としてその場に居り、先制攻撃を躊躇したために即時解任されていた」という変更です。

そこで思い起こされるのは、2l99第1章、冥王星会戦(って言わないんだっけ、メ号作戦だっけ)から帰還する沖田の独白、「見ておれ悪魔め、儂は命ある限り戦うぞ!決して 絶望はしない。たとえ最後の一人になっても儂は絶望しない!」 という言葉。
……「悪魔」って、ダレ?
……「最後の一人になっても」って、そもそもそういう事態を引き起こしたのはドナタ?
「いや、奴は大変なものを落としていきましたッ!」という台詞が納谷悟郎さんのお声で響き渡る脳内。

以下、例によってTwitterのまとめです。



どうしても気になっていることを書く。タグは付けずにおく。最後まで読んでもらえたら、けっして一方的な否定でないことは分かっていただけるとは思う。
posted at 20:22:14

遊星爆弾によるガミラスの攻撃は、単に「戦争」で片がつくものではない。ジェノサイドである。そして、沖田十三が開戦時の事実を知る以上、沖田にも責任の一端はある。
posted at 20:24:39

「間違った命令には従わない勇気」、結構。しかし、「間違っている」と知っているのに、沖田はそれを改める為にどんな行動をとったというのか。数十億の人間が虐殺され、かけがえのない地球環境が破壊され続けている、その間に。
posted at 20:32:43

民間人に対する一方的な殺戮、生命の循環を根底から破壊し回復不可能な状態に変えてしまう行為、それは確かに「悪魔」と呼んで然るべき所業であろう。しかし、その切っ掛けを作ったのが何ものか、沖田は知っている。
posted at 20:38:38

誤った選択を行ったのが自分自身ではないとしても、「知る」者としての責任は逃れようもなく彼にのし掛かっているだろう。軍人である前に、一人の人間として、彼は如何にしてその責任を果たそうとしたのか?
posted at 20:39:56

「最重要機密の保持」、それは、数十億の人命と引き換えにすべきことなのか?数え切れない動植物の命が失われ、惑星の命そのものが尽きていくことをも、「仕方のないこと」と諦観してまで守らねばならないことなのか?
posted at 20:45:37

不服従のその先に、沖田がどんな八年間を過ごしてきたのか。それはいまだ描かれていない。また、「数十億の人間を見殺しにしたも同然の責任」という、途轍もなく重い十字架を負わされた今作の沖田十三に、2199の物語はどのような終結点を与えようというのか。
posted at 21:07:46

「嫌なら見るな」という向きもあるやに聞くが、かほどに想像を絶する重荷を背負わされた人間がどのような道を歩んでいくのか、ここまで見てしまった以上、見届けずにはいられない。おそらく「何もかも皆懐かしい」などという予定調和に辿り着くことはないだろう。
posted at 21:18:53

まあ、ぶっちゃけて言えば、「我が方の責任で始まった同胞へのジェノサイドを止めさせる為に、いったい沖田は何をしたのか?」ということなんですよ。「誤った戦争を止める為」、でもいいですが。彼は「軍人と雖も意志を持たぬ駒に非ず、信念を有する一個人なり」と明言したのですから。
posted at 21:41:40




物語の前提を「真逆」といってもいいところまで引っ繰り返しておいて、沖田の台詞はオリジナルと同じ。
これで「何のフォローもない」とは考えられないので、この件については今後また補足があると思いますが、いったいどういう落としどころを想定しているのか。
劇中のプロパガンダ映画の雰囲気からして、2l99の地球は第二次大戦期の大日本帝国と似通った社会と想定されているようですが、ガミラスへの攻撃は盧溝橋事件との擬えでしょうか。
沖田提督は戦線の拡大を止められなかった帝国軍人なのか。
しかも「我が方に義の無い戦争」と知っている立場。
その沖田がガミラスを「悪魔」と呼ぶのは何故か、同胞がすべて死に絶えても「絶望しない」と繋ぐ希望は何なのか。

シリーズのちょうど真ん中で明らかにされた大ネタですから、当然、後半のストーリーで何らかの解きほぐしが行われるでしょう。
それを見届ける為に、四月以降も映画館に通う羽目になりそうです。


「宇宙戦艦ヤマト2l99」テレビ放送決定【追記有り】

2013年01月11日 07時13分00秒 | ヤマト2l99
朝起きてTwitterをチェックしていたら、いきなり「2l99テレビ放送の時期決定」というツイートを見つけてしまいました。
スポニチのリンクを貼って下さっている方がいたので記事を読むことが出来ましたが……2013年4月の日曜午後五時からなんですね。

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/01/11/kiji/K20130111004953460.html

第一章の特別上映から約一年、思ったより早かった感じです。
「マギ」の後番組ってスゴイなーと思いましたが、よく考えたら「ガンダムAGE」の枠ですね。
バンダイがスポンサーにつくでしょうから、当然と言えば当然ですね。
ただ、26話まで放送しちゃうと、もしかして特別上映スケジュール追い越しちゃう?
ワンクール13話までで一旦放送を終わって、後半は2013年秋に再開なのかもしれません。
たしか「ガンダムOO」か「コードギアス」か何かがそんな感じの放映スケジュールだったような……(ウロ)
ともあれ、深夜枠でなかったのは良かったなと思います。
たくさんの若い人がヤマトを見てくれるといいですね。



【追記】
トーノ・ゼロさんの舞台挨拶レポートによれば、「TV放送は2回に分けない。第7章は間に合わせるしかないらしい」とのことです。

http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20130112151304

スケジュール大変そう……
14話までの回にも若干直しが入るようですし、スタッフの皆様、頑張って下さい。

「宇宙戦艦ヤマト2l99」感想の続き

2012年04月17日 18時17分00秒 | ヤマト2l99
さて、これは大勢の人が既に指摘していると思うのですが、2l99は「旧作の穴を塞ぐ」と言いつつまたゴーカイな穴を空けてくれてます(;^ω^)
「結局重力制御してるのしてないのどっちなの!ボーシ脱げるの気にする割に急速転舵しても艦橋回っても平気なのそうなの!」とか、「ちょーっと待って今土方さんが良いこと言ったから静かにして!『ワシの命を奪うかもしれん』なんて言うけどさ、そんなこと言ったら前人未踏の旅に出る乗組員に対して無責任じゃないかなぁ?結局ヤマトが戻ってこれなくなるだけなんじゃないかなぁ?僕の言ってること違うかな?沖田さん!」とか、「今この人コネ人事だって言ったよハッキリ言った!そこんとこどうなの沖田さん!」とか、「なんで大事な幹部候補をあんなヤワいシェルターに集めてんの!どう見てもヤマト本体が一番頑丈でしょナンでそこに入れてやんないの!あそこで迎撃させりゃいいじゃないの人材の無駄遣いだよ!血税を預かる身としてそこんとこどう思ってんの!」とかその他イロイロ、意地悪かもしれませんが田原総一朗氏に免じて許してくださいー>ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ

まあ、上のようなことは「愉快なギャグ」として見て見ぬフリできなくも無いですが、私が「ちょっとコレはヤバイんじゃないの(;・∀・)」と思ってしまったのは、何を隠そうコードネームと作戦名。

えーっとね、イスカンダル船が「アマテラス」なら「ウズメ」は回収班じゃなくて囮艦隊でしょ?
「囮艦隊はガミラスをおびき出す役割なのだから、それは違う!」と仰る向きがあるかもしれませんが、「神」と「敵」が同一視されるのは神話構造ではよくあることですから無問題。
踊って踊ってわっはっはーーってやってるトコに大御神が顔を出すんですよ。
そこで大御神をキャッチするのは天手力男神、だから古代と島のコードネームは「タヂカラオ」でないとオカシイ。
神話を引っ張ってきてるにも関わらず、この無神経さはヤバイ。
何がヤバイのかは諸星大二郎の「闇の客人」あたり読んでいただけるといいんじゃないかとかそういうネタは脇に置くとしてですね(汗)、神話に対してそこまで無理解無神経な割に、その神話をなぞろうとしている節があるのが超ヤバイ(脂汗)

まあですね、コードネームの間違いくらいなら土方さんか藤堂さんあたりに「ボクあんまり神話に詳しくないんだーてへぺろ☆」とでも言ってもらえば「お茶目なギャグ」として目を瞑れないことも無い。

しかしですよ、「イズモ計画」と「ヤマト計画」これはヤバイ。
言い訳効かないレベルでヤバイ。

「イズモ計画」―――
計画の内容から、これは「出雲の国譲り神話」を想定しての命名と察します。
ガミラスという天孫が「地球譲れや(゚Д゚)ゴルァ!!」とやって来たから、地球人=大国主命が「チッしゃーねえなあ俺ら別のトコ行かねーと生きてけねーよなあ」って移住するワケです。
公式サイトには何故か最初「ヤヨイ計画」という名称が記されていましたが、今は削除されていますし、公式に本編に採用されたこの命名から読み取れる情報は、どうしても先ほど述べた事情を含んでいると考えざるを得ません。

では、なんでコレがヤバイのか。

キバヤシ< 「ヤマト計画のヤマトは『戦艦大和』ではなく、『カムヤマトイワレビコノミコト』或いは『ヤマトタケルノミコト』を指しているのだよ!」
Ω ΩΩ< 「な、なんだってー!!」

おいおいおい「東征」だよイスカンダルへの航海の意味が変わっちまったよヤバイよどうすんの!!!

……………はい、「考えすぎ」と仰るのはもっともです。
たぶんそこまで深く考えて命名してはいないと思います。
というか、そう信じたいですよ私も。
でも、「神話」というのはそれくらいハンパない深みと広がりを持った存在であり、生半可な擬えで間違った「祭り」を行うのは、マトモな神経を持った人間なら避けて当然だと思うんですよ。
ここに切り込んでいくには、それこそ諸星大二郎か星野之宣クラスの構築が出来てからでないと、大火傷負うんじゃないかと。

実は、これを「杞憂」と思えない理由が、もう一つあるんです。
それは、ヤマト発進の折に「第二次大戦で沈んだ戦艦大和の魂を受け継ぐもの」として描かなかったこと、なんです。
ヤマトを大和と結びつけるのを避けた一方、イズモとヤマトを深い関わりのある事柄として作中に取り上げた。
そうである以上、宇宙戦艦ヤマトは旧海軍の命名慣例に基づいた「旧国名としての大和国」ではなく、天孫降臨や国譲り神話、神武天皇や日本武尊の東征神話との繋がりを濃く反映したものとなってしまった。
私はこっちの方が余程危うい話ではないかと思ってしまいます。

それこそ、諸星星野レベルの構築が出来れば問題ないのですよ。
そういう野心作を作っちゃいけないって法もありませんよ。
ただね、それを「リメイク作品」でやるのは、どうなんでしょうか……
もし本当にそういう物語を紡ぎたいのなら、まったくのオリジナルで挑むべきでしょうし、そうではなくて「なんかそれっぽい名前を神話から借りてきました」っていうんなら、もう少し元ネタの扱いに慎重であるべきではないかと思います。

無粋極まりないツッコミでゴメンナサイね。
でも、どうしても気になって仕方なかったので、ここに書かせていただきました。

「宇宙戦艦ヤマト2l99」の感想めいたもの

2012年04月17日 15時58分00秒 | ヤマト2l99
そろそろ公開終了も近づいてきたようですので、個人的な感想なんぞ書かせていただきましょうか。
まずはTwitterに書き込みました幾つかの発言を再録しておきます。




yayayanoyaやや矢野屋 12:48
ヤマト2l99の感想を簡潔に述べるよ!上手に塞いだつもりでも別のところにボコボコ穴が空いて最終的に床が抜けたよ!ってことはやっぱりこれもまた「紛う事なきヤマト」なのかな?タグは外しておくよ!

yayayanoyaやや矢野屋 12:53
絵とか色調とかメカとか声とか音楽とか凄く頑張ってるのに、勿体ない……あとやっぱり復活篇に似てる。(違う部分も勿論あるけど)鑑賞しながら復活篇の古代とか大村さんが何度も頭をよぎった。ジーベックだからだろうなー。

yayayanoyaやや矢野屋 13:00
ホント、良いとこはいっぱいあるのですよ、ヤマト2l99。もう少し丁寧かつ慎重に感情の流れやタイミングを組み上げるだけで、見る人のココロを動かせるのに。脚本と演出を何とかしたら、今からでも軌道修正できるのではないでしょうか。

yayayanoyaやや矢野屋 13:04
ヤマト2l99。なんかすごく臆病な作品になっちゃってるなあと思いました。他者とぶつかり合わないし、本気で他者を信じていない。あの重要なシーンを削ってしまったのは、つまりそういうことなんだろうな。ネタバレ回避のため重要なシーンについてはブログで ノシ

それではマイクを戻しますーー。
ブログのやや矢野屋さんーーー?




はいっブログのやや矢野屋です!
えーネタバレ該当箇所ですが、ズバリ申し上げると「ヤマト乗組員の行進シーン」なんですねー。

旧作では、ヤマト乗組員達は整列して沖田艦長の訓辞を聞いた後、地下都市の大通りをパレードしてエアカー乗車場所に向かい、乗り組みを希望しないものはパレードの間に抜けなければならないという、ある意味度胸を試される儀式を経てヤマトに向かうのですが、2l99は「乗り組み希望者は現地集合ね」という親切仕様。
当然、旧作にあった一般人からの野次や祈りの言葉は全てオミットされております。
一方で、旧作では10話のサヨナラ通信や19話の相原脱走話の背景として描かれた「地下都市での暴動」が、第一章の時点で電光掲示板等のニュースとして取り上げられています。
要するに、2l99の地球社会には旧作よりも更に深刻な人心の荒廃がありながら、ヤマト乗組員は彼ら一般人からの言葉を直接浴びることなく旅立っていくのです。

誤解無きように願いたいのですが、私は「旧作からの変更は一切まかりならん」と言いたいわけではありません。
ただ、変更によって見えてくるリメイク制作者の意図には、首を傾げざるを得ないのです。

第一作ヤマトの出発パレードでは、「お前らだけ逃げ出すんじゃないだろうな!」という野次馬に対し、傍に居た別の一般人が「危険な旅に出ようってのに、何てこと言うんだ!励ましてやったらどうなんだい!」って言いますよね。
2l99のスタッフは、ああいう人の存在を信じられないんじゃないかと、そう思ってしまったんです。

市井の賢者、庶民の良心。
昔、小津安二郎監督の「東京暮色」を観た時に、本筋とはまるで関係の無い中華そば屋の主人の台詞に心を揺さぶられて涙したことがあったのですが、旧作のこの場面にはそれと共通した重さが感じられます。
本筋には絡まない、名前すら無い人物にも、人生に学んだ知恵と己を律する倫理観があり、カメラフレームの奥や外側から主要人物を見つめているのです。
主要人物達は、それら「物語の社会」とも呼ぶべき集団と共に彼らの人生を生きている。
最終話で沖田艦長が「古代、お前、独りぼっちだと思っているのか」と問いながら語りかけた「地球で待つ人々との連帯感」は、まさにこのパレードで名も無き庶民が発した言葉によって保障されているのです。

2l99でこの言葉が削られてしまったのは、そうした「庶民の良心」に信を置いていないからではないか。
そして、その暴徒とヤマト乗組員や国連上層部は正面から向き合おうとしない。
「端末の向こうに無知蒙昧で無理解な人々が居る」という「情報」だけを提示する。
そこには、「無理解な人間から理解を得ることなど端から諦めている」昨今の思潮が反映されているのかもしれない。
その意味では、ヤマト2l99は極めて「現代的」な作品となるのかもしれません。

一方で、ヤマトの旅に理解を示し送り出すのは、各国各エリアの首脳達です。
いかにも知性があり洗練された風体のエスタブリッシュメントが、なけなしの電力を送ってくる。
そこに、市井の切実な愛情や、庶民が自らの生活を犠牲にして望みを託したことは語られていないのです。
少なくとも、映像という形では。
「出発パレードをカットする」というのは、つまり、そういう結果を作品にもたらしているわけです。

貴重な電力を奪われ、一方的に生活を圧迫されたヤマト2l99の庶民達を、制作者はどのように思い描いているのでしょう。
ひょっとして、彼らはヤマトの旅立ちを呪いの言葉で見送ってはいないでしょうか。
彼ら地球人の呪詛がヤマトに向かい、やがては地球人自身に向かうとしたら……
旧作終盤の「反乱」エピソードは、今回は別の趣旨で作中に組み込まれることが人物設定からも窺えますが、旧作の沖田艦長が得た「待つ人々との一体感」を切り刻む結果になりはしないかと危惧しております。

おそらくは無邪気な「リアル志向」の産物であり、そうした意図は無いものと思いたいのですが、地球人をエリートと庶民とに分断する2l99の作劇に、私は不安を抱かずにはおれません。

なんか長くなってしまいましたので、他の感想については項を改めます。